Drunk It [Poison] Blood 20
横浜に存在する、1人で住むには広すぎるマンションの1室。
その一室には最低限の家具と無数の無骨なコンテナ、そして無数のケーブルに繋がれた見るも無残な姿をしている灰色のD.R.E.S.S.を収めたハンガーが備え付けられていた。
そして黒髪の男がコンテナから引きずり出した物資達を、フローリングの床に並べてリストに照会していく。
「スーツとシャツが10着ずつ、黒のカラーコンタクトが100セット、眼鏡、コート、革靴、フラッシュグレネード、時限式起爆装置つきのC4、白と黒のデバイスが1つずつ、対自白剤のナノマシン、最後にD.R.E.S.S.の装甲パーツがいくつかとD.R.E.S.S.規格のマシンガンの弾とミサイルと推進剤。合ってるな?」
『完璧だ。しかし、装甲に関しては完全には揃えられなかった。すまない、レイ』
大小のコンテナを空にしたレイに、壁に掛けられえたモニターから漏れる低いマシンボイスが詫びを入れる。
不気味とも言えるそのくぐもったように加工されたその声に怯える事も無く、レイは御巫トランポートという社名が入ったリストをテーブルに置いて、ディスプレイと相対するように椅子に腰を掛ける。
そのテーブルと椅子には流麗な蔦の意匠が掘り込まれており、インテリアに興味がないレイでもそれが安価な物ではないと理解できた。
「武器が持ち込みづらい日本でこれだけ揃えられたなら十分だろ。それで、今度の任務は?」
『最新のナノマシン兵器を生成している鴻上製薬という会社に潜入、そしてナノマシン兵器のプラントの破壊とデータの奪取が今回の任務だ』
「……悪の組織の潜入に、ナノマシン兵器の破壊か。髪も切らなきゃいけねえみたいだし最悪だな。アンタは俺をヒーローか何にでもしたいのか、エイリアス?」
相変わらず意図の掴めないエイリアスが与える任務に、レイは右手で顔を覆いながら深いため息をつく。
進んで知りたいとは思わないが、未だに何1つとしてその正体をつかめていないエイリアスという存在を気持ち悪く感じてしまうのだ。
『ああ、それはいい。国や人種を越えて世界を救うヒーロー、レイでなければ務まらない役柄じゃないか――先日のD.R.E.S.S.戦で負った傷、ネイムレスも修理が必要。それらを踏まえた上で時間の掛かるであろうこの任務がベターなんだ。気に入らないかもしれないが許して欲しい』
「……器じゃねえよ。それで今回の俺は誰だ?」
未だに痛みを訴えている肋骨と左腕、いくつもの弾痕が刻み込まれ表面が溶解した跡がある灰色の装甲。
どうやって確認したのかは知らないが、エイリアスが告げるその事実に返す言葉もないレイは話の先を促した。
『今回のレイは、怜・此花というアメリカのテネシー州出身の短大卒業生。両親は日系人で既に死去。両親の祖国である日本で暮らすために、1人で日本に渡って鴻上製薬に入社したという筋書きだ。年齢は20歳で――』
「ちょっと待て、何で設定にそんなに内容があるんだよ? 今までそんなことなかっただろ?」
今までにない濃度の設定に、レイは思わずエイリアスの言葉を止める。
国連の非公式エージェント、民間軍事企業エイリアス・クルセイド所属の傭兵。
眉唾物のその設定ですら、年齢や両親の事に触れていた事はなかったのだ。
『……言いづらいことだが、言わない方が不義理だね――”レイ・ブルームス”という男が既に対象の会社に入社している。なぜ先手を打たれてしまったのかは分からないが、おそらくレイを懐柔するための目印でカウンターなのだろう』
その告げられた意味不明とも言えるその言葉、しかし容易に理解出来てしまうその存在にレイは言葉を失ってしまう。
自身と同じ名前の人間が存在する、そうと思えるのであればどれだけ幸せだったのだろうか。
しかし相手はレイをエイリアスから離反させようと同じ名を騙り、いざとなればレイを殺すという意思を表示しているのだ。
「……H.E.A.T.は、ジョナサンは俺を切り捨てたってことか」
そう言いながらレイは舌打ちをして、真っ白な壁紙を張られた天井を仰ぐ。
ギリシャとロシアで起こした、派手な破壊活動が理由だと言われてしまえば納得は出来る。
しかし自分なりに尽くしてきた、自身の後見であるジョナサン・D・スミスに見捨てられてしまった事実を認めたくないとレイの感情が叫んでいた。
それでもエイリアスがレイに嘘をついていた事はなく、任務の妨げとなる情報を与えるはずがないと知っているレイはその現実を受け入れるしかなかった。
『すまない、私の情報工作が遅れてしまったせいだ。間もなくネイムレスはテロリストが所有するD.R.E.S.S.として手配されてしまうだろう』
「……謝られたところでもう意味がねえ。それよりそいつは誰だ?」
『分からない。H.E.A.T.のデータベースには存在しない顔だった』
失意を意識の端へ追いやったレイは、自身を何のトラブルもなくギリシャ、ロシア、日本に入国させて見せたエイリアスが情報を手に入れられなかったという事実に眉間に皺を寄せる。
エイリアスの情報工作に先手を打ち、レイ・ブルームスという人間を作り出し、自身が訪れる場所へ対抗策を講じてみせ、"レイ・ブルームス"ではなく"ネイムレスを"手配しようとしているその存在。
H.E.A.T.ごときでは話にもならないのであろうその存在が、エイリアスという名乗る謎の依頼人の敵対者なのだろうとレイは気付き始めていた。
『解析やハッキングは全てツールがこなしてくれる。白のデバイスを社内のPCに接続してくれれば、解析用のプログラムがあらゆる媒体を介して目的地を探し出してくれる。そして黒のデバイスがキーとなって、白のデバイスが掌握したセキュリティを突破してくれる。そして辿り着いた最奥部に黒のデバイスを接続してデータを奪取、そして元のデータを復元出来ないレベルまで破壊するという流れになる』
「そのまま白のデバイスだけでデータにアクセスする事は出来ないのか?」
『出来たとしてもプラントを破壊するために最奥部への侵入が必要になる。それならナノマシン兵器のデータを奪取したと感知されるのを避けるために、直接データの奪取を行った方が安全だ。時間は掛かるし、レイには面倒を掛けるがこれが1番確実で、そしてこれ以上レイに傷を負わせずに任務を遂行させられるはずなんだ』
「余計な気を回してんじゃねえよ」
『私が与えている任務がレイを傷付けているんだ、回さずに居られるわけがないだろう――とにかく、レイは怜・此花として違和感を持たれないように生活をして、最後にデータ奪取とプラントの破壊をしてくれればいい。セキュリティの掌握と最奥部の探知が終われば、白のデバイスが鴻上製薬のネットワークを利用して黒のデバイスに完了を告げてくる。その通信には隠蔽性を最優先にするつもりだが、どうなるかは分からない。おそらくレイは、対産業スパイ用の部署に配属されるだろう』
「対産業スパイ用の部署?」
『ああ、鴻上製薬には第1総務部という部署があるみたいなんだ。表向きは普通の部署だけど、裏は社にとって良くない存在を押し込めておく場所。しかも産業スパイとして認識された人間が公安に突き出される事もなく姿を消しているというのに、どこからも横槍を入れられない最高の部署だ――念のために別の部署に入る予定だった人間をカモフラージュとして同じ部署に入るように手配しよう、その人間もレイのカモフラージュには丁度良い名前をしているからね』
エイリアスの低いマシンボイスがそう告げるなり、何も表示していなかったディスプレイに海に囲まれた鴻上製薬の社屋の写真とデータのいくつかが表示される。
鴻上製薬は代表取締役である昌明・鴻上は1代で類を見ない急成長を遂げた製薬会社であり、その急成長振りは軍事的なことに関与していない家族経営会社としてはあまりにも疑わしかった。
「家族、ね」
『……羨ましいのかい?』
ポツリと洩らしてしまった自身の言葉におずおずと問い返したエイリアスに、レイは不機嫌そうに眉間に皺を寄せてしまう。
世界のあらゆる場所で大小あらゆる戦争が起き、毎日数え切れない人間達が死んでいく。
そしてその中に自身の両親がいた事を知っているのだろう、とレイは深いため息をついて答える。
「別に、足手纏いなんざいらねえよ」
『なあレイ、全てが終わったら私と家族になってくれないか? 私ならレイの力になれるはずだ』
ここ数年で何度もされてきたその提案にレイは再度言葉を失ってしまう。
D.R.E.S.S.という最高の防衛力を欲した護衛対象達とは違う何かを、くぐもったような加工をされた低いマシンボイスに感じてしまったのだ。
――だったらなんだってんだ
そう胸中で毒づいたレイは、思わず舌打ちをしてしまう。
エイリアスが今までの護衛対象達と違うという確証はなく、それどころか残りの30万ドルすら払われていない現状で信用する事など出来る訳がないのだから。
「俺がヒーローの器じゃねえように、アンタも親父の器じゃねえよ。それに親父代わりなんてもういらねえ、俺は1人でいい」
『……それは、残念だ』
あからさまに意気消沈した気味が悪いマシンボイスを無視して、光の点っていないネイムレスの単眼のマシンアイを睨みつける。
いずれ去る予定だったとはいえ居場所の1つを失ったレイは、今まで以上に慎重にならなければならない。
「それより聞きたい事がある」
『答えられる事なら何でも答えさせてもらうよ』
「難しい話じゃねえよ、使っちまった経費はアンタに請求していいのか?」
『それは構わないが、せっかくだから"金では買えないプレゼント"を用意させてもらった。気に入ってくれると良いのだけど』
そのエイリアスの言葉にレイは、フローリングの床に並べてあるスティック状の白と黒のデバイスを見やる。
明らかに市販の物ではないそのデバイス、容易に提供されたD.R.E.S.S.規格の物資と住居、そして偽造されたID。
その1つ1つがエイリアスが只者ではないことをレイに理解させ、そしてエイリアスが言う"金では買えないプレゼント"に警戒心を抱かせる。
しかしエイリアスの口振りからその内容を聞きだすことは出来ないだろうと判断したレイは、ベルトの裏が空洞になっているD.R.E.S.S.のバングルのカモフラージュの腕時計を手で玩びながら避けられないその言葉をエイリアスに問い掛ける。
「そうかよ。それでもう1つ、俺の任務はあとどれだけ残ってる?」
『……運次第だが、これを含めて1つか2つといったところだろう』
思いの外早く終わりそうな任期にレイは思わず眉をひそめる。
護衛、救出、潜入。節操の無いそれらの任務があまりにも呆気なく終わってしまうことに、違和感を感じずにいられなかったのだ。
しかしナノマシンで誤魔化しているとはいえ罅が入った肋骨は完治しておらず、ネイムレスが手配に掛けられてしまうのであればレイはほとぼりが冷めるまでどこかへ姿をくらませなければならない。
もしエイリアスが残りの30万ドルの支払いを渋るようであればエイリアスと、そして自身を動かし続けているその衝動に未だ終わりが見えないのだから。
「なら、運が良い事を祈らせてもらうぜ」
『そうだね……早くレイを解放しなければ、な』
最後にマシンボイスが呟いたその言葉が、レイに届く事はなかった。
そしてレイは怜・此花として鴻上製薬に潜入し、姿を見せなくなった紅蝶・劉のPCに白いデバイスを隠すように接続し、鴻上製薬の社屋自体にアタックを開始した。
セキュリティの掌握、目的のプラントの位置の把握は思っていた以上に時間が掛かり、レイは不恰好ではあるもののネイムレスの簡単な修繕を終えた頃、鴻上製薬の代表取締役である昌明・鴻上の娘にして自身が配属された第1総務部の部長である晶・鴻上からの接触を受け始めた。
それが誰かが送り込んだレイの偽者であるレイ・ブルームスと名乗っていた男、エイリアスがデコイとして無理矢理配属を変えられた麗子・花里の両名とおなじ警戒であるとはいえ、 皮肉は言えても権謀術数の人間ではないレイは、設定と日本に来てからの事実を交えて晶をやり過ごしていた。
しかしレイ・ブルームスと名乗っていた金髪の男は執拗にレイへの挑発を繰り返し、挙句の果てに晶に害をなそうとし、見かねてそれを止めてしまってからというもの両者のレイへの接触が増していった。
晶はレイが人を避けて、ロシアよりは気温が高いプライベートガーデンへと出れば、凍えながらそこへ現れ、次の日からレイに食事を与え続けた。
レイ・ブルームスと名乗る男はレイに幼稚な挑発を続け、挙句の果てに自身の正体を掴んだと告げて来た。
そんな日々を過ごしていたレイが横浜に用意された自室に戻ると、黒のデバイスの画面にはCompleteという文字が表示されており、レイはバングルを隠した腕時計を触りながら任務の最終段階の決行を決めた。
そして鴻上製薬工場の最奥部でデータ奪取を終えたレイの元に、晶とレイ・ブルームスと名乗っていた男が現れたのだ。