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花と狼  作者: riki
第三章 恋花の八花片
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 お茶が少しずつしか減らないのはまずいからで、時間稼ぎではありません。

 シラーさんの話を聞きながらちびちびとカップの中身を減らす。


 王制の国だけど、教会はある意味王様以上の特別な権力を持つそうだ。

 保護した花を、狼と引き合わせること。

 教会は花と狼がパートナーを見つける場を提供しているのだという。

 高い塀でがっちり囲い込んでいるから両者には出逢いがない。異常に警備の厳しい全寮制の女子校みたいなもので、ばりばり花嫁修業中! でも肝心の彼氏は募集中……状態になってしまうんだろうな。


「花が花狼を、狼が主花を探す場が《花結びバンケット》です。教会に属する限り、緋紋の花は全員出席を義務付けられています。階級の釣り合う花と狼を引き合わせるのが目的ですが、狼からの申し入れに制限はありません。位階の高い狼の命花が必ずしも高位の花であるとは限りませんからね。いずれにせよ《花請いフラーゲン》を受けるのも断わるのも、最終的な選択権を持つのは花の側です」


 教会主催のお見合いは花結びというらしい。

 教会の収入ってどうなってるんだろうと思っていたら、国をあげての保護制度だから、国から給付金が支払われるのはもちろんのこと、花結びに参加する狼から高額の参加料をもらって運営しているそうだ。

 花結びに参加できたとしても、男女比からいって花狼になれるのは一握り。

 それでも年頃でフリーの花とお近づきになれる機会は花結び以外になく、狼たちはせっせとお金を稼ぐしかない。参加料が高額なのは、養う甲斐性もないくせに花狼になりたいなど百年早い!と貧乏な狼をふるいにかけるためで、ぼったくりではないらしい。


「お金持ちがいいのはわかりますけど、階級ってどういうことですか?」

「花は高位になるほど広く強く狼を惹きつけます。護る力のない者には託さない、花結びに参加する狼は厳選されているのです。花狼は一生を左右する存在です。流されて安易に誓約を交わすなどあってはならないことです」


 グサリと言葉が刺さる。暗にどころではなく、ロベルトさんとわたしのことをさしているんだろう。

 水色の瞳はあと七枚の花片を簡単に与えるなと戒めている。

 でもシラーさんの言い方はちょっと変わったと思う。花だって狼の一生を左右する。わたしがよく考えずに誓約したことを責められるのは当然だけど、ロベルトさんを悪く言わないでいてくるのが嬉しい。


「ハールベリスには大きくわけると王族、貴族、平民がいますが、高位の花結びに参加するのはほぼ貴族です。貴種、すなわち“強さ”です。強い狼は高位の花を得て強い子孫を残す、そこには自然と血統に優劣が現れます。ですが位階の低い狼でも、《命花》との間になら強い子ができる場合があります。現王も世襲ではなく、南伐の功績において王になったのです」


 腕力、知力、財力、統率力。すべてに抜きん出た狼なら王様にのし上がることも可能だなんて、実力主義もここまで一貫していると感心するほかない。

 ちなみにロベルトさんは士爵リッターという位階で、「騎士」と名のつく人は全員士爵位らしい。

 士爵と男爵フライヘーアは本人限りの名誉称号で領地はないけれど、伯爵グラーフ以上になると領地と私兵を持てるから、安全安楽に暮らしたい花は領地付きの狼を狙って花結びに参加するそうだ。

 花というだけで引く手あまた、狼に生まれたらライバルがいっぱいだなんて、聞けば聞くほど狼に厳しく花に優しい国に思える。ひどいと文句を言ったけど、ひょっとして神様はじゅうぶん場所を選んでくれたんだろうか?


「花はいずれ教会を出ることはわかりましたが、逆に教会にくるのはいくつぐらいですか? わたしのように神聖騎士の人が見かけて保護するんでしょうか?」

「そういう場合もありますが、現在この国で暮らす花は蕾のうちに来る者が多いでしょう。野にあって蕾がほころべば争いを呼ぶは必至、大抵は五歳を迎えるまでに近くの小教会へ入ります」

「小教会?」

「ハールベリス全土を一つの教会が管理することはできませんから、教区と呼ぶ一定区域で分けているのです。一つの教区の中にはいくつかの小教会と、祈りの聖堂を持つ聖堂教会があります。小教会で育った蕾は緋紋に変わる前に、それぞれの教区にある聖堂教会へ集められます」


 花が狼を惹きつけるのは香りが出てから。襲われやすい緋紋の花を聖堂教会にまとめるのは戦力を分散することなく、強固な守りを敷けるからだと説明された。もっとも警備が厳しくなるのは花結びが開催される日で、監視の目は蟻一匹見逃さないそうだ。

 かといって小教会の警備が緩いことはなく、蕾のうちに攫って育てようという紫の上計画を考える不埒者は、神聖騎士が使いものにならないまでに潰すとのこと。


 わたしがいるのはグラナート教区の聖堂教会で、王都ヒンメルには他にもザフィーア、スマラクト、ペレルなどの教区があり、グラナートは王宮に一番近くて規模も大きな教区らしい。

 わたしがこの教会にきたのは近かったのが理由なのかな。

 基本はひとつの教会ごとに生活が完結していて花の行き来はほとんどない。敷地は広く、主教や神官、神聖騎士、それに先生、調理人、仔狼など世話をする人、かなりの大所帯になるそうだ。

 物資などの流通に困るんじゃないかと思ったら、教会御用達になりたい狼が五万といるらしい。

 「少しでも教会と繋ぎを持ちたいのですよ」と言ったシラーさんは、「それで条件が甘くなると考えるのは向こうの勝手ですが」と冷めた口調で付け足した。


「主教は何をする方なんですか? カルステンさんは主教で、ダールガンさんは首座主教なんですよね?」

「主教は花の登録や神聖騎士の叙勲、教会全体の取りまとめを行います。小教会を任された者を《主教フューレン》、聖堂教会を任された者を大主教と呼びますから、正確に言うと御二方は大主教ですね。首座主教というのは、ハールベリスの主教連を総括する立場の大主教です」


 二人とも想像よりずっと偉い人だった。

 今さらのように冷や汗をかきながら、全然偉ぶったところがないから気づかなかったのも仕方がないよね、うん、と自分で自分を慰めておく。


 国のトップである王様と教会代表をする首座主教。ともにハールベリス発展に力を合わせていた両者の関係は、アリウムさんの死をきっかけに亀裂が入ってしまったそうだ。

 花の望む場所で暮らせるなど、王様との約定で手を握りなおしたように見せかけて、一皮剥けばいがみ合いが続いているらしい。

 トリスタンという共通の敵がいなくなったことも、不満が身内に向く原因なんじゃないだろうか。

 わたしが王宮に呼び出された件は正当な理由だから断らないけれど、つき従う神聖騎士の数は威嚇でしょうね、と告げられた数。予定で三十人って……!

 驚いていたら、八花片を守るためにはもう三倍いてもいいくらいです、とさらりと言われた。

 なんでも譲歩したのは王様が護国騎士を五十人護衛に寄こすかららしい。向こうの顔を立てつつ教会の意を通した数が三十人。

 わたしひとりのために、総勢八十人……?

 総理大臣でもこんなに護衛はつかないと思う。一緒に来てくれるのはロベルトさんとクラウスさんの二人だと思っていたから、ずらっと並ぶ騎士に囲まれた自分を想像して怖気づいてしまった。


「あの、そこまで厳重に警護してもらわなくても大丈夫だと思います。今からでも人数を減らしてもらうことってできないんでしょうか?」

「――あなたはもっと自分の価値を知らなければなりません」

「でも、わたしは匂いがしませんし……」


 逃げてるわけじゃない。事実を言っただけなのに、シラーさんにとがめられていると感じたのは、どこかに卑屈な思いがあったからだろうか。


「見えるものが全てではありませんよ。存在すること、それだけで意味をもつこともあります。あなたは水面に投じられた一石。波紋がどこまで広がるかわかりませんが、この国に変化の波を起こすでしょう。現に王と首座主教は八花片あなたを挟んで向かい合った。これは十四年来なかったことです」


 …………わたしがいるだけで、意味をもつ?

 はたして良いことなのか悪いことなのか、シラーさんの表情からはどちらとも読み取れなかった。


 目に見えない重圧がかかり、手の中のカップが急に重くなったみたいだ。

 ハールベリスのことを知るほど、自分が置かれた立場がどんなものかわかってくる。

 大きくなったらお姫様になるのが夢だった。今なら無知からくる憧れだと苦笑いできる。

 唯一の存在なんてちっとも素敵じゃない。普通の女子高生でいたときは自分が自由だと気づいていなかった。周囲の見る目、期待される能力、自分に応えられる力がないとこんなにも苦しい。

 わたしの心の中に駄々をこねる子供がいて、理不尽だ、望んで八花片になったんじゃないのにっと大声で叫びたがっている。

 口に出せない言葉を、ゴクリとお茶で飲み下した。




 +++++++++++++++




 ノックの音で目が覚めた。

 シラーさんを見送ってから、以前もらった教科書を読んでいたんだけれど、ウトウトしてしまったようだ。

 何時だろう? 傾いた陽が部屋をオレンジ色に染めている。

 扉を開けるとエリカさんが立っていた。はじめて会った日の再現みたいだと思ったのはわたしだけではないようで、しばし見つめったあとお互いクスリと笑ってしまった。


「具合はどう? ……あまりよくなさそうね」

「いえ、熱は下がったので楽になりました」


 寝起きで声がかすれていた。動こうとするわたしを制止し、「あたしが入れるわ」と言いながらエリカさんが水をくんでくれる。

 エリカさんの金髪に夕日が当たり赤金色に輝いていた。菫色の瞳も今は赤色が濃い。

 午後の講義も終わったのだろう、水差しを持つ彼女の爪にうっすら入り込んだインクが学校を思い出させた。

 シャーペンで手が黒くなるまで黒板を書き写したこと。消すのが早い先生のときなんか指がつりそうって友達と悲鳴をあげてた。カラフルにしすぎてどれが重要だかわからなくなったノート。

 十日も経ってないのに、もう遠い記憶のようだった。遠いのは日本にいたころを思うからだろうか。戻らない日々を懐かしむたび、伸ばした手の先に何もないことを思い知る。

 忘れたくないから神様にお願いした。大切に抱えてもってきたはずの思い出が、テュリダーセにきてからおこった様々な出来事に押しやられてしまう。

 記憶が風化するものなら、せめて心に流れる時間はゆっくり過ぎていけばいいのに。

 ふとした瞬間にわきおこる郷愁は胸をぎゅっと締めつけるから、息が止まって、涙がこぼれそうになる。


「大丈夫? どこか痛むの?」

「……いいえ。お水、ありがとうございます」


 目を瞑って大きく深呼吸する。

 心配そうに顔を覗きこんでくるエリカさんに向け、笑顔でお礼を言った。

 記憶喪失を装う限り吐けない弱音。見せられない感情は笑顔の裏に隠すのが一番だ。

 そういえばロベルトさんも笑顔が多いなと、わたしはぼんやり思い返していた。



 二人でテーブルを囲んだところで、「そうそう、シラー先生がひどく怒ってらしたわ」とエリカさんに言われてギョッとした。よく話を聞くと、任命式の直後からわたしが寝込んだせいで、「本調子ではないのに無理をさせた」としてシラーさんが狼の面々を叱り飛ばしたらしい。

 ジークベルトさんにまで注意するなんて、本当に最強なのはシラーさんじゃないだろうか。体力のないわたしが原因なのに皆さんすみません……。

 情けない顔をしていたのか、エリカさんが慰めてくれた。


「気にすることないわよ。今回は八花片に花護がいないことを教会が焦った結果でしょうし」

「教会が? 花護がいないとまずいんですか?」

「体裁という意味ではなく、あなたの安全という意味でまずいでしょうね」

「匂い消しのお茶を飲んでいてもですか?」


 我慢してあのお茶を飲んでいるんだから、効果を発揮してもらわないと空しすぎる。

 菫色の瞳がきゅっとつり上がった。


「今すぐ、《花》としての意識を改めなさい。過信は油断につながるわ。花護が決まっても第一に自分の身を守るよう注意すべきはリン、あなたよ。教会は閉じられた場所じゃないわ。物や人が出入りする。一花片も八花片も花に変わりはないけれど、より狼の理性を掻き乱してしまうのが多花片なの。あなたが危険に鈍感であれば、守る者は何倍も苦労するでしょう? あたしたちは一方的に庇護される立場じゃないわ。自衛を忘れて寄生するなら、散らされる覚悟も持つべきよ」


 甘えるな、と言外に告げられた。

 絶対に安全な場所はない、危険を減らせるだけ。任命式が終わってほっとしていたけれど、身を守りたいならわたしがしっかりしないといけないんだ。もし何かあれば責められるのはロベルトさんたちだ。


「……とはいっても、実際狼に襲われたら力では絶対敵わない。だから教会の中でもあなただけに注意を向けて、あなただけを護る存在が必要というわけ。一度窓の外を見てみるといいわよ」


 厳しい口調をやわらげ、エリカさんは頬杖をついて微笑んだ。

 窓の外……?

 熱を出して以来、ベッドから眺めるだけだった窓に寄る。

 高所恐怖症だから高いところは苦手だ。クラリとする高さから見下ろすと。


 ――あっ!

 窓枠に置いた手に力がこもった。

 長く伸びる影。神聖騎士が一人、こちらに背を向けて立っている。顔は見えないけれど夕日に染まることのない髪、わたしと同じ黒髪なのは彼だけだ。

 額がガラスにぶつかり、冷たい感触に笑ってしまった。窓に張りついたって視力がよくなるわけじゃないのに、必死になる自分がおかしい。

 上、見てくれないかな。

 声も、聞こえないだろうな。

 ……何をしてもお仕事の邪魔になるよね。

 かかる息にガラスが白く曇った。

 駄目、見えなくなっちゃう。

 酸欠ぎりぎりまで眺めてから、窓を離れてぷはっと息を吐く。鼓動が速い理由は肺の抗議だけじゃない気がした。

 すーはー呼吸を整えていると、「リン、リン」とエリカさんが手招きしていた。キラキラした瞳は魅力的だけど、近寄りがたい雰囲気なのはどうしてですか。


「……ええと、なんでしょうか?」

「彼とはどういう関係?」


 エリカさんに見られていることをすっかり忘れていた。

 わたしはその場に固まって、どう説明しよう……と頭を悩ませた。

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