第三十一話 精神世界
傷がない。問題なく呼吸もできるし、心なしか先ほどまで感じられなかった体温も感じる気がする。
命の平均すら保ってしまう神の力。
『それでも、気を付けてください。平均を重んじるその力は、使い方を誤れば、貴方に牙を剥く』
「えっ……」
……いや待て待て、この場所や女神様の雰囲気に圧倒されて質問できなかった僕に非があるとしても、その発言は後出しジャンケンが過ぎないか!?
それに、ろくな恩恵の説明もなしに神様の力を貰った。神の力の受け渡しがこんなアバウトで良いのか!? ダメだろ!
「はは、あ……後から危うい力と言われても……」
女神様の顔を見ると、顔色がみるみるうちに青くなっていくのが分かった。
顔が青くなるという表現がここまで合う顔色を僕は初めて見たかも知れない。
『!!? も、申し訳ありません! ああ、またやってしまった……「予言の内容を自分以外も知っていると思うな」と、いつも言われるのに……あろうことか、人の子に……』
さっきまでの威厳や慈悲の雰囲気はどこへ行ったのか、女神様は慌てふためき、額に汗を滲ませながら『う〜ん、う〜ん』と、唸っている。僕になにから教えるべきか決めあぐねているようだった。
しばらくすると女神様は、両頬に手を当て眉間にしわを寄せながら、絞り出すように話し出した。
『えっと……そう、ですね。……まず、貴方に天秤の力を渡した理由を教えないとですね。なぜ貴方に渡したのか、それは、貴方に……魔女を捕まえてほしいからです』
「魔女を捕まえる……ですか」
『はい、彼女を捕まえて、私たちに引き渡してもらえれば。と……』
神が扱うような力を渡されたとき、魔女を倒せるかもしれない。そう思った。でも……
魔女を捕まえる。それが、女神様の願いだった。
「……失礼になったら、申し訳ないんですが。なんで、その……自分から捕まえに行かないんですか? こんな人間に頼むより、よっぽど上手くいきそうですけど?」
『私たちは、今の人の世には降りられないのです。大昔、降りるための道を塞がれてしまった。今では人の世を見ることさえままならない……』
「…………なるほど、そこにちょうど生き倒れてる僕が居たんですね」
少し意地悪く言ったその言葉に、女神様は怒るどころか、クスクスと悪戯に笑いだし『ふふっ 私には予言の技術が有るのですよ!私と貴方が出会うことは運命で決まっていたのです!』と胸を張って心底自慢げに言った。
僕はてっきり軽くでも叱られると思っていた。だから、女神様のその反応に呆気にとられてしまったが、女神様は場を和ませようとしたのだろう。
呆然としている僕の顔を見た途端、顔を真っ赤に染めあげ、目を泳がせながら必死に話を元の軌道に戻そうと、平静を装い天秤の力の説明を初めた。
『て、天秤ができるのは公平さを量ること。それと簡易的な秩序……平均を保つことです。貴方に渡した天秤は、人間でも使いやすいように力を限定的にしました……「場の平均化」それが貴方に渡した天秤の力になります』
「…………場の平均化ですか。力の差を無くすとか? 他には……」
ここで、ツッコミを入れるのが正解なのかもしれない。でも必死になって話を戻した女神様が、人間目線でも可哀想に見えた。
だが、この女神は懲りないようだった。
『流石ですね!ノア・ベルク!』
!? び、びっくりした……えっなんで急に拍手!?
パチパチとだだっ広い空間に女神の称賛が広がっている。響いているようで響いていない。なんとも不思議な聞こえ方だ。
『飲み込みが早くて素晴らしいです! 相手との力の差を無くすこと。そうですね、その他にも発動条件が限定的ですが、自分の傷を相手に肩代わりさせたり』
女神様は『人の子なのに、私の同僚よりも私の言うことを理解して凄いですね』と愛玩動物でも愛でるように頭を撫でてきた。
あぁ……これは、褒められてる。のかな……?
「…………さっき言っていた使い方を誤れば、牙を剥くというのは、上手くやらないとこちらが有利なのに相手に有利な場になってしまう……ということですか?」
そう聞くと、女神様はハッとした顔になって手を退けた。
『そ、そうですね。それもあります。それもありますが、それよりも力の制御を失うこと。私はそれを危険視しているのです』
『この天秤は自動的に力を発動します。それを制御、選択することが貴方のできることです。そして力の制御は貴方の心に依存しています』
『ですが天秤もまた貴方を生かすため人間の平均を保っています。もし貴方が自分を犠牲にしようとしたり、理不尽に貴方の身に危険が迫ったとき天秤は自動的に平均を保とうとします。それが貴方の意思に反していても』
「なんか……」
『?』
なんだかそれは、自分の未来を縛られてしまっているような、そんな気がした。
だが、目の前の女神にも気取られないほど早く、その考えを心の奥底にしまい込む。
「……いえ、なんでも無いです。……あ、あと」
ずっと気になっていた。もし、天秤の力がなくなったら、僕はどうなるのか……
女神様が力をくれたとき、全身が痛む中、傷がじわじわと埋まっていく感覚があった。
もし、授かった天秤の力それ自体が僕の傷を埋め。人間の……命の平均を保っているのだとしたら……
「魔女を捕まえたあと、この力は無くなりますよね?」
僕の言葉への回答は、思っていたよりもずっとあっさりと、不安を吹き飛ばすような。そんな「肯定」の意だった。
『はい、勿論です!』
後光すら見えそうな屈託のない笑顔の女神様はこう続ける。
『それでも、貴方が考えているような事にはならないと思います。先ほども言ったように、天秤は自動的に貴方を死なないようにしてくれます。その傷も、もう塞がっているので、心配する必要はありません』
安心した。と同時に胸に穴が空くほどの傷でも治すことができる天秤の力に底知れぬ不安を感じた。
それでも、魔女が居なくなったら自分もお役御免なんて……そんな考えもあったから、ひとまず安心だ。
その後も生きていけるなら、女神様からのお願いだ、やれるだけやってみた方がいいだろう。
「わかりました。期待通りにいくかわからないですけど、なるべく頑張ってみます」
そう言ったその時、自分と女神が居るその空間が奥からだんだんと、炭酸の泡が溶けるように消えていくのが見えた。
それは人の世界と神の世界の狭間であるこの空間が消えることを意味していた。
「こ、これは?」
もう前に居るはずの女神の顔も見えない。そんな中、女神の声だけが響く。
『ノア・ベルク、貴方ならばきっと……』
◇◇◇
鼻につく消毒液の匂いで目が覚めた。
ちょっと詰め過ぎたかも




