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狼を狩る者  作者: 丙子
1章 出会い
12/16

1章11話

 いん国第三王位継承者――

 もしくは印国ハリヤード家三男。

 それがシラッド・ハリヤードの素姓だった。


 印国が存立するレガイア大陸東部は現在、十七の小国が乱立していた。そして長い間、いつとも果てぬ争いが続き国々の統廃合は絶え間ない。

 そんな中、印国は建国時のまま現存する最古の国として泰然と君臨している。

 印国の統治はハリヤード家が担っていた。東部中にその名を轟かせるハリヤード家は、名門中の名門であり、いままで輩出した傑物は数知れない。

 

 けれど、印国――特にハリヤード家は他を圧倒し過ぎていた。概して、特異すぎる存在とは一目も置かれるが、転じれば畏怖の対象でしかない。

 何より印国には、敵国だけではなく常人ならだれもが忌み嫌う邪法が存在している。

 ――たま寄せ。

 生きた人間の魂魄こんぱくを供物とし、妖者あやかしものを現世させるその技は人の身に余る。いや、そもそも人の道を踏み外した外法中の外法である。

 歴史書を見る限りでは、魂寄せが行使された回数は五指に満たない。ここ百年では皆無である。

 だが、慈悲の欠片もない暴力を振るわれた国々の怨嗟は深い。

 印国が召し寄せた悪鬼羅刹が、自国の土地、友人、妻、子供を蹂躙したことに対するどす黒い感情は、どれほどの月日が流れようと人々の中から消え去ることはなかった。

 現在も、災厄を生き延びた先祖の恨みの言が各国に脈々と言い伝わっている。

 そうして。

 暗々のうちにハリヤード家は嫌悪され、そして蔑みを込め、人ではなない“ほかなる者”といんに呼ばれる――


 生家のことを思い出すたびシラッドは陰鬱な気持ちになった。いっそ滅んでしまった方が一興では、と思うことすらままある。

 そんな暗い気持ちを振り払うかのように、シラッドは差し出されていた水を半分ほど飲み干し、今の状況と向き合った。


 レガイア大陸西部の人間にとって、栄枯衰退を繰り返し小国が乱立する東部は未知の土地だ。10年ほど前に比べれば交易も多少盛んになったとはいえ、交易品のやりとりは一方通行だった。東部の隊商キャラバンが白竜山脈を越え西部の各都市で交易を行うことでのみ、東部と西部の文化が交わるのだ。

 だからこそ、これ以上自分の素姓には近寄れないだろう、とシラッドは思う。

 円を描くような手つきで杯を回し、中におさまる水を、くらくらと揺らしながらオーランの出方をゆったりと待った。


 オーランはといえば、両腕を胸の前で組みながら何度か独りでつぶやいている。

「……印国……、ダマスカス刀……」

 そしてとつとつと語り出した。

「……20年ほど前の東部戦役を知っておるか」

「……東部戦役、ですか」

 唐突な物言いではあったが、以前読んだ戦史や自身の記憶から、東部で起きた戦を呼び起こしてみる。

「……確か……アラトリア帝国が東部に攻め入ろうとした戦、だったような。――それが何か?」

 東部戦役はシラッドが生まれる3年前に起きた戦だった。

「儂はその戦に加わっておった。大隊を率いる騎士隊長としてな」

「はあ」

 話が見えず、シラッドは気の抜けた返事を出すしかない。

 構わずオーランが続ける。

「その戦場でな、我らアラトリア帝国人は心底震えあがったものよ」

「……将軍。話が一向に見えないのですが」

 我慢できず、話の真意を問う。

 ふむ、とオーランが一拍置き、にやりと笑った。

「――朱色の陣羽織を羽織りダマスカス刀を振るう者に恐れをなした、と言えば分かるか」


 さきほどまで、ゆっくり杯をまわしていたシラッドの手が、びたっと止まる。思わず身体を震わせそうになるのは意地で止めた。

 突然のことだった。

 自身の素姓を隠すために張った論陣は、用を為さずに吹き飛んでいた。同時に、まるで白刃を首に当てられたような感覚に襲われる。

 杯を持っていない手を爪が食い込むほど握りしめ、まるで何事もないようにシラッドは涼やかに演じた。

「……さて、それだけでは何とも」

「嘘を申せ。印国の者が知らぬわけがなかろう。ダマスカス刀の唯一の所有主であるハリヤード家――いや、“紅家こうけ”のことを」

 とりわけ、紅家の部分が強調された。

 

 論戦を交わす間もなく、強烈な飛び込みで自身の陣中深くにまで切り込まれていた。目前の将軍が、ハリヤード家を揶揄する俗語にまで通じているとは流石に予想だにしない。もう後はない。天将軍の手が、本丸であるシラッドの素姓に、いつ届いてもおかしくないところまで迫ってきていた。

 生ぬるい汗が幾筋も背を滴う。

 オーランが、さらに踏み寄った。 

「どうした、知らぬのか?」

 シラッドは黙しつつ、頭をこれでもかと巡らせた。

 ――ただ、どう考えても、とっさに急造した論陣や中途半端にシラを切ったことが完全に裏目に出ていた。シラッドは呪詛を吐き出すようにうめく。

「……いえ。――知っています」


 素姓が、暴かれる――

 その一歩手前だった。

 シラッドは顔をしかめ、息が詰まる思いで天将軍が放つ次の句に構えた。

「……そういえば、なぜ紅家と呼ばれるのだ」

「え?」

「いやだから、ハリヤード家はなぜ紅家と呼ばれるのだ」

「……え、ああ」

 トドメの一撃を覚悟していたシラッドは面食らい、生返事をするのが精一杯だった。

 ふとオーランを見やると、本当に興味深々といった表情を浮かべていた。

 嘆息するように吐き出す。

「……紅家と呼ばれるゆえんは、ふたつあります。ひとつは、ハリヤード家の者が戦時、朱色の陣羽織を羽織ること。それともうひとつも戦時のことなのですが、ダマスカス刀を振るう同家の者がまとうあか化粧のことを指しています。彼らの周囲は本当にあか一色になります。敵も、地も、そして自身すらも染め上げることでね。……それで人々は敬意と畏怖を込め、ハリヤード家を紅家と呼んでいるようです」

 まあ、誰かが面白可笑しく話を大きくした感はありますけどね、と半ば投げやりに、けれども包み隠さず話した。

 シラッドなりの白旗だった。


 シラッドの説明に満足したのか。オーランが、ふむ、と一言置き静かに言う。

「……勘違いするなよ。お主の素姓を暴きたいわけではない」

 何を今さら、とシラッドはいぶかしがる。

「お主が東部からの間者ではないか、と警戒しておったのじゃが、どうやらその線は薄そうじゃな」

 半ば睨むような目で先を促すシラッドに、オーランが苦笑した。

「まあ、そう睨むな。……ふ。そういうところは全く間者に向かんのう。ええ、シラッドよ。お主、もう少しその不機嫌な態度や表情を隠した方が良いぞ」

 言い終え、オーランが破顔した。

 ぐうの音も出ず、シラッドはただ顔をしかめ胸中で舌打った。

 大きなお世話だ。そんなことは自分でも分かっている。

 そう思っていると、

「でもまあ、詰問のような振る舞いは済まなかった。もうこれ以上は聞くまい」

 みなまで知らぬ方が互いのためになる、とオーランが穏やかに言い添えた。

「……そう、ですか」

 礼を言うのも違う。かといって気の利いた返しもできない。その一言が、精一杯だった。

 ――今は、オーランの言葉を甘んじて受け入れるしかなかった。


 畳み掛けるような質問で喉が渇いたのか。オーランが水を一気に飲み干したあと、ぽつりと言う。

「……さて、話は変わるが。……会戦は2日後だ」

「……え?」

 まだシラッドには動揺が残っていた。

「――だから、2日後には会戦だ。グラン王国へ向けて進軍する。さきほどの軍議で決定したばかりだが、兵営内中にも追って報せが行き渡るだろう」

「……ついに会戦ですか」   

 開く口は自然と重かった。

「……おそらく、戦自体は短時間のうちに幕をひくだろう。一日……場合によっては半日で終わる可能性もあるな」

「ええ、そうでしょうね」

 シラッドは肯定する。

 アラトリア帝国とグラン王国――両国の戦力差を考えれば妥当な判断だった。

「……勝敗が決した状況にもかかわらず、グラン王国に停戦交渉が受け入れられなかったのは残念ではある」

「グラン王国が停戦要求を突っぱねたということですか」

「……いや、正確には我が軍の使者が帰って来ぬのだ」

 ――使者が殺された、という意味が言外に含まれていた。


 シラッドは眉をひそめた。

 一体、グラン王国の皇族は何を考えているのか。元々大義がない戦だ。面子の問題もあるだろうが、すでにそういう次元の話ではない。国と国民の生命が風前の灯なのだ。

 ならば、あとはこれ以上血を流さぬよう、自身の身を差し出すのが皇族の務めではないか。

 そんな思いがあふれ出ていたのであろう。 

 オーランが苦笑する。

「儂も気持ちは同じゃよ」

 そして、そのまま続ける。

「……ただ、もうサイは投げられた。今は会戦の是非を論じても、さして意味はない。問題は戦後いくさごだ」

「どういうことです?」

 シラッドの問いに対して、オーランが目に力を込め意味ありげにうなずいた。

「姫。――いやカリナ殿下はな、本戦の終結をもって皇帝へ即位する。現皇帝陛下であるブルック陛下は今年で御歳おんとし64歳だ。陛下も自身がご存命のうちに、後継者問題には決着をつけたいと考えておいでだ。

 ――すでに承諾はいただいておる」

 皇帝になるための戦果としては妥当ではあった。グラン王国を属領とすれば、レガイア大陸西部におけるアラトリア帝国の地位はより盤石になる。

 シラッドはうなずき、先を促した。

「カリナ殿下は即位後、国の在り方を正す腹積もりだ。まずは現体制の改革を断行し、血縁や家柄などの縛りを排した登用法を敷く」

「……なるほど。それは随分と――」

 随分と敵をつくることになるな、と思う。今まで特権階級の地位でのさばり、甘い汁を吸ってきた貴族階級の連中は黙っていないだろう。

「無論、殿下自身まだ荷が重いのは分かっている。だが時がないのだ。このまま国を疲弊させ、宮廷内で権力争いなどしている場合ではない」

「……それで、このタイミングで半ば強引に皇帝へ即位すると?」

「……そうだ」

 オーランが苦渋混じりに吐きだした。


 確かに問題が山積していた。

 特に、カリナの身の危険が一気に跳ね上がる。改革によって締め付けられる貴族にとって、カリナは目の上のたんこぶ以上に目ざわりな存在になるのだ。なりふり構わずに、根源を断つため、暗殺といった強引な手段をとる輩も出てくるに違いない。


 オーランが切実な顔持ちになる。

「……戦後も、そのまま近衛兵として殿下に仕えてくれぬか?」

「……」

 シラッドは無言のまま、オーランの真意を図るようにを見据え、尋ねる。

「……なぜ自分を」

「端的にいえばお主にはシガラミがない。それに、国民に目を向けることができる人物という点も、儂は高く評価しているつもりじゃよ。それにおそらくだが、殿下も、お主がこのまま傍で仕えてくれることを望んでおる」

 シラッドは嘆息する。

「それは、そちらの理屈であって、自分にはあまり関係がありませんね。加えてアラトリア帝国に仕える義理もない。そして何より、自分は東方人です」 

 そう。シラッドにとってアラトリア帝国は他国。しかも自分は皇族の人間である。わざわざ面倒を背負い込む必要もない。

 一瞬、カリナの寂しそうな顔が脳裏をよぎった。

 オーランが何かを言おうとするそぶりを見せたが、結局何も言わなかった。

 代わりに締めくくる。

「……返答はひとまず保留で良い。お主も色々と考える点があるだろう。返事は戦後にでも聞かしてくれ」

「……承知、しました」

 そう言い終え、シラッドは席を立った。

 

 天幕を出ようとするシラッドに、オーランが言葉を投げかける。

「色よい返事を期待する。姫の護衛は信用できる者に任せたいのだ……」

 シラッドは一瞬だけ歩みを止め、振り返らずにそのまま天幕をあとにした。


 天幕を出て、どんよりとした曇天の中をしばらく歩いた。人気ひとけも少ない場所まで来てからシラッドは大きく息を吐いた。

 ふと気がつくと、自分を取り巻く環境が大きく変わってしまっていた。

 カリナの手助けをしてやりたいとは思う。けれど、そこまで単純な話でもない。それに故国を捨てた人間が、他国を救おうなどとは皮肉にもほどがある。

 シラッドは、寂しげに口を吊り上げ愛刀に手を添えた。双眸をひときわ強くする。そして、今、自分が為すべき仕事を思い起こした。

 ――まずは戦を終わらせる。





*  *  *  *  *  *  *  *


 同時刻。

 アラトリア帝国兵営内――


 等間隔に張られた天幕の中でも、上位から数えた方が早いであろう立派な幕内で、ヒュームは苛立っていた。

 元凶は分かっている。

 あの下賤極まりない異国の傭兵の存在だ。名は確かシラッドといったか。

 叙勲式をすべてひっくり返した男。名家出身である貴族の自分に刃を向けたことは、思いだすだけでも腸が煮えくり返った。

 それだけでなく――

 あの傭兵は数日前、あろうことか近衛兵になったという。その便宜を図ったのがカリナというのもヒュームの癇に障った。


 ヒュームは蒸留酒が入った銀杯をぐいっとあおり、テーブルの上に乱暴に置いた。そして、睨みつけるような視線を目の前にいる男にぶつけ、横柄に聞いた。

「誰にも見られておらんだろうな」

 一見すると一兵卒に支給される鎧を身につけた男が飄々と答える。

「……そこまで素人じゃ、ありませんよ。旦那」

 男の声には抑揚が全くなかった。それに、暗い双眸からは何も感情が読みとれない。存在自体がひどく無機質だった。

(ちっ。いつ見ても薄気味の悪い)

 男は、極秘の荷運び・暗殺・密偵といった仕事を生業とする貴族御用達の仕事屋だった。貴族たちは彼らを、侮蔑混じりに“影”と呼ぶ。

 男が存在感を薄くするのは職業柄当然で、一般兵のような身なりも兵営内で違和感がないようにするための偽装だった。影というのも個人ではなく彼ら全体を指す総称である。


 ふん、とヒュームは鼻を鳴らし、怒り混じりに問う。半ば八つ当たりだった。

「それで何のようじゃ」

「書簡を預かってきました」

 男は差出人の名も言わず、そっと長机に手紙を置いた。

「どうぞ、お納めください」

 ヒュームは書簡と男にそれぞれ一瞥をくれたあと、乱暴な手つきで書簡を取る。豪奢な装飾がなされた短刀で書簡のフチを切った。

 短刀の刃は銀で出来ており、柄には宝石が散りばめられている。軍人が好みそうな実践的な装飾とは対照的で、ひどく俗世じみていた。

 はじめは不機嫌そうにヒュームは文を読んでいたが、途中から歓喜が体中を駆け巡った。心臓がどくんと脈打ち、思考も喜びの一点に集中する。

 思わず椅子から立ち上がった。双眸は、かっと見開き、自然と口元はだらしないほどに緩んだ。 

 待ちに待った報せだった。

 書簡の内容は、いままで私財を投げ打って進めてきた仕込みも、叙勲式で味わった苦渋も、すべてを忘れさせた。

(ついに――。ついに決行できるのか!)


「……ク、クク。クハハハハハ!」

 どこか人の神経を逆なでる笑い声が、天幕内を独占する。

「……どうやら旦那にとって、吉を呼ぶ便りとなったようですな」

 所作を一切乱さぬまま、幸運とは縁遠そうな男が言った。

「ああ。最高の便りだよっ」

 我慢できず、クク、とヒュームは何度も笑みをこぼした。ヒューム自身気付くことはないだろうが、ひどく気持ちが悪い笑い方だった。十人中十人がそう感じるほどに。

 ヒュームはいそいそと承諾の旨を伝える文を書く。そして男に託した。

「それでは、この文をクルト第二皇子に――

 いや。クルト皇帝陛下・・・・に渡してくれ」

 ヒュームは嬉々として言い直した。

 随分といやらしい言い方だったのか。

 男が一瞬、驚きと呆れの表情を浮かべる。

「……書簡は確かに承りました。ヒューム将軍閣下」

 洒落が効いた男の言葉を受け、ヒュームはにんまりと微笑んだ。言い放った男はすぐさま。滑るような歩みで天幕外へと出て行った。

 

 天幕内でひとりになったヒュームは、踏ん反りかえるように椅子に座り直す。

 ――ああ、最高の気分だ。

 ヒュームはこれまで、欲するモノを我慢せずその手に収めてきた。豪華絢爛な名品で部屋を飾り、珍味で舌を満たし、美女を思うままに愛でてきた。

 それがどうだ。ここ最近は自身が望むモノを全く手にしていない。ヒュームの我慢は限界を超えていた。

 だが、それもあとわずかだ。

 きたる日の栄光に思いを馳せながら、ヒュームはふと思う。

 空腹時は何を食べても美味い。では、絶品と呼ばれるモノを食したのならば、その時の満足感はどれほどのものか。


 喰らうは――

 アラトリア帝国第一王位継承者。

 そして異国の傭兵。


 ヒュームにとって、両者の命運が尽きたことはもはや揺るぎない。自身の心は今までにないほどおどり、美女を抱く直前の興奮にも勝っていた。

 あと2日。

 ヒュームは人知れず、万感の思いを吐露する。

「――待っておれ。勝鬨かちどきをあげるのは私だっ」 






どうにか1章を書き終えることができました。

ここまで拙著に付き合っていただいた皆様。

ありがとうございます。

一言お礼が言いたくて、あとがきを書きました。


さて、半ば思いつきで筆を進める拙著ですが、構成不足、まどろっこしい説明、展開&更新頻度の遅さなど、至らない点が多いことは重々承知しています。精進します。

今後も読んでいただければ幸いです。


また、「展開が唐突だ」「場景描写が分かりにくい」「あの場面が良い」など、どのようなことでも構いませんので、忌憚のないご意見・ご感想をいただければ幸いです。



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