2章4話
「総員。準備は整っているな!」
愛馬であるシュリの鞍上からシラッドは声を張る。
「ああ、問題ねえ。オメェがいねえ時に確認しといた」
バラルが愛斧を片手で上げた。シラッッドはうなずく。
シラッドとバラルは、傭兵の時と同じ兵装だった。両者とも防具といえば簡素な革鎧のみ。機動性を重視していた。
シラッドの得物はダマスカス刀、それと短槍と投げ槍だった。槍は先日、兵営内で売り時を逃し、うなだれていた商人から二束三文で買い叩いた。
バラルは、幾多の血がしみ込んだ戦斧(全長三メートル)を携える。馬上からでも十分歩兵に届く片刃の大斧だ。
シラッドは、これから一緒に戦場に赴く者たちに話しかける。
「バラル以外とは、実戦で肩を並べるのは今回が初となるな」
シラッドはバラルのほかに7人の部下を率いる。バラル以外はみな正規の近衛兵であり、有力貴族の子弟だった。
アラトリア帝国軍騎兵隊は機動性を重視するため、基本的には体をくまなく覆う板金鎧は身につけない。
部下たちを見回すと、全員、揃いも揃った出で立ちだった。頭部の守りのみを意識した兜、体には胸甲、手甲と具足。手には近衛騎兵用の騎槍(三・五メートル)を携えている。胸甲の左胸には、太陽の中に2頭の獅子が描かれた――アラトリア帝国の紋章が刻印されていた。
兵装と打って代わり、面構えは揃っていない。シラッドを強く見返す者、好意的な眼を浮かべる者など態度は様々だった。が、誰一人として戦に尻ごみしている様子は見られなかった。
近衛兵にしとおくのは勿体ない連中ではないか、とシラッドは内心でほくそ笑んだ。
ただ、どの分野にもはみ出し者はいるものだ。
オーランによると、シラッドに任された彼らは上官との喧嘩や軍律の遵守をしない不良近衛兵という。ただ、兵士としての器量は悪くはない。要は用兵次第ということだ。
つまり傭兵と変わらない。そうシラッドは判断した。シラッドは傭兵の扱いは慣れている。だからこそオーランはシラッドの下に彼らを付けたのだろう。
「知っていると思うが俺は東方人だ。そのため帝国流の用兵はしない」
一旦部下たちを見据え、シラッドは口端を吊りあげる。
「……なに、退屈はさせん」
シラッドの言葉を受け、バラルが大仰に肩をすくめた。
戦場において好まれる上官とは、早い話、生に対する嗅覚が働く者――臨機応変に振る舞える者だった。概して、そういう人間は部下の扱いが上手い。
対極にいるのが生え抜きの騎士隊長だった。こういう手合いは常に状況が変わる戦場においても、司令室の命令を馬鹿のひとつ覚えのように繰り返すため、まったくもって始末に負えなかった。
そういう意味では、シラッドは先の戦で第一遊撃隊を生還させた実績がある。アラトリア帝国軍のほとんどは遊撃隊が生きて戻ってくるとは思っていなかっただろう。
けれどもシラッド率いる遊撃隊は、死神のエスコートを払い帰還した。しかも、最大級の戦果を携えてである。
不良近衛兵たちも、その点は良く知っているのだろう。さきほどからシラッドを見る眼はどこか楽しげだった。
この隊長なら俺を上手く使いこなすかもな、と。
シラッドは居住いを少し整え、言い放つ。
「間もなくグラン王国軍に向け進軍する。我ら近衛兵特別班の任は三つ。最優先すべきはカリナ総長の守護、次いでキエナ大森林に斥候するヒューム将軍の支援」
一旦、言葉切る。
「最後は、お前らが最も得意とする遊撃である。……特別班など大層な隊名が付いているが、まあ、我らは独立愚連隊のような部隊だ。遊撃が主な任務となる。なに、安心しろ。カリナ総長の守護はお前らとは違い、規律正しく品位がある近衛兵たちが行う。……これ以上、家名に泥を塗らずに良かったな」
一同がどっと笑う。
部下の中でも、屈強な体躯を持つハンスが問う。
「隊長。俺らの配置はどこです?」
「ハンス。心配するな。オーラン将軍率いる第一陣に参列できるよう話は通してある。栄光と死の両方を天秤に掛けれるぞ。……お前がどっちを掴むのかが楽しみだ」
さきほどより大きな笑いが起きた。
第一陣への参列を希望した理由は、もうひとつある。ヒュームの動向だった。彼はキエナ大森林への斥候を自ら申し出た。当然、シラッドもオーランもそのままの意味で受け取ってはいない。ヒュームの性格を考えれば、斥候の任を自ら担うなど考えられなかった。
けれどヒュームの狙いが分からない。
オーランは騎兵隊の指揮を執るため手が回らないことから、代わりにシラッドがヒュームの動向に目を配る役を引き受けることにした、というわけである。
* * * * * * * *
曇天の中、ガルカタ平原を舞台に、アラトリア帝国軍とグラン王国軍が対峙している。戦場となる地形は、ほとんど平地に近い扇状地で、騎兵の機動戦法に最適な地勢だった。距離はおよそ千ヤード(九百メートル弱)。
アラトリア帝国軍の兵力は一万。眼下の敵兵を威圧するようにして、ガルカタ平原の丘の頂に端然と並ぶ。先頭から騎兵隊二千、歩兵隊七千、傭兵隊千の三列による縦列隊形を敷く。
対して、グラン王国軍の兵力は二千。キエナ大森林を背に、歩兵と弓兵(長弓ではなく弩)の混成部隊が横列隊形を敷く。
両軍の睨み合いが続く中、淀む空に甲高い音が響く。アラトリア帝国軍の軍楽隊が鳴らす喇叭の音だった。次第に軍鼓の音も混じり音色は幾重にもうねる。
軍楽隊の役割には、自軍の士気高揚や敵国に会戦開始を伝える意味を持つ。が、会戦前の同行為は、半ば時代遅れの一途を辿っていると言える。
しかし、歴史を持つ国(特にアラトリア帝国のような国)には、自国の誇りを満たすといった意味でも上手く機能していた。
音を響かせるのはアラトリア帝国軍のみ。グラン王国軍は何も反応を示さない。恐怖を振り払うための蛮声もあげず、ただ、沈黙を保ったままだった。
風が舞い上がるガルカタ平原の丘で、喇叭と軍鼓の音と兵たちの喚声が一層高まる中、アラトリア帝国軍総長であるカリナが、長剣を天に颯爽と掲げた。煌びやかな金髪が風にたなびく。
今までの喧騒が嘘のように止む。
全軍が息をつめカリナに注視している。みな、次の言葉を待っているのだ。
「――これまで。貴い命が数多く失われた。我らは、自軍の兵、戦友、敵兵の御霊の上に立っている。そのことを忘れるな。血が流れるのは本戦が最後だ! 武器を持つ手を固く握れ。心を奮わせろ。掴むはひとつ。勝利のみ! ――全てを終わらせるっ!」
大きく息を吸い込み、そして、カリナがグラン王国軍に向けて剣を振りかざす。
「全軍、突撃イィィィィ!」
突撃の号令と同時。
そう思えるほどの迅速さで、総勢一万にのぼるアラトリア帝国軍が一斉に大地を踏みしだいた。土けむりが盛大に巻き上がり、丘陵の一部が崩れるのではと思うほどの揺れが襲う。
* * * * * * * *
戦端が開かれた。
先行する騎兵隊は一糸乱れず、同隊それ自体がひとつの騎槍のような縦列で、グラン王国軍に向け馬蹄を轟かせる。正確には、将軍や指揮官を頂点とした楔形隊形(五十~百人規模)が、等間隔に配置されている。
多関節を持った槍のような隊列は、戦況に合わせて、一瞬の間で縦にも横にも陣形を変更させることができる。
丘の上から駆ける騎兵隊は速力を上げ、その衝撃力はますます高まっていた。
一番槍を飾るはオーラン率いる騎兵隊六百。騎兵たちは脇に騎槍(六メートル)を抱え、上下に律動する馬上にもかかわらず、槍も視点も乱さず疾走している。シラッドも同隊の最後方にいる。
息つく間もなくグラン王国軍に迫る。同国には陣形変更の動きは見られない。身の丈以上に翼を広げる鳥を思わせる横列陣形のままだ。その距離あと五百ヤード。
先頭を駆けるオーランが、騎槍を高く掲げ、大きく旋回させた。
その所作を見た騎兵隊の速度が、ゆるやかに変わっていく。先行隊の中で、ひときわ重装備の騎兵が最前線に横一列に並んだ。数は百。重騎馬だった。アラトリア帝国軍騎兵隊には珍しく、騎士はみな鉄製の板金鎧を装備し、騎馬にも鉄製の鎧を身につけさせている。手にはカイトシールドを持つ。同盾は、騎乗した際、細くなった盾の下部が足元を守るようになっている。
すぐさまオーランが下知を飛ばす。
「そろそろ弩から矢が飛来するっ! 連射はきかんっ! 第一射を受け次第、第一列は左右に散間。第二、三列は先行して左右に展開して横腹からの横撃。後続隊はこのまま前進。敵陣中央をこじ開けるっ!」
弩は、重装騎士殺しの異名を持つほどの貫通力を持つ。飛距離も十分(三百メートル以上)で、長弓ほど高い技術がなくても扱える。その半面、一本の矢をつがえる装填時間がかかるという欠点があった。
長弓を扱えた熟練の弓兵はシラッドがキエナ大森林で叩いてある。長弓部隊が主力だったグラン王国軍としては一番辛い点だろう。今回の弓兵は即席部隊というのが明白だった。
ここまではさすがだな。シラッドは手綱を操りながらそう感心した。グラン王国軍の兵装の推測や、それを踏まえた対策は申し分ない。
あとは長槍(五メートル)を構えた歩兵をどう捌くか。勇名を馳せるアラトリア帝国騎兵隊の錬度の見せどころだった。
シラッドは、鞍の横に取りつけた筒から投げ槍を一本抜き出す。騎槍を突き出しながら突撃する騎乗戦法を行うつもりはなかった。軽騎馬の機動性を活かしつつ、接近攻撃と遠距離攻撃を使い分けるつもりだった。
三百ヤードに距離が縮まると、グラン王国軍の第一列から機械仕掛けの射出音がうなる。弩から矢が一斉に放たれた。矢がアラトリア帝国軍の重騎馬隊に襲いかかり、十数騎が、どうっと崩れる。
第一射を受けるとすぐさま、オーランの指示通り第一列が左右に散開した。すでに第ニ、三列(合わせてニ百)はグラン王国軍の横腹を突くように左右に展開していた。
それを見たグラン王国軍の歩兵隊が混乱する。長槍の穂先が様々な方向を向く。個々が判断したため、穂先は側面や前方、と統一感を欠いていた。騎兵に対して長槍が持つ、せっかくの防御力が散漫している。司令官不在の代償が如実に表れていた。
その機を逃す騎兵隊ではない。
行軍速度を抑えていた後続の騎兵隊三百が、グラン王国軍の結節点が乱れ出したところへ狙いを定める。騎士たちはみな、馬腹を絞り上げ騎槍を前に突き出した。完全な突撃態勢へと移行していく。
騎兵による三方攻撃。
アラトリア帝国軍騎兵隊は、騎兵の錬度、迅速な隊列変更、戦機を見極める戦術眼が揃った機動をみせた。
グラン王国軍の第一列の兵士にしてみれば、威圧感を備えた騎兵隊が大地を震わしながら迫ってくるのだ。耳と眼に飛び込む恐怖はどれほどか。兵士にとって敵前逃亡は重罪だ。けれども、軍罰に対する恐怖を上回る恐怖が訪れた時、人は逃げる。
しかしグラン王国軍は逃げない。というより、配置場所より毛ほども動く素振りをみせていない――。
「総員、木偶のように立ち止まるなよっ!」
オーランが命令を発した矢先。各所で一斉に音が弾けた。鉄と鉄。槍と人。馬と人。それらが激突する音が次々と鳴り響く。
結局、グラン王国軍は騎兵隊の衝撃力を全く軽減できなかった。そのため陣形がみるみるうちに乱れ、横列陣形がさらに間延びしていった。
突撃する騎兵隊は、まるで高山に住む鹿のように馬首を機微に巡らせ、グラン王国軍の戦列を駆け抜けていく。駆け抜けたあとは、そのままグラン王国軍を包み込むようにして包囲攻撃へと移行していった。
そこへ、トドメとばかりにカリナ率いる騎兵隊本隊がグラン王国軍へ疾駆してくる。
* * * * * * * *
シラッドは後続隊と一緒に前方から突撃した。目の当たりにした騎兵隊の衝撃力はすまじく、彼らが駆け抜けると、海を二つに割るがごとく人の波が切り拓かれ、道が出来た。
そうして、苦もなくヒューム率いる斥候隊がキエナ大森林へ侵入していった。
(とりあえずは作戦通り、か)
ヒュームへの疑惑が晴れたわけでないが、目前の戦場にシラッドは視線を戻した。気持ちを入れ替えるように声を張る。
「弩を持つ敵を優先して叩けっ! 長槍には無理に仕掛けるな。馬から落とされたらすぐに囲まれるぞっ!」
すでにシラッドは二人の徒兵を投げ槍と短槍で刺殺していた。周囲に目を配る。丁度。バラルが大斧で敵兵二人をまとめてなぎ払うところだった。豪快に吹き飛ばされる敵兵。他の部下たちも脱落していない。
上々だ。そう思った矢先。前方右下から長槍が生えるように伸びてきた。どこか眼の焦点が合っていない敵兵。馬の前に身をさらけ出し、体ごと突っ込んでくるなど正気の沙汰ではない。
「ちっ」
思わぬ決死の攻撃に一瞬驚く。ただすぐさま、シラッドは鞭のように手をしならせ、敵の槍を短槍で払う。跳ねた短槍を一旦手放し、持ち方を変え、そのまま敵の胸に尖先を埋めた。くぐもった呻き声が一瞬聞こえる。
無理な迎撃をしたため体勢が大きく崩れた。手綱を強く掴み態勢を戻そうとすると、腕をぐいと強く引かれる。
「大丈夫か、シラッド」
「ああ。ありがとよ、熊」
お互い短く言葉を交わした。
手綱を操りながら、バラルが我慢できないように吐き出す。
「何なんだ、コイツら。すでに死人だぜっ!」
「……」
まったくその通りだった。さきほどから出来の悪い人形を相手にしているようだった。決められた配置で、決められた攻撃をするだけ。
それに敵兵の瞳には、生への執着や死への覚悟といった類の色が、一欠片も見られない。すでに死人だった。しかし刺せば鮮血を吹き上げ、声をあげるのだ。後味悪いこと、この上なかった。
「兵士の命を何だと思ってやがるっ! この場にいない敵の大将は相当イカレ切っちまっているぜっ!」
「……熊。少し落ち着け」
憤慨収まらないバラルをいさめるようにシラッドは言った。バラルが不承不承うなずく。
「……ああ。分かったよ……」
一度、戦場の中心から離脱するか。そう判断した。バラルをはじめ部下たちをこんな戦場で失うのは惜しい。それにシラッド自身、これ以上敵兵を殺すのにはうんざりしていた。
シラッドは短槍を掲げる。部下たちの視線が集まるのを感じた。後ろを向いて確認はしない。切っ先で、グラン王国軍の陣を抜けた先、キエナ大森林の入り口近くを指し示した。
「総員、駆けるぞっ! 不要な戦闘を避けながら俺に続け!」




