四畳半からのラブレター
「――そこで、御社の企業力強化メソッドにつきまして、ぜひとも詳しくお話を聞かせていただきたく……」
世の中は本日も平常運転で、実に安定した不公平を実現している。
社会のはみ出し者が孤独を好むとは限らない。
彼らは共同体に背を向けたのではなく、共同体から背中を押されたのではないか。
臭いものに蓋をするのは簡単だ。ぬるま湯は心地いい。
けれども、常識を疑い、厳然たる事実から目を背けないことでこそ、実存を獲得することができるのではないか。
アウトローを生み出す社会構造のリアルを伝えたい。
そのために、俺はジャーナリストになる。
と、どこかで聞いたようなフレーズまみれの陳腐で青臭い演説を披露したのは、高等部修了を目前に控えていた俺で、両親は、ぬるいこんにゃくを頬に当てられたような、何とも言えない顔で、「とりあえず二年間だけ好きにしてみなさい」と言った。
だが、当時の俺は、有り余るエネルギーで膨れ上がり、頭がハイになっていただけ――要するに、典型的な「若さ過ち急行」に乗車していたにすぎず、「社会構造のリアルを伝える」具体策も終ぞ持ちえぬまま、気付けば約束の二年まで残りひと月を迎え、当時の情熱はもはや、髪の毛一本ほども残っていなかった。
ところが俺は、「俺がバカでした。仕送りください」と頭を下げられないくらいには、人並みの羞恥心を捨てられない面倒くさい男だった。
とにかく約束の二年間だけは何としても我が身を養うと、くだらない覚悟を決め、本日も細々とジャーナリストの真似事を続けている。
とはいえ。
「どうせここもダメだろうな……」
原稿一本いくらの仕事を、死なない程度に回してもらっているだけの三流――どころか、日曜ライターにも及ばないようなもぐりだ。どこの企業が取材を受けようと思うだろうか。
そんな酔狂な広報のいる企業はとっくに潰れている。
「はぁ……」
ポチ、ポチ、と、惰性で人差し指がデリートキーを押す。
数打っても当たらない下手な鉄砲、打率ゼロの取材交渉メール。
その宛名が一文字ずつ消えていく。
そこは、この数十年、経済界に君臨するご立派な複合企業で、リクルート倍率は常に三桁を記録する超大手だ。
そんな大層なお相手が俺なんかの取材を受けるはずのないことは、火を見るより明らかではあるが、創業者兼会長のご令孫が俺の同期――になっていたかもしれない男なのだ。
とある出版社の採用試験で少しばかり顔見知りになり、大方の予想通り、俺だけが落ちた。
そこから奴は、私生活で拾った謎の石を紹介する意図不明な記事を書き、早々に使い物にならないと烙印を押されるかと思いきや、なんとこの石がレアメタルを遥かに凌ぐ代物で、紙面の余白を埋めるためだけに書かれたどうでもいいはずの記事目当てに、雑誌は飛ぶように売れ、俺の予想を大いに裏切り、入社二年目にして過去最高の売り上げを記録してしまった。
恵まれている奴には運も味方する。
いけ好かない、実に安定した不公平だ。
そして、そんないけ好かない同期――になっていたかもしれない男にすら、一縷の望みをかけようとしている自分に溜息が出る。
「――ひと月前、会社設立による異例の記者会見を行ったネスタ社。そのネスタ社の出資人であるゴードン・ライト氏は、まことしやかな都市伝説ではないかと囁かれていたほど、謎に包まれた人物です」
ワイドショーから、滑舌のよい女性キャスターの声が聞こえてくる。
超大手の企業名に引き続き、「御中」まで消そうとしたところで、俺は指を止めた。
ネスタ社。
設立からひと月で、今や全国民がその存在を把握していると言っても過言ではない有名企業だ。
その理由は、出資人のゴードン・ライト氏にある。
ネスタ社は、「世界の発展及び防衛のための諸研究」を行う会社だそうだ。
国家機関か、あるいは秘密結社めいた言い回しだが、ネスタ社は完全に独立した企業であり、国家との関連は一切ない、らしい。
記者会見では、「ゆくゆくは国家権力や軍事、政治との結び付きが想像されるが」との際どい質問に対して、銀フレームの似合う女性社長がこう答えていた。
「我がネスタ社は、国家権力とは完全に切り離された中立機関であり、国家に限らず、一切の利害関係者を有することはありません」
この場面は何十回とワイドショーで取り上げられ、そして、それを可能にしているのが件のライト氏である、との流れが飽きもせず、ひと月経った今でも繰り返されているわけだ。
ゴードン・ライト氏は、国家予算を優に凌ぐ財産を保有している超資産家だと言われていた。
ただし、実際に姿を見た者はおらず、また、一国以上の資産など、あまりにも現実離れしているため、何年も、否、何十年もの間、その存在は都市伝説として流布していた。
ところが今回、ネスタ社は設立にあたり、出資人はゴードン・ライト氏であると明言した。
この発言は都市伝説マニアを大いに喜ばせ、あるいは落胆させ、そして、お茶の間にあっという間に広がった。今や街中のどこに行っても、市民はゴードン・ライト氏の話題に夢中だ。
国家予算超えのスポンサーがついているのだから、大抵の企業が苦しむカネの問題で、ネスタ社が揺さぶられることはあり得ない。ただし、反対に、ネスタ社が資金に物を言わせ、たとえば国家の調達を引き受けるなんてことは、いくらでもできるわけだ。
だが、記者会見で女性社長は、一切の利害関係者を有することはないと断言した。
あの素敵な女性が嘘を吐くとは思えない。否、思いたくない。
あの発言はきっと真実で、ライト氏が出資を決めたほどのネスタ社は、汚いカネの使い方はしない優良企業なのだろう――というのが、俺の願望だ。既にジャーナリズムの欠片もない。
「ライト氏に負けず劣らず、ネスタ社も、その多くが謎に包まれています。既に複数の報道機関が取材の申し込みを断られたとの情報が入っています」
女性キャスターの声が少し不満げな色を帯びる。
「大々的に記者会見を行っておきながら、以降の情報開示は一切ありません。これは、経営戦略の一環と見るべきでしょうか」
「情報は引き出されるものではなく、与えるものといった認識ですかね。ライト氏がバックにいる影響なのか、いささか傲慢に映りますな」
どこぞの有名どころのパネラーが煽りを加える。
記者会見以来、沈黙を貫くネスタ社の口を、なんとかこじ開けようとしているのだろう。どこもかしこも、ネスタ社を取材したくて仕方がないのだ。
ネスタ社は、現実のゴードン・ライト氏に繋がる唯一の手掛かりと言っていい。ネスタ社に取材を取り付けることさえできれば、誰も成し得ていないステージへの階段を上ることができる。
たとえ、ライト氏の話題を聞き出せなかったとしても、「独占取材」「初公開」「見逃し厳禁」――煽り文句のオンパレードで、話題性抜群の記事を発表することができる。
「……俺もなぁ」
ジャーナリスト気取りの寿命は残りひと月。
黒歴史間違いない演説を打ったんだ。
一度くらい、話題性のある取材を――挑戦をしてみたかったものだ。
そう、どうせ俺なんか相手にされるわけがないんだし――。
半ば自棄になって、消去しかけたメールに宛名をタイプする。
「ネ・ス・タ・社――いや、どうせなら――」
生ける都市伝説に当たって砕けろだ。
勢いで送信ボタンを叩き、
「あ、やべ……」
直後に自らの失態を悟った。
ゴードン・ライト御中。
敬称を書き直すのを忘れていた。
「……まぁ、いっか」
どうせ、何百通も来るメールのうちの一通だ。
そもそも開封すらされないに決まっている。




