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『じゃあ普段は1人暮らしなんですね』
「そうだよ。……忙しくて散らかしちゃうから一緒に住まない方がいいだろうって啓さんが」
廃ビルを内側だけ改装したらしきその建物を、中でジュリーがくつろいでいる(?)スマホ片手に歩く。
『そうなんですか? 啓さんの部屋はそんなに汚い印象ないですけど……』
「ジュリーたちは啓さんの部屋行ったことあるんだ。……多分そのときだけ綺麗にしてた、とかだと思う。気になってたんだけど、ジュリーたちと啓さんはどういう関係?」
今住んでいる分譲マンションの最上階の部屋は、昨年4月に啓さんが用意してくれたものだ。当時、記憶がなくともわかるそのぶっ飛んだ財力と金銭感覚にドン引きした覚えがある。そのうえ言うなれば〝裏稼業〟をやっている彼女らと面識がある、となると……彼は、何者なんだろうか。
『啓さんは、腕が立つ医者です。となれば、私たちとの関係は自明ではないですか? ――その先が気になるなら、後で聞いてみてください。私の口からはお話しできませんね』
なんとなく仄めかしはしたものの、彼女はそこで話を切り上げてしまった。心なしか意地悪そうな笑みに、追及することも出来ず俺は苦笑する。
「はいはい、わかりましたよ」
今いる階を一通り見終わって――ついでに遅めの朝食も済ませて――、1フロア上に向かった。
『ところで、氷雅さんの学校生活はどんな感じなんですか?』
「そんなどうでもいいこと聞いて何になるんだよ」
スマホの画面をちらりと見ながらため息と一緒に吐き出すと、ジュリーは頬を膨らませた。
『質問してるのは私です! だって……あの暗殺者ゼレイドがどんな風に更生したか気になるじゃないですか』
「…………」
暗殺者、という単語に思わず表情が曇る。
『あっ……すいません、そういうつもりじゃなかったんです』
すぐそれに気がついた彼女のフォローには答えず、呟いた。
「前から俺と面識があったのか?」
ジュリーは少し考えこんでから、じゃあ、と一つ手を叩いた。
『こうしましょう』
得意げに、にんまりと笑う。
『私は、記憶を失う前のゼレイドについて知っていることを話す。氷雅さんは、私たちが知らない、記憶を失ってからのあれこれを話す。これで情報の等価交換、でしょう?』
なるほど、確かに筋は通っている。
これは片手間にする話ではないなと、彼女の言葉に頷き壁際に腰を下ろした。
『さて、どちらから話しましょうか?』
時系列的に言えばジュリーの話の方が先だが、俺の話の方がおそらく早く済む。
「俺が話すよ。多分こっちの方が短いだろ?」
――あの日、近くに住んでた中学生が今にも死にそうな俺を見つけたらしい。普通なら立ち入るような場所じゃないし、そもそも近隣の学生はテロ騒ぎで皆避難してたみたいだけど、そいつは学校をサボってパルクールしにあの廃ビル街に行ってたから警報も届かなかったんだって聞いた。
その後は……まあ、わかってるかと思う。身元がわからなくて親族も現れなかった俺は、本当なら施設かどこかに預けられるはずだったんだろう……けど、今は運ばれた病院の院長だった啓さんに色々あって面倒見てもらって、普通に高校に通ってる。まあ、今までの話を聞く限り、もしかしたら啓さんは最初から知ってたのかもしれないけど。
その俺を見つけたって奴は、入学先の高校で同級生になって今でもつるんでるから、もっと詳しいことが知りたいなら聞けないことはないと思う。でも、そのときの状況が凄惨であまり思い出したくないって言ってたから、できれば聞きたくはないな。
「以上……かな」
『なるほど、よくわかりました。ありがとうございます、また気になったことがあったら聞くのでよろしくお願いします』
ジュリーは画面の中で律儀にぺこりと礼をした。
『次は私ですね。どんな話が聞きたいですか?』
「どんな話って言ってもなあ……覚えてないから、何とも言えない」
『あっ、そうでした。……じゃあ、茜と凪がゼレイドと同じ作戦に参加したときの話でもしましょうか』
長くなりますよ。そう言って彼女は切り出した。
――確か、1年半かもう少し前でした。ある犯罪組織の掃討作戦に、国を跨いだ部隊が編成されたことがありました。日本からはうちの部隊員が何人かと、サポート役として私が参加しました。自分がAIだってことは隠してたんですけどね。
前々から話には聞いていたゼレイドに初めて会ったのは、そのときです。
最初に彼を見たとき、「何かが欠けている」と思いました。感情、というか……何て表現したらいいでしょう。
別に笑わないわけじゃないんです。誰かが面白いジョークを言えば、控えめに微笑むような、そんな人でした。でも――やっぱり、どこか空虚な感じがしたんです。
中身がないような――と言ったら語弊がありそうですね。考えなしとかそういうんじゃなくて……多分、「自分というもの」「確かな目的、望み」というものを全く持っていなかったんじゃないかと思います。
〝仕事〟に対してはすごくストイックで、合理的でした。「感情論」を差し挟むことがなかったからじゃないでしょうか。
だからだと思うんですけど……「自分」を軽んじる癖があるように見えました。茜はそれがものすごく気に入らなかったみたいで……。
作戦自体は当初急ごしらえの部隊であるにも関わらず連携もしっかりしていて、上手く行くように思えました。でも、途中で不測の事態が起こってしまって……失敗、とまでは行かなくてもオールクリアでは終わらないかもしれない、という状況になったんです。
とはいえそこまで事態が深刻なわけではなかったので、私はプランを切り替えてそのままリカバリーに努めようとしたんですが。
彼が、プランを変える必要はない、と。私たちの制止を全く聞かずに、作戦に穴が開いた部分を無理矢理埋めてしまったんです。
作戦は結局達成されたんですが、ゼレイドは相当無茶をしたみたいで……。アメリカの方たちは慣れているみたいでした。きっと、何かあったときはいつもそうだったんでしょう。
「俺は死ななかったし、多少の怪我は避けられないけど死なないのはわかってた。あの場ではそれが一番効率が良かった。だから別に何も問題ないだろう」って彼は言ってたんですけど、茜がそれにものすごく怒って。
普段から怒りっぽい子なんですけど、あんなに怒ってるのは初めて見ました。胸倉掴み上げて、愛銃の銃口をぐいぐい押し付けて……何かの拍子で撃ってしまわないか本当に心配しました――そんなことが起きたら、国際問題ですから。
それで、「自分のことを、もっと大切にしなさい」って半ば無理矢理約束させて……乱暴ではありますけど、茜も心配だったんでしょう。きっとああでもしないと彼はわからなかったでしょうから――ああしても、わからなかったのかもしれませんけど。
その後も、茜と凪はゼレイドと何かにつけて縁があったみたいです。まあ、茜が一方的に絡んでいたのに凪が付き合っていただけといえばそうなんですけどね。それでも……仲が良かったと、少なくとも私はそう思います。
だから、1年前のあの事件のとき、茜も凪もすごくショックを受けてました。多分ゼレイドにはどうしようもないことだったんでしょうけど、「今まで自分たちが彼と積み上げたものは全て幻想だったのか」って。
それにあのとき、ゼレイドは今までとは比べ物にならないくらいどうしようもない無茶をしました。それこそ、死ぬ気だったんじゃないかと思うくらいの。「無茶はしない」と、茜に約束したのに。
きっと昨日の茜があんなに取り乱してたのは、その辺の思いがあったんじゃないかと思います。素直になれないうえに直情的な子ですけど、あんまり責めないであげてください。
で……氷雅さんの話ですけど。
まだあまり一緒に過ごしてないからわからないんですが……今の氷雅さんは、そんな〝ゼレイド〟とは違う気がするんです。記憶がないせいかもしれないし、何か他の原因があるのかもしれません。
『――でも、私は今の氷雅さんの方が好きですし、そういう変化があって嬉しく思ってます。だから、自分の過去についてあまり思い詰めなくても、いいと思うんです』
一気に話し終えた彼女は、ふぅー、と息をついた。
変わった、か。
それでも、沈んだ思いは変わらなかった。あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
気を紛らわすようにまた立ち上がって、俺は当てもなく歩き始めた。