ゴブリンの試練 その後
「無事に帰ってこれてよかったね」
「へい。本当に……」
棘に触れないよう、採取した一角草を大事に持つゴラッパーが、心の底から同意するように頷いた。炎のベールで守られていた俺とは違い、ゴラッパーは怪物たちとサシで向き合っていたのだ。あんな目に遭えば、住み慣れた土を踏む安心感もひとしおだろう。
強烈な旅を終えた俺たちは、土の縄張りを歩いていた。ちょうど、俺がレプラコーンと出会ったあたりである。ゴブリンの洞窟はもう目の前だ。
改めて、難易度高めの試練と聞いてはいたものの、まさかケルベロスやバジリスクなんて大物が登場するとは思わなかった。ケルベロスに関しては、ゴラッパーの特技が存分に生かされたわけだが、バジリスクの場合は、エキドナ草の水薬がなければ、確実に命を落としていただろう。
「お二人がいてよかったでやんす」
「そうね。アンタ、本当に運がいいわ。わたしたちに会えてラッキーだったわね」
「うん。俺はともかく、フレイアがいなきゃ、正直無理だったと思うよ。この試練、歴代の長もクリアしてきたんでしょ? どうやったんだろうね」
中には銀貨三十枚を選択した者もいただろうが、歴代のゴブリンの長たちは、精霊やそれに準ずるものの手を借りずに、一角草を採取してきたはずだ。眷属を種で見守る精霊たちはきっと、特定の個体に肩入れはしない。フレイアが手を貸してくれた今回は、かなり例外的なケースだろう。
「そうでやすね……」
ゴラッパーがぼんやりと応じた。何だか気のない感じだ。
たとえ事実でも、命がけで試練を達成したゴラッパーに、フレイアなしでは無理だったと発言したのはまずかっただろうか。気に障ったのかもしれない。あるいは、ここに来て旅の疲れが出たか。旅先で気を張っている間は案外平気なものだが、家に帰ってきた途端にドッと疲れが押し寄せてくるのは、よくあることだ。
しかし、隣を歩くゴラッパーの表情からは、そのどちらも読み取れなかった。
「ゴラッパー? どうしたの?」
ゴラッパーは顎に手を当て、首を傾げている。何かを考え込んでいる様子だ。
「なにか気になることでも――」
「――ああああああっ!」
ゴラッパーが突然大声を出し、固まった。バジリスクの魔眼にやられたときのように、瞬きすらも忘れて硬直している。よっぽど重大なことに思い当たったらしい。
「なによもう、ビックリするじゃない。どうしたの」
フレイアが目を丸くして尋ねる。
ゴラッパーは俺とフレイアの顔をぎこちなく見回し、ゴクリと唾を呑み込んで、言った。
「一角草はオレたちゴブリンじゃなくて、オーガの試練でやした……!」
「え?」
俺はポカンと口を開けた。
「どういうこと?」
「ゴブリンの長になるための試練は、泉の妖精から金の武器をもらうことで……一角草の採取は、オーガの長になるための試練でやした……」
ゴラッパーが消え入りそうな声で言う。
泉の妖精なら、俺も会ったことがある。ポケットから落とした根付ノームを金のノームに変えてくれた。嘘が嫌いな妖精だから、欲を出さず正直に答えれば、木の棒でも金に変えて返してくれるはずだ。難易度は低いといえるだろう。
強いて難所を挙げれば、行動範囲が狭いとされるゴブリンでは、泉に辿り着くのに少し骨が折れることだろうか。だが、泉の妖精は土の縄張りにいる。道中に危険はない。せっせと足を動かせば、必ず成し遂げられる試練である。
たしかに、その内容なら、ケット・シーにも八つ裂きにされるらしいゴブリンに相応しい難易度だろう。
納得する俺の隣で、フレイアはわなわなと震えている。
「ア、アンタねぇ――!」
「ひいっ」
「何をどう間違えたら、そんなことになるのよ!?」
ひぃいい、とゴラッパーはいつもの調子で頭を抱えた。その姿を見ながら、俺はフレイアの言葉を思い出していた。
――ゴブリンって、頭がよくないのよ。
道理で難易度が高いわけだ。何度も言うが、フレイアがいたからこそ達成できた試練である。ゴラッパー単独で成し遂げられたとは、とても思えない。否、ゴラッパーと言わず、ゴブリンが一体の力でクリアできる試練ではないだろう。
実物を見たことはないが、伝承のオーガは、立派な太鼓腹をした巨体のモンスターだ。ゴブリンよりも大きく、力もあるオーガの試練なら納得である。
「……で、これってどうなるの?」
ゴラッパーはゴブリンではなく、オーガの試練を達成してしまった。
ぽつりと呟いた一言に、フレイアとゴラッパーは動きを止めた。
「そうね……違う妖精の試練をクリアしたって、何の意味もないけど――」
「や、やり直しでやんすか……」
「……でも、オーガはゴブリンの上位種だから、試練は有効なはずよ」
落胆するゴラッパーの横で、フレイアの眉間に皺が寄っていく。
「しかも、オーガは今、長不在じゃなかったかしら……」
「えっ。待って、それって―――」
俺はフレイアと顔を見合わせた。
「なんでやすか?」
一体分かっていない様子のゴラッパーは首を傾げている。フレイアが何とも言えない顔で、残酷な事実を告げた。
「アンタがオーガの新しい長よ」
「……へ?」
次の瞬間、ゴラッパーの大絶叫が響いた。
「ひぃいいいいい!?」
「うるさいわね。そういうルールなんだから、仕方ないじゃない」
「そ、そそそんな、困るでやんす! クジョウどのぉ……」
「俺に言われてもなぁ」
妖精のルールなのだ。俺が何とかできる範囲を超えている。
「クジョウに泣きつかない! 元はといえばアンタの勘違いが原因でしょ」
「そ、それはそうでやすが……」
「これ以上は、アンタたちゴブリンとオーガの問題よ」
「そんな殺生な! 『拙者、少々切ない心境。友よ、変わらぬお付き合い希望』でやんす――!」
「ちょっと舞い上がってるじゃない!」
ぎゃあぎゃあ。
なおも言い合う二体を前に、俺はそっと左胸から「今すぐカエルくん」を取り外した。
ゴラッパーの思わぬ昇進に不安はあるが、芋ラップが出るくらいなら大丈夫だろう。言葉とは裏腹に、本人は喜んでいるようだ。
フレイアの言う通り、ここから先はゴブリンとオーガの問題であり、それ以上はノームの出番だ。俺にできることはもうない。落ち着いた頃に結果を教えてもらおう。妖精のルールを知るのは俺の仕事だ。
「さて――え?」
いつまでも俺たちがここにいては、ゴラッパーの踏ん切りもつかないだろう。
一旦帰還しようと、カエルくんの腹を表にしたそのとき、俺の右肩から水の子がピョンと飛び降りた。そして、瞬きをする間もなく、俺の身体は水流に巻き込まれていった。
◇
「連れ戻してすまぬな」
「どうしたの?」
水流に連れられてきたのは、見慣れたウンディーネの森だった。ウンディーネが俺につけた分身を操作するのは、初めてのことだ。よっぽど急ぎの用があるのかと思いきや、案に相違して、ウンディーネに焦ったような素振りはない。
ちょいちょい、と手招きされる。誘われるまま、数歩近付いた俺の目の前に、突然サファイアブルーの美しすぎる顔面が現れた。
「わっ」
「クジョウよ」
「う、うん、なに?」
この距離はアリシアさん以来だ。つまり、女性慣れしていないクジョウに耐えられる距離ではない。しかし、不思議と、頭が沸騰するような火照りは感じなかった。
黄金比を乱さない、ウンディーネの絶対的な美貌は、人間が恋焦がれる次元を超越しているのだ。度を越えた美しさは、ときめきすら凌駕することを俺は知った。
さながら芸術を鑑賞している気分で、ぼうっと目の前の主に見入る。
両の眼に嵌め込まれた珠玉の宝石、完璧な比率を再現したバランス、そして、梅干しを食ったような酸っぱそうな表情。
「そなた、小娘に会うたようじゃの」
「あ、うん」
ウンディーネは実に面白くなさそうな顔で、「小娘め」と呟き、いつもの距離に戻った。
そういえば、俺が不在の間に、思春期の娘を持つ電話交換手をさせられたウンディーネは、ちょっとした仕返し――俺が焔の兄妹と鉢合わせないようにしていたのだった。しかし、俺が土の縄張りに出向いたことで、普段からケット・シー王国を訪れているフレイアと出くわしてしまった。いくらウンディーネでも、他の縄張りでの出来事に干渉するわけにはいかない。否、ウンディーネだからこそ、他の精霊への配慮がある。
「わらわとしたことが……」
ウンディーネは悔しそうだが、フレイアが土の縄張りに来るのを予想するのは難しいだろう。普段はサラマンダーの縄張りにいるはずだし、ゴブリンの洞窟で出くわしたのは偶然だ。だが、ウンディーネはどこか呆れたような顔になった。
「何が偶然なものか。じゃが、そなたがそうであるうちは、言わぬが花じゃの」
「え?」
「気にするな。それより、そなたを呼んだのは、それじゃ」
一転して含み笑いに変わった主は一方的に話を終えると、俺の血だらけの手――ではなく、血まみれの一角草を示した。どちらにしても事件の匂いがする。ウンディーネはちょっと顔を顰めた。
「一角草?」
ウンディーネは頷くと同時に、無造作に片手を振るった。
水の粒子が俺の右手に集まってくる。見る見るうちに腫れが引き、血だらけだった手はすっかり元に戻った。一角草の輝きからも凄惨さが消え、再び癒しの使い手のような顔をしている。だが、俺はもう騙されない。きみは、白く輝くチクチクした嫌らしい薬草だ。
「ありがとう」
「うむ。クジョウ、そなた、それをそのまま持ち帰るつもりじゃろう」
「え……うん。そのつもりだけど」
「そう思って呼んだのじゃ。どれ、わらわに寄越してみよ」
言うが早いか、ウンディーネがひょいと俺の手から一角草を受け取る。
「ほれ」
次に差し出されたときには、この一日で随分と見慣れた小瓶に形を変えていた。
「一角草の水薬……?」
サクランダケやエキドナ草のように主張の激しい色味ではない。無色透明な液体だ。
「此方の植物は皆、我ら精霊や妖精と繋がりを持っておる。ゆえに、そなたの世界では形を保てぬのじゃ。大事に抱えて帰ったところで、すぐに枯れてしまうじゃろう」
「大事に」のところで、ウンディーネは俺の右手を見た。
どうやら、採取した一角草をそのまま持ち帰っても、毒消しの効能どころか、薬草の体裁さえ保てないらしい。それでは、大事に抱えて帰る価値はない。水薬にしてしまえば、あちらの世界でも効果を得られるようだ。
「分身を通じて、そなたが水薬を拵えておったのは知っていたからのう。エキドナ草とくれば、我らの縄張りの外じゃ。あのあたりには、珍しい薬草が生える。一角草は代表格じゃの」
つまり、ウンディーネは、水の子に水薬作りをお願いしたときから、俺が一角草を持ち帰ってくると踏んでいたのだろう。さすがは主である。眷属の行動はお見通しだ。
だが、それよりも俺が驚いたのは――。
「このためにわざわざ連れてきてくれたの?」
「一角草には高い効能があるが、それゆえ採るのも一苦労じゃ。そなたの汗水が報われぬのは忍びない」
「ウンディーネ様……!」
苦労して採ってきた一角草がダメにならないように、ウンディーネはわざわざ俺を呼びつけてくれたのだ。本当に眷属思いの精霊である。どこかのお調子者とは大違いだ。ちなみに、今回の冒険で主に苦労したのはゴラッパーだが、これはあえて言わなくてもいいことである。クジョウは、主の労いを独り占めすることにした。
それに、一角草に関しては、俺も片手を犠牲にしている。最終的に、俺が採った分は余ってしまったが、せっかくならあちらの世界に持ち帰りたい。一角草は、ユニコーンの聖なる性質から生まれる薬草だ。ユニコーンがいなければ栽培はできないわけだから、持ち帰っても、あちらの世界の生態系を壊すことにはならないだろう。
「土産が手に入ったところで、そなたは一度、彼方へ戻るがよい。疲れた顔をしておるぞ」
「え、そう?」
言われて疲労に思い当たる。そういえば、当初はゴブリンに銀貨を返すだけのつもりだったのだ。俺がゴラッパーをナンパしたところから妙な縁が生まれて、成り行きでトリオ旅に出発してしまった。
レプラコーン、ケルベロス、バジリスク、ユニコーン、そしてゴラッパー。今回の渡航では、いつも以上に妖精たちと出会うことができた。さすがにお腹いっぱいだ。
眷属思いのウンディーネに、もっと感謝を伝えたいところではあるが、当の主は穏やかな目つきでこちらを見ている。主のお言葉の通り、帰還を決めた俺は、今度こそ「今すぐカエルくん」の腹を撫でたのだった。




