貝殻と手紙
昨夜、ノヴァはひとり自宅に戻ると、服を着替えて、灯りもつけずにソファへ身を預けた。
長い1日だった。その日の出来事を断片的に思い出して、思考を巡らせた。
(明日、キリが来たら、もう一度あの滝を探しに行こう。ーーーキリは無事に帰れたろうか。ーーー明日も変わらず、ここへ会いに来てくれるだろうか。)
窓を打つ雨音は、途切れることなく静寂を満たしている。
それから、ノヴァはそのまま朝になるまで目を覚ますことはなかった。
ーーー
ソファの上で目を覚ましたノヴァは、体に残った鈍い痛みに顔をしかめながら、軋む身体を、ひとつずつ目覚めさせるように手足を伸ばした。
横になったままの体で深く深呼吸をして、ゆっくりと目を開いた。
切れ目のない夢の続きを、見ているかのようだった。
ノヴァはソファから起き上がると、洗面台へ向かい、水を溜めて顔を洗った。
洗面台に手をつくと、少しの間、俯いて揺れる水をぼんやりと見ていた。
ふと、洗面台の隅に目をやると、綺麗な色をした小さな貝殻が目に止まった。
(、、これは、キリがここへ置いたんだな)
キリは、気に入った貝殻を拾い集めては、自分の気に入った場所へ置いていく癖があった。まるで「ここにいたよ」とノヴァに話しかけるように。
まだ少しだけ残っていた心のざわめきは、静かに解かれていった。
ノヴァはその貝殻を手に取ると、クスッと笑みをこぼして、これまでにキリが置いていった貝殻と一緒に「Kiri」と彫られた木箱にしまった。
言葉は少なくていい。
沈黙のあいだは、雨がやさしく埋めてくれる。
雨の日は、動きやすい雨除けを着てフードを深く被り、外出する。今日のような優しい雨の日は、比較的過ごしやすい方だった。ノヴァはポットに水を入れ火にかける。お茶を入れるために湯を沸かし始めていた。
ーーコツ、コツコツ。
何かが、窓に当たる音がした。
窓の方を見ると、一羽のカモメが窓の縁に止まって、ガラス戸をつついている。
ノヴァは、すぐに窓を開けて、カモメを中へ入れてやった。風が吹きこみ、カーテンを揺らす。
「やあ、ブルー」
そのカモメは、ブルーと呼ばれていた。
誰がまいてやったのか、首にいつも小さなブルーの布切れが巻かれているからだ。彼は、住人から餌をもらう代わりに、家から家へと手紙や小包を運んでいた。
ブルーは、ノヴァの腕に飛び乗ると、大きな羽を震わせ、綺麗に畳んだ。
ノヴァは、ブルーが咥えていた小さな小包を反対側の手で受け取ると、顔に飛んできた水を、服で拭い、机の上にあったパンくずを食べさせてやった。
小包が誰から送られたものなのか、送り主の名前を探してみる。軽く振ると中からカラカラと、何かが転がる音がした。
「、、、なんだろう」
ブルーは、パンくずを食べ終わると、弾むようにして窓の方へと向かった。
窓の縁に飛び乗ると、翼を大きく広げた。
広げた翼で風を掴むと、体は浮き上がり、滑るように雨の中を飛んでいった。
ノヴァは、窓辺の椅子に腰掛けると、机の上で包みの紐を解く。
そこには手紙が入っていた。
” 親愛なるノヴァ。マドレーヌを焼いたので、今日の午後、お茶を一緒にいかがでしょう。特別なことは何も必要ありません。ご心配なさらないで。匂いにつられてしまったのか、あなたのご友人もいらしてます。愛を込めてアイリス・ムーンフェル(Iris Moonfell)”
「、、、愛を込めて、Iris Moonfell」
手紙を読み終えると、ノヴァは箱をひっくり返して中に残っていた音の正体を確認した。
箱から転がり落ちたのは、小さな貝殻だった。
「、、、キリのやつ、ここへくる途中で寄り道したんだな。ーーー今日は、探しにいけそうにないな。」
ノヴァは、軽くため息をつきながらも、どこか嬉しそうに身支度を始めていた。




