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花と狼  作者: riki
第三章 恋花の八花片
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33

 この世界に来てから考えなかったことはない。

 もしわたしに花としての香りがあったら……、と。


 彼らにしか嗅ぎとれない香りを吟味するかのように深々と息を吸い込み、同じだけの時間をかけて、ゆっくりと吐き出した。

 薄く開いた口元にちらつく赤色。すでに香りを味わったのか、物足りない様子で犬歯を舐る舌が艶かしい。

 騎士の顔しか見せなかった人の、それはまぎれもない“狼”の仕草だった。

 食い入るような視線がふいに逸れ、わたしは固唾を呑んでロベルトさんを見つめた。

 ……ああ、とこぼれた吐息。

 閉ざされた瞼に刻む緋は、胸に咲いた花と同じ。


 ――――これが、|《命花サンザリア》か。




 +++++++++++++++




 任命式の後、ロベルトさんに抱えられたまま意識を失ったらしい。

 自分の荒い呼吸で目覚め、状況が把握できずにいたわたしにシラーさんが教えてくれた。すぐにでも彼に謝りに行きたかったけれど、薬湯を飲んでも熱が下がらず、吐き気と全身のだるさで起き上がるのもつらかった。

 日本では滅多に風邪もひかなかったのに、環境が変わったせいでしょうか?と尋ねたら、シラーさんは難しい顔で首を振った。


「疲労にしては長引きすぎています。誓約の影響はもう消えているでしょうし……」

「ごめんなさい、いつも、ご迷惑をおかけして……」

「気に病む必要はありません。わたくしは八花片の世話役ですから。――本調子ではない花に無理を強いた者が悪いのです」


 トーンの落ちた後半は聞いていて冷汗をかくような凄味がこもっていた。

 原因がわからないから、と仕事熱心なシラーさんによって様々に煎じられる薬湯は、苦いえぐい酸っぱいのバリエーションに富んでいて、わたしに一刻も早い回復を決心させた。

 四日もすると微熱に下がり、吐き気もおさまってきた。手足のだるさは少し残っているけれど、そろそろ起きても大丈夫だろうか……長く寝ていると歩けなくなりそうで心配になる。

 床に足を下ろしかけたところで、シラーさんがトレーを手に入ってきた。


「どうしました?」

「元気になってきたので、少し体を動かそうかと……」


 安静を言い渡されていたので、肩をすくめて水色の瞳を窺う。

 トレーを置いたシラーさんはわたしの額に手を当て熱を測ると頷き、ベッドから椅子に座るまで手を貸してくれた。


「食欲も戻ってきたようですから、軽食を用意しました」

「わぁっ、おいしそうです! ありがとうございますっ」


 湯気の立つ器にはすいとんのような汁物が入っていた。食べてみるとじゃが芋のお団子で、もちもちしていておいしい。玉ねぎの甘みが溶けだしているスープ、浮かんだ木の実は煎ってあるようで香ばしい。ぺろりと完食してしまった。

 食後の薬湯を飲んだわたしの前に、茶器が用意された。寝込んでいる間は匂い消しのお茶が免除されていたのだ。そのかわりシラーさん以外の面会はなかったけれど。

 濁った緑色の液体がカップになみなみと注がれる。


「シラーさん……」

「飲まないことにはこの部屋を出られませんよ」


 そうだ、わたしは王様に呼ばれているんだった。

 任命式が終わったら再びお城へ行かなくちゃならない。突然王花の庭に現れた説明を求められるのだろう。不審者として閉じ込められたことを思い出すと憂鬱な気分になる。

 教会に属する花として危険な目に遭う可能性は低いとしても、行きたくないな……。

 わがままなのはわかっている。テュリダーセに来ると決めたのは自分自身で、郷に入っては郷に従え、ハールベリスの法や習らいに従うのは当然のことだけれど。

 憂鬱になるのは自分が失敗しそうな不安もあるからだ。下手なことを言ってロベルトさんに迷惑をかけたくない。そのために事前の情報収集が重要だとわたしは学んだはず。

 無知から引き起こす失敗を最小限に減らすために、今できること。

 落ち込みそうな心を奮い立たせ、わたしはシラーさんにハールベリスのことを教えてもらうよう頼んだ。彼女は考える間を置いた後、「お茶を飲むまでですよ」と言って口を開いた。


「あなたは恋花の八花片ですから、教会と王の関係を知っておいた方がいいかも知れません。まずはこの国の成り立ちですが、以前神が《花》と《狼》から男女を作った話をしましたね。わたくしたちは一組の男女から始まり、やがて大陸中に散らばっていったと言います」

「もとはひとつの民族だったということですか?」

「ええ。一説に祖はルルカであったと云われていますが、本当のところはわかりません。大陸の北にはフブール山脈と呼ばれる非常に嶮しい山があります。山脈の踏破を目指した群れがハールスのはじまりです」


 今でこそ造船技術が発達して船で行き来できるようになったが、昔のハールス人は山脈を徒歩で越えるしか手段がなかったそうだ。多くの人が道半ばで命を落としたらしい。

 天然の城壁というには険しすぎる山脈の向こうは、楽園ではなかった。他国が攻めてくることはなかったが、長く厳しい冬は人々を苦しめた。大地を開墾し、住居を整備し、生活の基盤が整ってようやくハールスは国として歩み出した。広大な草地で牧畜と狩猟をしていたハールスが、次に目を向けたのが海だった。身近な漁場へどう繰り出すか。


「山岳地帯に暮らすルルカ、恵み豊かな森を抱くトリスタンは、海を渡る必要がありません。ラウハイと国交を持つ国がわが国に限るのは、他国が航海技術を持たないからです」

「ラウハイは? 島国なんですよね」

「釣り船ぐらいは出すでしょうが、彼らは排他的な気質で滅多と国を離れません。貿易のためにハールスへ渡ってくる狼はいますが、花を伴うことはごく稀です。ゆえに興味を煽り、“秘された花”と珍しがられて教会に庇護を求める例もあったようですね」


 日本の鎖国を連想してしまったのは内緒だ。黒船にあたるシラーさんには言えない。

 陸と海から食料を得て、ハールスの人口は徐々に増えていった。人が増えれば争いがおこる。互いに助け合って国を大きくしてきた群れに起こる争いは、花を巡るものだったらしい。


「その頃は教会が保護機関として機能する前で、花の境遇は悲惨なものでした。狼の社会は実力主義です。強い狼が周囲を制し花を手に入れていました」


 群れの頂点に君臨した狼は何人もの花を侍らせていたこともあるそうだ。けれど栄華の夢も長くは続かない。より若く強い狼が台頭し、やがてトップの交代劇がおこる。

 勝利者から勝利者へ。花が物のように奪い合われていた中、傷ついた花を世話していた教会に噂を聞きつけた花が助けを求めて集まるようになった。日本でいう駆け込み寺のようなものらしい。

 神官の働きかけもあり、国を挙げての保護政策が施行に至った。

 ところが純粋な力だけでは花を手にすることができなくなり、怒った狼が無理やり花を襲う事件が頻発した。そこで選りすぐりの狼が組織され、教会と花を守護することになった。ロベルトさんたち神聖騎士だ。

 教会の庇護を受け、傷ついて亡くなる花が減った。他国に比べてハールス、ハールベリスは花の数が多いらしい。女性の数が増えれば生まれる子供も増える。さらなる人口の増加を受けて国土を広げていたハールスは、そこで思わぬ壁にぶつかったそうだ。


「花が寒さに弱いのは知っていますか?」

「はい、わたしもすごく寒がりなんです」


 冬の寒さは苦手だった。手足が紫色になって、かじかんだ指先から全身凍ってしまいそうに感じた。大げさな話じゃなくて、真冬は使い捨てカイロがないと外出できなかった。


「北領では花の住める地は限られていたのです。一定の区域を過ぎると《狼》は生きられても、《花》は死ぬ。群れの一部はやむなくハールスを離れ、海を南下しました。そしてたどり着いた地に興したのがハールベリスです」


 当初は国としての体を成さなかったらしい。ハールス人が北領に去って久しく、山脈の反対側には別の群れがいた。大陸でいえば辺境にあたる地に暮らしていたのはトリスタンの三氏族。地の利は彼らにあり、ハールべリスは苦戦を強いられた。

 シラーさんたちから見れば建国のための戦争。でも、その氏族から見ればきっと……。

 ハールベリスが辛勝をおさめ、トリスタンの群れは散り散りに森へ消えた。本国から物資と人を供給されるハールベリスは奪った地を拠点に発展を遂げるが、度重なる残党の襲撃に悩まされ続けた。


「今から二十年ほど前、南伐と呼ばれる大規模な残党狩りが行われました。その討伐軍を指揮し、目覚ましい戦功をあげたのが現王です。功績を認められて彼は王になりました」


 そこで歯車が狂ったんでしょう、シラーさんは険しい目で呟いた。


「慈悲なき|《月神シックザール》の計らいか、本国に招かれた王は出逢ってしまった。祝賀の宴で彼を祝福した八花片。どんな報償もいらないと、王はあの方を連れ帰って王花に据えた」


 押さえた口調の中に、強い炎がもれ出るようだった。あの方、とシラーさんが呼ぶ人。前にシラーさんが教えてくれた恋花の八花片のことだろう。

 淡々と語られる歴史を興味深く聞いていたわたしは、突然生々しい感情に触れ、おそるおそる尋ねた。


「でも、戦争に勝ったから、強いからって花を手にすることはできなくなったんですよね?」


 強者だけが花を奪うことができる、その仕組みを崩したのが教会ではなかったのだろうか。


「原則はそうですが、ハールベリスは本国にとって無視できない立場になっていたのです。大陸に進出してルルカと国交を持ったことが一番大きな理由です。ルルカから流入する知識、技術、武器などは、すでに本国にとってなくてはならないものになっていましたから」


 ハールベリスとの関係が悪くなれば、直接的にルルカと交易できないハールスは困るらしい。


「本国にはもうひと方、寧花のセントポーリア様もいらっしゃったので、二輪あるのなら一輪ずつ戴くが公平と唱える狼もいたのです。愚かなことです……。教会も黙って見てはいませんでした。アリウム様がペレルの港に着かれると同時に保護しました」


 この部屋の前の主、名前はアリウムさんというらしい。

 シラーさんは教会の中で知り合ったのかな。


「保護することができて、よかったですね」


 教会に保護されたなら安心だ。神聖騎士が守ってくれるもの。

 わたしの言葉にシラーさんは悲しげに首を振った。


「保護できたのは一年間だけでした。残党の首領を討った王の名声は高まる一方で衰えを知らず、逆に教会が非難をあびるようになりました。確かに国を安定に導いたのは王でしょうが、花を褒美に欲しがるなど野蛮なトリスタンとどこが違うのかっ。時勢に逆らいきれなかった教会にも非はありますが、王は望むべきではなかった……」


 暗い怒りに見えた色は、後悔だった。

 話に聞く限り一個人の力でどうにかできる状況には思えないけれど、シラーさんは止めたかったんだ。でも止められなかった。


「アリウムさんは、王様のことが好きじゃなかったんですか?」


 お見合いでも最初は知らぬ他人同士から始まる。相手をだんだん知っていって好きになることもあるんじゃないだろうか。わたしの言葉にほろ苦い微笑みを浮かべ、シラーさんは淡い水色の瞳を細めた。


「――あの方は本国に想う《花狼》がいたのです」


 幼い子供を見守るような目は、わたしのまだ知らないこと、たぶん恋や愛を経験した大人の目だ。切なさや痛みも含んでいるのに、それでもどこか幸せそうな、複雑な感情が入り混じった瞳。どぎまぎして落ち着かない気持ちになる。


「王花として囲ったあと、王はアリウム様を離宮から一歩も出すことはありませんでした。誰にも会わせず閉じ込めていたのでしょう。わたくしたちが耳にできるのは噂だけでした。離宮の庭一面にアリウム様が好きな花を植えているとか、王の跡継ぎが生まれたとか、アリウム様自身の声も思いもわからないまま、ある日突然悲報が届きました。万全な警備を敷いていたはずの離宮で、なぜ、どうしてアリウム様は亡くなったのか、詳しいことは発表されませんでした」


 内容を理解するにつれ、さあっと頭から血が下がった。

 わたしが目覚めた庭はそんなに重要な場所だったんだ。

 亡くなった経緯が発表されていないのなら、事情を知っているのは一握りの人たちだろう。王宮側にとって、いきなり離宮に現れたわたしはただの不審者以上に意味を持ってしまったのかもしれない。

 王花の庭に、恋花の八花片。……何の繋がりもないと言ったら信じてもらえるだろうか。

 神様っ、偶然にしてもひどすぎるよ!

 ますます王宮へ行きたくなくなってしまった……。


「高位の花は国の宝、失ったことはどう言い訳しようと王の落ち度です。乗り気でなかったアリウム様を引き渡した教会は反省し、二度と強引に花を奪うことができないよう王と約定を定めました。王権に逆らわず傅かず、花が望む場所で暮らし、花狼と引き離されることのないよう――。王は、承諾しました」


 王様を敬う様子がないのは察していたけれど、はっきり嫌悪の滲む声音だった。

 王国と名のつくハールベリスで、王様と張り合えるほど教会の権力が強い訳がわかった。

 鍵はアリウムさん。どうして亡くなったんだろう?

 今も強い後悔に囚われたままシラーさんに、してあげられることがあるといいんだけど……。

 わたしは溜息を吐きながらえぐいお茶の攻略にとりかかった。

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