絶望スパゲッティの希望(2)
重美の新居は、朔太郎の住む街の駅前にあった。駅まで徒歩数分の距離だった。美玖が勤めているスーパーにも近い。
三階建てのアパートだったが、先月に新しく建てられた所のようで、壁も屋根もピカピカだった。玄関のオートロックで、まだまだ新築の香りがしそうだ。
重美の部屋は、ニ階にあったが、南向きで日当たりも良い。ワンルームだそうだが、広々とし、住み心地も良さそうだ。
インテリアもシンプルに纏められ、六十過ぎの女性の部屋である事が信じられないぐらいだ。可愛いぬいぐるみやアニメキャラクターのポスターやアクリルスタンドも飾られていた。「推し」のスペースもあり、この部屋からは今の日常を隅々まで楽しんでいる気持ちが込められているよう。
「重美さん、この部屋よく借りられらわね」
「実は息子の友達が不動産関係者でね。ちょっと融通してもらったの!」
美玖と重美はおしゃべりに花を咲かせていた。ワンルームだが、二人がけの食卓もある。三人でそこを囲んでいる現状は、少々狭いが、女性二人は楽しそうだった。
「重美さん。これ、一応引越しのお祝いです」
朔太郎は紙袋に入っているプレゼントを渡した。中見はイタリア産のパスタ、オリーブオイル、塩胡椒などがセットになったギフトセットだった。料理が好きだった重美。特にイタリアンが大好きだったので、喜んで貰えると夫婦でセレクトしたものだった。
「わあ、ありがとう」
一見、重美は喜んでいるように見えたが、一瞬だけ眉間に皺がよったのが見えた。もっとも重美は年相応に皺があるので、見間違いかもしれないが。このプレゼントのセレクトもあまり良くはなかったのだろうか。
同時にチャイムがなり、重美は玄関の方へむかった。
その隙にキッチンの方を見てみたが、片手鍋一つだけが目立っていた。他には目立った調理器具がない。料理好きの重美のイメージと合わない。この狭い一人暮らし用のキッチン。オーブンもないキッチンで、重美はこれに満足できるのか? 朔太郎は違和感をもった。
「じゃーん。今日はお祝いのピザだから」
重美はピザの平べったい箱を抱えて、食卓の方に戻ってきた。
「え、ピザ?」
これには美玖も驚いていた。以前の重美はこういったパーティーでは、必ず手料理だった。重美の手作りピザも食べた記憶がある。数年前の事だったが、あの時は「料理って本当に楽しい」という想いが伝わってきたのだが、どういう事だ? この数年で一体何があったのだろうか。
「もう私は料理なんて全部辞めたんです。毎日の料理も外食かスーパーの惣菜ね。出前も美味しいし、何か問題ある?」
重美は不自然なほど、明るく笑いながらピザの平べったい箱を開けていた。むわっとチーズや肉、油の濃い匂いが部屋に漂い始めた。こってりとした照り焼きチキンピザだった。表面のチーズや肉は綺麗に焦げ、見た目だけは食欲をそそられたが、この匂いは初老の朔太郎には重い。あの能力がなくても食べたくないピザだった。
実際、一口食べると劣悪な環境の厨房が見えた。床にはネズミがいたし、バイトはイライラしながらピザ生地を焼いていた。「バ畜つら過ぎる!」という想いでピザを焼いているようで、全く美味しくない。思わず顔を顰めてしまう。美玖も微妙な表情を浮かべていたが、重美はニコニコ笑顔で食べていた。
「もう料理なんて作らない。本当は大嫌いだった。解放されてスッキリしているところ。こんなピザも美味しいし、今の私はとても幸せ」
本当にそうか?
そう語る重美は、確かにニコニコと笑顔だったが、なぜか自分に言い聞かせているようにも見えた。まるで自分で自分を洗脳しているような印象だった。痛々しくも見えてしまうのは、なぜだろう。
あのパスタセットのプレゼントは、失敗だったかもしれない。プレゼントを渡した時、一瞬嫌がっているように見えたのは、勘違いでもなかったようだ。
「そんな、重美さん……」
こんな重美に一番ショックを受けているのは、美玖だった。ピザに齧り付く重美を見ながら、困惑を隠せていない。
「どうして? 料理好きじゃなかったの? 私に料理教えてくれたのも、嘘だった?」
その美玖の声は、泣きそうに震えていた。
「そうじゃないけど、料理なんて作っても何にもならないからね。いくら愛情込めて作っても無駄だったのよ。そう、全部無駄だったの」
美玖の困惑も無視し、重美は再びピザに齧り付いていた。




