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狼を狩る者  作者: 丙子
2章 会戦
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2章3話

 軍議が終わってから四半刻(30分)が経っている。

 さすがにカリナも怒りは収まっていた。というより、自身のことよりシラッドの様子が気になっている。近衛兵に引き上げた引け目もあった。近衛兵にならなければ、あのような散々な目には遭わなかっただろう。

 少しの懺悔の中、手綱を引くシラッドを何度か盗み見る。


「――聞きたいことがあるのですか」

 後ろも振り返らずにシラッドが発した。

「え、ええ。ごめんなさい。気になったかしら」

「……まあ、それなりに」

 そのまま後ろを振り返らずにシラッドが言った。

 彼はいつもどこか不機嫌そうな声色なので、怒っているかは分からない。

「……ねえ、貴方怒ってる?」

「いえ、特には」

 シラッドが嘆息するように言った。

「ホントに?」

「ええ。さきほどの軍議のことを言ってるのでしょう。なら、自分は怒ってはいません」

「けれど、あれだけぞんざいな扱いを受けたのです。そんなはずはないでしょう」

 現にあの場にいたカリナは、怒りで身が裂けそうだった。思い出すとまた腹が立ってくる。

 

 シラッドが少し振り返り、楽しげに口元を緩める。一体、何が面白いのかはカリナは分からない。

「……ああ。あれは主演から端役はやくまでがみな、名演技をした茶番劇ですよ」

 だから怒るだけ損ですよ、とシラッドはそっけなかった。

「え?」

 言っている意味が良く飲み込めず、カリナは目を白黒させた。

 そんなカリナの様子が面白いのか。目尻にしわを寄せながら、横目でシラッドが話し出す。

「誰かが道化師にならないと話が進まなかった、ってことですよ。そしてヒューム将軍らは、道化師を演じる気は微塵もなかった」

「ちょ、ちょっと待って。意味が良く分からないわ」

 理解に苦しむカリナに、シラッドが言い放つ。

「……彼らは何があろうと作戦進言に関する言質げんちを取られることを避けた。――つまり、あのままでは軍議が延々続いた、ということです」

「馬鹿なっ。すぐそこに敵がいるのです。いくら保身を第一に考える彼らだって、そこまで愚かではないでしょう」

「なら何故あそこまで軍議が長引いたのです?」

「そ、それはグラン王国軍が前代未聞の戦術を用いたからです。慎重になるのは仕方がない」

 嘘だった。言っているカリナ自身、言い訳じみているのが分かる。軍議がはじまってすぐ、司令部の総意はまとまっていたのだ。司令部の面々が責任を半ば放棄していたから、軍議が長引いたとは言いたくなかった。身内の恥というよりも、祖国の腐敗ぶりを直視したくないというのが本音だった。


 冷めた調子でシラッドが言う。

「……総長は、確かグラン王国との戦が軍人としては初任務でしたよね?」

「そうです」

「今までの戦でここまで戦況が不明瞭……いや、異常だったことはありましたか?」

「ないわ」

 どこかシラッドの顔に陰が差す。

「なら、異常な状況下で保身にひた走る貴族たちの振る舞いを、本当の意味では知らないということですね?」

「……そうですが、――もう、回りくどい言い方はやめなさいっ。ハッキリ言いなさい」

 少し、間を溜めたあと。

 シラッドが言い放つ。

「――彼らはもう本戦のことなど眼中にありません。神経を尖らせているのは、その先。あの場での自分の振る舞いが今後、政治の場や自身の進退にどう影響するか、です」

「っ!」

 遠慮のない言葉にカリナは体を固くした。分かってはいた。ただ、そのことを認めてしまうと身震いが止まらなくなる。国の在り方を変えたいという想いには偽りはない。そのために対峙しなければならないのは、ヒュームたちのような者たちだった。話せば分かるとまでは言わないが、少なくとも同じ土俵にいると思っていた。

 それを目前の東方人は違うと断じた。言い返したかった。けれども何を言えば良いのだろう。分からなかった。


 構わずシラッドが続ける。

「もちろん、そうではないと思える武人気質の出席者も幾人かは見受けられました。が、あの方たちも迂闊には動かない、というより動けないでしょう」

 カリナは納得したようにつぶやく。

「……幾人かの者には心当たりがあります。確かに彼らは高潔な武人です。そんな彼らが動かない理由というのは何? 保身のためではないでしょう。教えて?」

「国をうれいているからですよ」

 シラッドは寂しげな顔をしていた。

「憂いているからこそ、自身の失脚はどうしても避けねばならないのです。ヒューム将軍のような俗物をこれ以上のさばらせないためには、同等の権力を持っていなければ、愚策をまき散らすのを止めることすらできません」

 カリナは唇を噛み締める。

「信じたくはないけれど、……そこまで……」

「ええ。残念ながら、あなたの国はそこまで腐敗しています」


 シラッドが静かに言う。

「あの軍議では、そのことが如実に出ていました。行軍中にもかかわらず、敵ではなく身内を向こうに回してやり合うなど、愚の骨頂としか言いようがない。しかし、あのままただ手をこまねいているわけにもいかなかった。……そこで、オーラン将軍は自分に白羽の矢を立て、現状を打破――平たく言えば責任を負わせようとしたのでしょう」

 カリナはすぐさま否定する。

「そんなはずはないっ。オーラン将軍は立派な武人です。そんな姑息なことをするはずはない。あの呼び出しは、以前、遊撃隊としてキエナ大森林に侵入した貴方の意見を聞こうとしただけです」

 そして、シラッドが血気はやって作戦を進言、責任を取ることになった。オーランはシラッドを呼び出した立場上、シラッドの進言に対する責任を連帯したまでのこと。カリナはそう理解している。


 今度はシラッドが否定した。

「いいえ。違います。……どう言ったものか。そうですね……おそらくですが自分を呼ぶ前、業を煮やしてか、総長自身が作戦に関する責任を取ろうとしたのでは?」

 カリナは当たり前のように答える。

「その通りです。それがあの場で最善の策と考えました。皇族が負うべき責務とも矛盾しない」

 違うかしら、とでも言うようにカリナは双眸を強くした。

 対してシラッドが、やはりそうか、とでもいうように首を振った。

「……総長。あなたのそういう部分は嫌いではないが、責任の取りどころを誤ってはいけません。最終的に責任を負うのと、自ら責任を負うのとでは、持つ意味が全く違います」

「なっ」カリナは驚く。

「オーラン将軍から聞きましたが、あなたは皇帝に即位するのでしょう?」

 オーランがそこまで話していることに驚いたが、彼がシラッドを信頼していることが分かった。カリナにとって、その事実は心強い。そして嬉しいものだった。

「――そうです」

「なら、もう少しよごれてみなさい」

「どういうことかしら」

 シラッドの言葉にやや挑発的に反発する。

蜥蜴とかげの尻尾切りと同じです。本体である貴方が致命的な傷を負ってしまったら、どんな崇高な志を持っていたとしても幕引きです。だから、いつでも切れる尻尾をいくつも用意しておく必要があるのです。オーラン将軍は自分を呼び付け、それをあなたに見せました」

 カリナは嫌そうに言葉を吐く。

「そういうやり方は好きではないわ」

「好き嫌いだけでは皇族としての責は果たせない」

 シラッドが言い切った。


 シラッドは傭兵から近衛兵になったばかりの者のはずだ。にも拘わらず二の句を告げさせないほどの説得力は何だろう。そう思いながら、得も言われない圧力に気圧されないようカリナはシラッドを睨む。

 けれども、カリナの圧力はシラッドに軽く流された。言葉が被せられる。

「良いですか、総長。戦争や政治の場では往々にして、全くうま味がない事柄でも誰かが貧乏くじを引かねばならない状況というのがあります。あの場が正にそうでした。そして、そこであなたは自分から貧乏くじを掴もうとした。被害の有無について推察するしかありませんが、何かが起きた場合、それは必ずあなたの傷になる。皇帝を目指すあなたは、それを絶対避けねばなりませんでした」

「くだらないわ」

 シラッドの講釈に対して、カリナは一蹴した。

「ええ、くだらないことです。ただ、そのくだらないことに全神経を傾ける人間がいることをもっと危険視しなければなりません。小さな傷かと思うかもしれませんが、そういった人間には十分です。……綻びの始まりなどは存外、小さいものです」

 シラッドが一息ついた。


 カリナは初め、何も知らない娘を扱うようなシラッドの言動にそれなりに腹を立てていた。しかし話を聞いていくうちに、シラッドがそこまで考えていることに驚く。

 宮廷で学ぶ帝王学とは違い随分と生々しい事例ばかりだが、どんどんと自身の中に彼の言葉が入ってくるのが分かった。

(何なの、この男は)

 そう思う反面、不思議と興味が止まない。


 城内の豪奢な円卓で行われるまつりごとでは何も変えられなかった。保守的な意見を述べるしかない文官たち。前例。前例。前例。もうその言葉は聞き飽きていた。彼らは、国をどうしたいのであろうか。いつもそんなことを思っていた。

 だからこそ皇帝になり国の在り方を変えなければならない。そう息巻いていた。が、正直、何をすればよいか分からず、カリナは今も暗中模索の中にいる。


 思わずカリナは吐露してしまう。

「私は祖国を蘇らせたいの。もう侵略国家と呼ばれるのは嫌。もう一度、太陽が昇る国と呼ばれたい。……ただ貴方から見ると、私なんて理想論を吐くだけの小娘なのでしょうね……」

「いいえ、全く。自分は、あなたのそんな高潔な信念が嫌いではないですよ。殿下」

「え?」

 呼称が殿下になっていた。彼から聞くその響きは心地良い。

 そうして。柔らかい笑みを浮かべながらシラッドが発する。

「国民に夢を見せ続け、未踏の道を切り拓き、裏でひとり苦悶する。――それが国を背負う人間の業ではないでしょうか」

 買いかぶりすぎよ、といわんばかりにカリナは首を振る。

「そこまで立派なものでない。ただ足掻こうとしているだけ。それだけよ」

「結構じゃないですか。足掻いて、泥にまみれて、それでも理想には届かないかもしれない。けれどいしずえはできる」

「……ならば、私が進もうとしている道は間違っていないのかしら」

 いくばくかシラッドが逡巡しゅんじゅんした。

「……肯定して欲しいですか?」

 ハッとする言葉だった。

「――いいえ。他人に求めることではありませんでした。これは私の問題です。……忘れて頂戴」  

 シラッドがどこか嬉しそうにうなずき、そして尋ねた。

「……ひとつ言わせてもらっても」

「構いません。何でしょう」


 彼は大きく息を吸ったあと、静かに言葉を紡いだ。視線を前に向け、どこか遠くを眺めているようにも見えた。

「……俺は、自らの責務を放棄して故国を捨てた。進むべき道に迷い、最後は国を捨てるという選択をした。けれど。あなたは自らの責務を真っ向から受け止めようとしている。それがとうとい。生まれのことなどではない。あなたの底に紛れもなく存在する天資が貴いのだ。……大事になさい。いつかきっと国を照らす光になるはずだ」

「――っ」

 あまりの衝撃で言葉が出てこなかった。

 ただ彼が言い終えると、トクン、と胸の奥から何かが跳ねた。

 初めて垣間見たであろう彼の一面。初めて見せた顔、言葉。そして、経験したことがないほど高なる胸の鼓動――

 それらすべてが一気にカリナを襲い、支配している。シラッドから眼を離せなかった。

「シラッド、貴方は一体――」


 やや熱を帯びた声をこぼしそうになった矢先、大地を踏みしだく馬蹄音がせわしく聞こえた。音がした方に視線を移す。

 前方の丘から早馬が駆けてきた。騎乗している斥候兵は背を極限まで丸め、斜面を疾駆してくる。そして割れんばかりに声を張り上げていた。

「前方っ! およそ二千ヤードに敵! 陣形は横列。接敵目前っ! 繰り返す。接敵目前っ!」

 斥候兵はそう言い放ちながら、前列から後列の方へと駆けて行った。報告を聞いたアラトリア帝国軍の各所から喚声かんせいが轟く。


「……いよいよ、か。……総長、自分は本職に戻ります」

 そう言うシラッドの黒髪が一瞬、怪しく艶めいた。さきほどとは異なる顔になっている。一切の感情を消し去り、抜き身の刀のように双眸を鋭く備えていた。戦人いくさにんの顔だった。

 その顔は、カリナが今まで戦場で見た顔のどれよりも無機質だった。少しの戦慄と寂しさを覚える。そして。何故か泣き出してしまいたい気持ちがこみ上げきた。

 そんな感情を押し殺し、シラッドを送り出す。

「……承知、しました」

「それでは」

 間髪入れずカリナから視線を振り切り、シラッドが腰の黒刀に手を添え踏み出した。

 行ってしまう。そう思い、思わず声をかけてしまった。

「シラッド。気をつ……」

 出かかった言葉を飲み込んだ。軍を率いる者が一介の兵士にかける言葉としては、いくら何でも分別がなさすぎる。その代わり、憂慮ゆうりょの面持ちでシラッドをじっと見た。

 シラッドが、ほうっ、とした眼をしたあと健やかに笑う。

「そんな顔が見られるのなら、たまには従者の真似ごとも良いですね」

「――なら、死ぬことは許しません」



 

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