1章9話
春の天候は揺れ動きやすい。気まぐれだ。
ただ、そんな時節の移ろいよりも予想が困難なこともある。例えば、女心だ――
のちにカリナとの邂逅を振り返ったシラッドはそう断じた。
まだ太陽が中天に近い午後。
アラトリア帝国領ガルカタ平原にあるアラトリア帝国兵営内で、東方の傭兵シラッドは、アラトリア帝国第一皇女カリナと対峙している。
そんな両者の間を風が、ひゅう、と横から吹き抜けた。シラッドは煩わしそうに顔をそむける。カリナの金髪は風に舞い、陽光を浴びきらきらと光っていた。
風が吹き抜けたあと。カリナは両手で髪を整え、さて、と前置いた。
そしておもむろに告げる。
「――今回の戦における貴方の雇用主は私です」
「……」
シラッドは顔色を変えず黙した。
「……唐突ですね」
別段驚きも喜びもせずシラッドは返した。ただ、そうきたか、と内心で呟いた。
自分の元へ突然訪れたことや、さきほどの話のくだりから考えて、帝国軍へ勧誘されることを可能性としては考えていた。
今回の雇用契約は、帝国騎士を名乗る男から打診されていた。が、おそらくあの男はカリナが遣わした者だろう。
それよりも――
「……自分に正規の帝国兵になれと言うことですか。あと兵科は何です? まあ後方支援の最もたる輜重兵ということはないでしょうから、歩兵あたりですか?」
シラッドは興味なさげな顔で、つまらなそうに聞いた。
「いいえ。職位は近衛兵――つまり私の直属になります」
その逆、カリナは最高の贈り物をあげるように揚々と述べた。
「それはまた、随分と自分を買ってくれたものですね」
「……不満……なのですか」
喜ぶそぶりすら見せないシラッドの対応に、カリナが困惑の色をうかべ、おずおずと聞いてきた。
「いいえ。ただ、うれしいわけでもありません」
「では何故――」
近衛兵という待遇では満足できないのか、と続きそうな剣幕でカリナが身を乗り出した。
カリナの疑問も仕方がないことだった。皇族直属の近衛兵といえば、帝国軍において名誉の象徴だ。同部隊に在籍しているだけで帝国兵中から羨望の眼差しを集めることができる。それに実力があれば入隊できるという類の部隊ではない。実際のところは家柄の後ろ盾が大きい。そのため、近衛兵のほとんどは有力貴族の子弟で占めている。
誰しも兵士になりたての時分は、近衛兵への抜擢を少なからず夢見るものだ。しかし、実態・実情をまざまざと見せつけられ、若々しい夢が次々とへし折られていく。そして若い兵士の多くは、近衛兵という職位が自分とは無縁であることを悟る。軍隊の通過儀礼のようなものだった。
傭兵たちの間では近衛兵のことなどは話題にすらならない。自身の身上から遠い話すぎるからだ。話題になったとしても、せいぜい陰口ていどである。
――そんな栄えある近衛兵に「シラッドを迎え入れたい」というのだ。紛れもなくカリナなりの誠意だろう。だからこそ、喜びをはじめ何も反応を見せないシラッドに対して困惑しているのだ。
(……仕方ない。ハッキリ言うか)
シラッドは、ひとつ嘆息をついてから話しはじめる。
「……殿下。あなたの純粋な気持ちに関してはうれしく思います。傭兵の身である自分を近衛兵に入隊させようと言うのです。おそらく前例にない異例の大抜擢でしょう。当然、有力貴族からの反発も大きく、宮中でのあなたへの風当たりは厳しくなるのは目に見えています」
シラッドは一旦言葉を切った。向かい合うカリナの眼は余裕がないほど真剣だ。
その双眸からは、そこまで分かっているのなら――という想いが溢れ出ている。
「――ただ。あなたの申し出は叙勲式で自分が被りそうだった褒賞と何ら変わりません。違う点といえば、そこに悪意があるかないかの違いです」
公の場ではないとはいえ、シラッドは皇女相手に遠慮なく言い放った。
シラッドの言葉に、カリナはびくりと身を震わせ、信じていた者に裏切られたような目を向ける。
「――あの者たちと同じだと言うのですか!」
目にうっすら涙を浮かべながらカリナが取り乱した。
「そうです」
「――私を侮辱するつもりかっ!」
カリナが今にも泣きそうな目でシラッドを睨みつけた。声も弱々しく震えている。
そんなカリナの様子を気にせず、シラッドは静かに口を開く。
「……自分への誠意のみせ方として、あなたは褒賞の程度に重きを置いていることにお気づきか」
「――え」
カリナが一瞬呆けたような顔を見せた。シラッドは構わず続ける。
「そして恥ずかし気もなく突き付け、褒賞に喜ばない自分に対して、戸惑いあるいは憤りを感じている」
カリナが思わず、あ、ともらす。
「軍令でもなく頼みごとでもない――そして自身の心根もみせない。
殿下。それはあなたのわがままでしかない」
「――ッツ!」
シラッドの叱責を受けカリナは顔を真っ赤にした。恥ずかしさからか、口元はきつく噛みしめ拳もぐっと握りしめている。
そして大きくうなだれた。それに続き、目と肩を力なく下に落としてしまった。
シラッドは別に腹を立てているわけではない。むしろ残念な気持ちの方が強い。正直、カリナの真正直な性格には好感を抱いている。ただ、褒賞の善し悪しで他人に誠意をあらわすのは、今この場においては自らの品位を貶める行為でしかない。
おそらく、カリナは物心ついた時分から、皇族が臣下に豪奢な品物を授ける様子を何度も見ているはずだ。そして授与された者が浮かべる喜びの表情。そのことが一種の刷り込みとなり、カリナの性根とは無関係に棘のようにまとわりついているのだろう。
皇族という生まれの業に起因している悪癖だった。シラッドは純粋にそれを、もったいない、と思った。だからこそ叱責したのだ。ただ、ひどく分かりづらいシラッドの優しさに目前の皇女は気付いたのだろうか。
――頼りなく震える細い肩からは、彼女の心中はうかがいしれない。
少し前の軽やかな空気とは打って変わり、どんよりとした沈黙が漂う。風もいつの間に吹き止んでいる。聞こえるのは、すん、とカリナが鼻をすする哀しげな音だけだった。
その間、シラッドは何も発していない。伝えるべきことは伝えたからだ。
刻々と――
時間だけが過ぎていく。
そうして。
鼻声混じりでカリナが口を開いた。
「……んなさ……い」
一度大きく鼻をすすり、カリナは顔を上げる。目は痛々しいほど赤く腫れていた。
「……ごめんなさいっ。貴方の言う通りです。想いも考えも何一つ見せないで、上から褒賞だけを差し出すなんて――
私を軽蔑なさったでしょう……」
カリナが小さな肩を上げ、気を落ちかせるように大きく息を吸い込んだ。そして吐露する。
「本当に恥ずべき行為でした――」
皇女は心底済まなそうに頭を下げた。
「……」
シラッドは黙した。
カリナは微動だにしないまま、首が現れるるほどに髪と頭を落としている。白くてほっそりした首元は可憐であり儚かった。
シラッドが声を掛けるまで、いつまでもそうしているように思えた。
「……別に怒っているわけではありません。だから顔を上げてください」
つとめて優しく、シラッドはカリナの謝罪を受け入れた。
バツが悪そうにカリナがゆっくり体を起こすと、垂れていた髪も、さらさらと揺れながら皇女に続いた。
そしてシラッドと再び向き合い、口を開く。
「……っすん。今更ですが、私の話を聞いてくれますか」
「……ええ。聞かせて下さい」
シラッドは柔らかくうなずいた。
カリナが安堵したように小さく笑みを浮かべる。そして、気持ちを整えるためか。深くゆっくりとした息を何度も吐いた。
――しばらくしたあと。
カリナが質問してきた。散々情けないところを見せたせいか、どこかスッキリとしている。口調も自然と砕けていた。
「ねえ、シラッド。貴方には、今のアラトリア帝国がどう映っていますか」
「……そうですね。まあ一言でいうなら、傲慢な大国です」
シラッドは抑揚もなく答えた。
「……本当に一言ですね。だけど、その通りです。正確に言えばヒトが傲慢なのです」
シラッドの脳裏にある人物がよぎる。
「ヒューム将軍のような者たちのことですね」
カリナが神妙にうなずく。
「ええ。彼らが後生大事にするのは自らの地位と財産のみ。国民に目を向けることもなく私利私欲にまみれた政策を重ね、権力や財などを自分たちの手元に集中させています。国がどれほど栄えても、正当な対価や恩恵が平民の方たちに、もたらされることは皆無です。食事や建物、織物をはじめとする日々の糧となる物を生産しているのは彼らだというのに――」
カリナは端を切ったように語っていた。そして最後に、……我が国の内情はひどいものです、とぽつりとこぼした。
一部の既得権益者による搾取と国の荒廃。良くある話ではある。そんな境遇に置かれた国民は大概、いくら努めても実りがない生活に無気力になる。そして民の心は次第に国家に対する義憤へと転じ、各地で反乱分子が芽吹き出すだろう。
そこまで国が乱れた場合。行き着く先は、良く言えば革命、もしくは国が滅ぶほどの内戦へと発展するしかない。
(……どこも変わらないな)
シラッドは胸中で唾棄した。そして確認するように言う。
「それで今回の戦を始めた……ということになるのか……」
「え、ええ。流石ですね、さきほどの内容でそこまで話が読めるとは。……ここまできたら隠さず言いますが、どうやらこの戦の火種には、アラトリア帝国貴族も一枚噛んでいるようなのです」
なるほどな、とシラッドはうなずく。
戦争という“商い”を上手に行えば、酒場や宿、製造業などが忙しくなり市況は活気づく。国民の懐具合もそれなりに潤ってくる。さらに新たな領土も手に入れることができるというわけだ。
ただ、シラッドは不思議に思った。
「話の大筋は分かります。ただ符に落ちない点があるのですが……」
「何故グラン王国を侵略するのか、ですね」
「そうです」
今までアラトリア帝国は他国を食い荒らしてきた。その暴飲暴食の結果、レガイア西部で侵略していない国らしい国といえば、今はグラン王国を残すだけとなっている。
しかしグラン王国は潤沢な財力や肥沃な大地を持つわけではない。そのため、わざわざ戦を起こし、莫大な金や兵士の命を投げ出すほどの意味が見出せない。
それくらいの計算は、帝国貴族たちもできそうなものである。
「何か別の意図は?」
「……それは私も考えてはいるのですが、別段何も……」
カリナは申し訳なさそうに答えた。
「そうですか。ただ、何かあると考えて動いた方が良さそうですね」
そのシラッドの言葉にカリナが目を丸くした。
「……? 殿下、どうしました?」
「い、いえ。別に……」
どこか嬉しそうにカリナがこぼした。
(何だ。何故そういう反応をする)
カリナの反応にシラッドは戸惑う。
「……一体どうしたんです。別に笑みがこぼれるような話題ではないでしょう」
シラッドは、どこかあやすような口調で問い詰めた。
皇女は観念したのか。いたずらを咎められた子供のように肩をすくめる。
「……だって。今の貴方の話振りって、もう私の味方のようなんですもの」
カリナが、ちらりとシラッドを見やる。
「……」
「…………」
シラッドは視線を外し、はにかんだ。
どうやら自分でも気付かないうちに、目前の皇女に思いのほか肩入れをしていたらしい。もう少しカリナの心根を探ろうかと考えていたが、こうなってしまっては仕方がない。どう取り繕うが見苦しいだけだろう。
シラッドはため息をつきながら、カリナの言葉に兜を脱いだ。
「…………はぁ。――自分の未熟な剣で良かったら少しの間預けましょう」
そして、ぶっきらぼうに言葉を吐いた。
途端。華が咲く――
そんな形容がふさわしいほどの笑顔をカリナが浮かべ、全身で答える。
「――ありがとうっ! シラッド」
シラッドはふと思う。
どうやら、今までのやりとりでカリナの喜怒哀楽のすべてを見たことになるのだな、と。またシラッド自身、彼女に振り回されながら少なからず一喜一憂させられた。最後は、なし崩し的に剣を預けることになってしまったが。
自身の去就には、慎重にことを運ぼうと考えていたシラッドにしてみれば大誤算も良いところである。
しかし、それほど悪い気分ではない。
(――ホントに変わった女だ)
目前の皇女とのやりとりで、一体自分は何度ため息をついただろうか。シラッドはそう思いながら、また嘆息し、忘れないうちに釘を刺す。
「あくまで一時的に身を預けるだけです。さすがに正規の近衛兵というのはお断りしたい。あと自分の兵装なのですが――」
そして、しゃあしゃあと自分の要望を差し込んでいった。




