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第三十二話 現実世界

 身体は鉛のように重く、頭が熱を帯びているようで風邪を引いた時のようにぼーっとしている。


 やっとの思いで目を開けたノアは自分が知らぬ部屋のベッドに寝かされていることに気がつき、だるい身体を無理やり起こす。

 起き上がりわかったことは、この部屋が学園にある防衛隊員用の医務室であること。そして、部屋が橙色に染まりつつあるということだった。

 上手くものが考えられない朦朧とした意識のなかで、ノアは少しでも頭を整理しようと抱えた膝のうえに重い頭を乗せ、だるそうに唸った。


「っ……うぅ〜……」


 ハァ……ハァ……と、自分の浅い吐息が耳の奥で響くなか、ノアは考えを巡らせた。


(女神様とのことはきっと夢じゃない……はず、多分)


 現にノアは生きている。それに、いくら医療技術が発展し、欠損した部位が生えてくるようにできる今の時代であっても、死者を蘇らせることは不可能だ。


 不意に、地平の彼方に沈みかけた太陽の光がノアの目を突いた。外に目を向けるとそこにはいつもと変わりない太陽があった。


(なんか、全部ウソに思えてくるな……)


 ノアは身体から力を抜き、ドサッとベッドに身を預ける。

 日はどんどん暮れていき、物の影はじわじわと大きさを増している。

 そんな浮世離れした時間のなかノアは、左の掌を陽の光へかざした。光を透かして見る手には透き通ったきれいな赤が見える。


 生きている。そう実感できた。



「……? なんだこれ……」


 ふと、手首に見慣れない痣があることに気がついた。

 その痣は、スペードを模したような形をしている。一見するとタトゥーにも見えるそれは、痣というにはあまりにも綺麗で、左右対称に整っていた。触っても痛みはなく、強く擦っても消えることはない。


「なんの…………あ。もしかして、天秤……かな?」


 よく見れば、それは天秤をかたどった印にも見える。天秤。ならば、この印は件の女神のものだろう。

 ノアが天秤の女神と出会ったことは間違いではなさそうだ。


(女神様は、天秤は自動的に力を発動するって言ってたよな……)


 身体に刻印が現れる契約方法は、この世界にいくつか存在し、有名なところで言うと精霊との契約が挙げられる。

 そのような契約方法の場合、基本的に力を借りたいと念じながら、ある特定の動きをすることで能力が発動される。

 身体に現れる刻印は、本来、力を借りるためのドアのような役割を持っているのだが、あの女神が言うにこの天秤の力はノアの意思と関係なく発動するようだ。


(……なんの為の印なんだろ)


 自動的に力が使われるのであれば、印を刻むことに意味はあるのだろうか。


(……まぁ、考えても分からないか)


 魔女を捕まえるために渡された力なら。この印に何か意味があるのなら。魔女と相対したときに、印の意味も分かるだろう。そんなことを考えながらノアは刻印をそっと撫でた。





◇◇◇






 それからしばらく経ち、空に一等星が輝き始めた頃、医務室に二人の人物が入ってきた。暗かった部屋に灯りがつけられる。

 そのうちの一人から聞き覚えのある、冷たさを感じる低音が響いた。


「ノア・ベルクの容態はどうですか?」


 その問いに、少年のようだが落ち着いた中性的な声が答える。


「まだ何とも言えないですね。分からないことが多すぎる。……レインさん、彼には何があったんです? 大した傷も変異の兆候も見られないのに、ここまで目覚めないのは、さすがにおかしいですよ」


 中性的な声の主は、修道女のような格好をしているが、どうやら養護教諭のようだった。二人はノアが居るベッドまで行き、ノアの様子を覗き込んだ。だが、そこにノアの姿は無い。


「えぇ!? ベルク君、居ないじゃないですか!!! レインさん!ここに来るまで僕らベルク君とすれ違わなかったですよね!?」


 養護教諭は相当焦っているようで、高いヒールからさらに背伸びをし、今にも倒れそうになりながら、エドワード・レインを問い詰めた。


「俺たちは、すれ違っていません」


 レイン隊長はノアが先程まで寝ていたであろうベッドを睨みつけながらそう言った。

 レインは踵を返すと「探してきます」と、唸り声のような低い声で言い、廊下へ向かう。レインは扉を開けようとした。だが、扉に手をかけるより早く、扉は開かれた。


「わっ! レイン隊長!? お、お疲れ様です!」


 そこに居たのは、状況を何も理解していなさそうな顔をしたノアだった。ノアは驚いた顔でレインにそう挨拶をする。

 そんな二人の様子を見た養護教諭は、ホッとしたのと同時、心の中でノアに手を合わせ、そっと耳を塞いだ。瞬間、雷が落ちたのかと思うほどの大きな怒号が医務室、廊下、果ては訓練室にまで響いた。


「お前、自分が何したか分かっているのか!!!」


 脳を震わせるほどの声にノアの顔が強張り、思考が停止する。そんなノアに対してレイン隊長は「聞いているのか!?」と耳を引っ張った。


「きっ……聞いてます!聞いてます!」


 細身ながらその実、筋肉質な体型であるレインに耳を引っ張られたノアは、顔の左側をぐいっと持ち上げられ、情けなく顔を歪める。


「いたっ!痛いです……レイン隊長……」


 その言葉にレインは、ノアの耳から手を離す。ノアが安心したのもつかの間、今度は頬をガシリと掴まれた。


「お前の行動は目に余る。初任務ではアッシュフォードと独断専行。今回は単独で竜に挑み一週間寝たきり。俺たちは個ではなく群だと、前にも言っただろ? 周りに迷惑をかけている自覚を持て」


「……はい」


 そんな二人のやり取りを見ていた養護教諭は、話に割って入る。


「レインさん、ベルク君を叱らないといけないのは確かですが、今日はもう日が落ちていますし、あまり大きな声を出さないで下さい。ここは医務室ですから」


 その言葉に、レインは「申し訳ありません」と軽く息を吐くと、ノアの頬から手を離した。それを見届けた養護教諭は、静かにノアへと近づく。


「それはそれとして、ベルク君。きみには色々と聞かないといけないことが山ほどあります」


 性別のわからない顔に、作り物のような笑顔を浮かべた養護教諭は、ノアをベッド横の椅子へ案内した。

スペードと天秤ってちょっと似てるよね。

Xにノアくんの手にできた刻印をあげました!よかったら見て下さい


https://x.com/toufu6rs/status/2112212519091847627

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