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魔法使いは唱えない  作者: 0
一章 門出
22/30

八話 過去という名の枷(前)


 祖父であり当主であるカーカスの手により、ルピスは再びファトス家の屋敷に囚われの身となった。


『儂は婚約の手続きを進める。沙汰があるまでこの部屋で大人しくしておれ』


 カーカスの手により連れ戻された屋敷という名のルピスを捕える鳥籠。

 あてがわれた部屋も依然と変わらない。寝具と机以外に何もない殺風景な部屋。それこそがルピスの自室であった。

 窓は厚手の布地で覆われ、室内は夜明けのように薄暗い。


 内側にドアノブのない扉。

 唯一鳥籠と世界を繋ぐその扉は食事と、カーカスの雇った魔法教師の教育の際だけ開く。

 部屋には小さな洗面所と浴室も併設されており、かつてのルピスの生活はこの鳥籠で完結していた。


 誰かに抱きしめられて眠ることもなければ、自分の思いを伝える相手もいない。


 どこまでも冷たく寂しい世界。

 

 籠の中の鳥は外の世界を思い出して声もなく鳴いた。


 ――ルチルは、アセビは大丈夫かな。

 

 およそひと月ぶりに戻ってきた自室。

 もうこの鳥籠に戻ってくることはないと思っていた。アセビとともに外の世界で生きていくんだと。

 それがどうだ。鳥籠の持ち主の力は強く、鳥の心もまたその手中から逃れる術を知らない。


 ルピスは座っていた寝具の縁から立ち上がると、窓辺まで移動した。

 重みのある布地へ手をかけ、外の世界に想いをはせてそれをめくると、魔法のかけられた曇りガラスが目に入る。


 いくら顔を近づけても、窓の外は別世界のように曖昧で。

 ただそれでも、一つだけわかることがあった。

 

 窓の外では空が泣いていた。


 ルピスの頬にも一筋の雫がつたい、床一面に敷かれた羊毛の絨毯に一滴の染みを残す。


 ベランダへと続く曇りガラスの窓に手をかけるが、びくりとも動かない。

 カーカスが手を施したのであろう。内からも外からも隔離された世界。それがルピスへと与えられた鳥籠。


 挙式。つまり、結婚。

 貴き血に生まれたものであれば、齢一桁で婚約者がいることもそう珍しいことではない。

 婚約相手の家がルピスを引き取るとのことで、ファトス家からすれば家の利益につながる上、体のいい厄介払いもできる。

 家門の繫栄という点で、カーカスがこれを引き受けない理由はなかった。


 例え声が出せなくても、ルピスは魔法使いの名家であるファトス家の直系。

 本来であれば、血統だけでも相手は引く手あまたであった。声が出せないという欠点に目を瞑っても、その血が欲しいという者がいたということであろう。


 それが意味することは、新生活の終焉。


 外の世界の熱も、空の涙も遮る曇りガラス。

 たった一枚のガラス細工で隔てられる世界。


 こらえきれず空の零した涙が曇りガラスを打つ。


 涙の音さえも届かない世界で、ルピスは再び寝具の縁へと腰を落ち着けた。

 

 誰もいない孤独な空間。


 ルピスは自分自身に問いかける。

 自分自身を見つめ直す。その時間だけはこの牢獄のような籠の中にもまだ残されていた。


 ――アセビならどうしただろう。

 

 ふとそんなことが頭をよぎった。

 強い彼女のことだ。きっと力づくで鳥籠を壊して出ていってしまうことだろう。

 

 もう彼女には会えないのだろうか。

 ひと月にも満たない月日は、ルピスが久しく忘れていた楽しい日々であった。

 ルピスの知る女性からかけ離れた奔放な彼女は、ルピスにいろいろなものを教えてくれた。


 人肌のぬくもり、冒険者というもの、そして、なにより――魔法だ。


 ――ぼくはどうしたらいいのだろう。


 ルピスは周囲を見渡す。屋敷の支配者に与えられた逃げ場のない空間。

 魔具により部屋は常に適温に保たれ、寝具も最高級の一品で、そこに込められた魔法により汚れることを知らない。加えて、時間になれば一流の料理人が、一流の食材で作り上げた食事が与えられる。


 何不自由のない快適な冷たさがここにはあった。


 その冷たさは無力と言う名の絶望をルピスへと突き付けているようで。

 お前には何もできないと。誰かに従って生きるしかないんだと影が過去の影が囁く。

 

 そうなのかもしれない。弱った心は影の囁きに蝕まれ、くじけそうになる。


 ルピスは過去から目を背けるようにギュッと目を閉じた。

 

 そんなときだった。

 アセビの声が聞こえた気がした。

 

 それはいつかのアセビの独白。

 

『見えるものばかり見てきたせいで、見るべきものが見えなくなっている』


 ――ぼくの見るべきものはなんだ?


 あの日の夜を思い出す。

 アセビと喧嘩したあの日の夜を。

 

 答えを掴みかけたあの日。

 しかし、初めてアセビがルピスへ見せた敵意。それはとても恐ろしい記憶で。なるべく振り返らないようにしていた。


 答えの鍵は、家と妖精。


 生家であるファトス家はルピスに影をもたらした。

 家族に見放されたという事実は、心の柔らかいところを深く傷つけた。

 その傷は見つめるたびにジクジクと疼いて、痛くて仕方がない。だから、すぐに見つめるのをやめた。


 傷ついたことを忘れるように、ルチルが紹介した依頼に打ち込んだ。


 妖精もまた同じ。

 話すこと(フツウ)に憧れたルピスは、無意識的に特別であることを嫌った。

 祖父や家庭教師がその瞳の世界を嫌ったこともそれに拍車をかけた。

 

 光を見えないものとして振る舞えば怒られないから。いつしか見えないふりをして生きるのが当たり前になっていた。

 

 でも、そうじゃない。そうすべきじゃない。

 ぼくは見るべきなんだ。見つめるべきなんだ。

 

 

 ――家族(カコ)妖精(ミライ)もまっすぐに。

 


 心のどこかで何かがハマった感覚がした。


 閉じていた瞳を開ける。

 

 光だけが変わらず、ルピスの周囲に漂っている。


 世界は光に満ちている。


 これまで忌み嫌われてきた視界に映る光の正体。

 アセビは彼らを妖精だと言った。世界の一部。現世(うつしよ)の欠片だとも。


 彼らはいつもルピスを見守ってくれていた。

 わかっていたのに。あの日の夜も助けてくれたのに。

 すぐに見えない世界に、見ない世界へと逃げ込んだ。


 傷つきたくなかったから。これ以上誰かを困らせたくなかったから。

 

 また別の日、誰か(アセビ)のために生きたいと言ったルピスへ、アセビは何と言ったか。


 アセビの声がまざまざと蘇る。

 まるで背後から抱きしめられて、耳元で囁かれている様に。


『いいか、ルピス――』


 ドクン、と心が大きく跳ねた。

 

『――誰かのために生きるのはやめろ』


 ドクンドクン、と一度燃え上がった鼓動はもう抑えきれない。

 

 胸が――心が燃え滾るように熱い。

 その熱がルピスはここにいると証明している。


『自分の人生を生きろ。他でもないお前(ルピス)自身の』


 ルピスの心を縛っていた枷が音を立てて引きちぎられた。

 

 他でもないルピスの意思で。


 カーカスは言った。この部屋にいろ、と。

 だが、今のルピスは既に気がついていた。


 ――ここはぼくがいるべき場所じゃない!


 帰ろう。自分がいるべき場所に。


 そう決心したとき、脳裏に走るシバスの声。

 

『この町で本当に帰るべき場所を見つけたときに、その紙を開いてください』


 それと同時に、お守りと称して渡された紙きれの存在を思い出した。


 懐から折りたたまれた紙きれを取り出すと、恐る恐る開く。


 そこに書かれていたのは――

 

『浴槽の絵画』


 ――謎のキーワード。


 それを見た瞬間に、ルピスは急ぎ足で併設された浴室へ向かう。


 ルピスの自室に併設された浴室には、浴槽まで完備されていた。

 浴槽は空であったが、設置された魔具を利用することで、僅か数分で入浴が可能になる癒しの空間。

 

 その浴槽の隣の壁には、とある高名な画家による絵画が飾られていた。

 魔法で保護されたその絵画は劣化することがなく、ルピスの追放前から何も変わらず、今もそこに佇んでいた。

 

 ルピスは土足のまま空の浴槽に入ると、浴槽のふちに足をかけて絵画を触る。

 

 シバスの言葉を疑うことはしなかった。


 なぜなら、浴槽も絵画も一般的には馴染みの薄い類のものである。

 入浴は魔具を用いたシャワーかサウナが一般的であり、貴族でもなければ浴槽はもたない。

 ルピスはアセビと宿でときどき一緒に入浴することがあったが、そこもやはりサウナであった。


 絵画については言うまでもない。

 生活必需品でもないものに大金を払う者など貴族以外にはいない。


 その理由はわからない。

 だが、シバスにはどういうわけかこの状況を予期していたようだ。


 脳裏に浮かぶは屋敷でルチルと並んでいつも見守ってくれていた優しいまなざし。

 

 ルピスはその彼の優しいまなざしを信じることにした。


 再び紙の上のキーワードに目を落とす。


 紙に書かれていたシバスの言葉はそれ以上を教えてくれない。

 ルピスはペタペタと絵画を触る以外に、どうすればいいのかわからなかった。


 与えられた手掛かりを前に逸る心へ言い聞かせる。

 ――落ち着いて。


 ルピスは一度深呼吸して、絵画から離れた。


 ――見えるものじゃなくて、見るべきものを見る。


 ルピスは視界に映る光へその焦点を合わせた。


 光は蛇口の付近や、宙にふよふよと浮いている。

 絵画の周りにも大小の光が浮いているのが見えた。


 ふと視線の隅で違和感を覚えた。


 ――いま、光が消えた?


 視界の隅で小さな光が壁に吸い込まれるように消えていったように見えた。


 その一点を凝視する。

 

 すると、今度は光が絵画のある一点から再び姿を現した。

 

 光が建物をすり抜ける。それ自体はよくある話だ。

 ただ、それが絵画のある一点にだけ起きていることに引っかかりを覚えた。浴室のそのほかの場所では、光の増減は見られない。


 それはまるで光たちが何かを教えてくれようとしているようにも見えた。


 ルピスは光が出入るする絵画の点に顔を近づけると、

 ――ここだけおかしい……。まるでここだけが新しく作られたみたいだ。


 ルピスは浴室に用意されていたバスチェアを拾い上げて、再び絵画の前に立つ。


 大きく息を吐いたあと、一気に息を吸い込みながら、握った手に力を込めると――


 ――思い切ってバスチェアを絵画のある一点へと叩きつけた。


 乾いた音が浴室に木霊した。

 思わず眉根を寄せたくなるようなけたたましい音が耳を打ち、脳を揺らす。

 

 クラクラとする視界。頭に響く耳鳴り。


 その代価を払って得たものは、

 ――これって、抜け道?


 ルピスが破壊した絵画の裏には、成人男性一人がギリギリ通れそうな大きさの穴が、大口を開いて待っていた。

 

 

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