[Revolutionary] Witch Hunt 20
「……ああ、クソッタレ……マジでだせえな、俺……」
そう言いながらレイは抱き寄せていたエリザベータを自身の左腕から解放し、離れるように後ずさるようにして壁に体を預け、そのまま石畳の地面へと座り込んでしまう。
その見た事のないレイの様子を窺うエリザベータが目に飛び込んできたのは、地面に落とされた大口径のリボルバー、穴の空いたフライトジャケット、そしてそこからあふれ出る赤黒い液体。
未だ整わない呼吸を繰り返しながらレイはフライトジャケットのポケットから、赤いシガレットケースを取り出す。
合金製の蓋が開けられたその中に並べて入れられていたのは、救急用のナノマシンを入れた注射器だった。
レイは撃たれた左肩を労わるようにフライトジャケットをはだけさせ、筒状の注射器を患部付近に当ててスイッチを押すと、軽いガスが噴出す音と共に薬液がレイの体に注入される。
しかし比較的即効性のあるナノマシンであっても、傷口から溢れ出す血を止めることは出来ない。
手袋を脱ぎ捨てたエリザベータはコートのポケットからシルクのハンカチを取り出し、力の入っていないレイの左腕に巻きつけて止血を始める。
「なに、してやがる」
「止血ですわ」
「そうじゃねえ、さっさと行けよ。アンタが生きて帰らねえと俺の任務が失敗になるんだよ」
「でしたら、レイさんが我が家まで来ていただけまして?」
「交渉は始まる前に決裂だ。さっさと行けよ、俺もすぐに消える」
不慣れなエリザベータの手が傷口を刺激する激痛に舌打ちをしながら、レイは自身が作ったネイキッド・ガンから派遣されたであろう男の死体が転がる路地を見渡す。
2発の銃声が響き渡ったというのに、未だ厳戒態勢を解かれていないモスクワの路地には野次馬も国防軍の人間も誰も様子を見に来ていない。
終了したばかりの大統領演説、モスクワ郊外でのD.R.E.S.S.による戦闘。
目を逸らさせるには十分なそれらのおかげで時間が稼げているとしても、不特定多数に見つかってしまうわけにはいかない2人にはもう時間が無いのだ。
しかしエリザベータはその事実を意に介しもせずに、血に染まるハンカチを見つめながら呟く。
「お断りしますわ」
「おい、いい加減に――」
「敵対者を片付けたらすぐに駆けつけると言って、これだけ傷を負った人間をどう放っておけと仰いますの?」
「アンタには関係ねえだろ。こっちは車泥棒までしてここまで来てんだ、これ以上面倒掛けられるのはゴメンなんだよ」
「レイさんにとってそうであるように、レイさんの事情もわたくしには関係ありませんわ」
ブルズアイの乗ってきたジープで市街地付近まで来たのはいいが、グレネードの爆風に巻き込まれ表面に溶解した跡があるジープで市街地を走る訳にもいかず、レイは郊外を走る車をヒッチハイクする振りをして強奪していた。
そこまで話してもエリザベータは、ハンカチを結ぶのに手こずる手を止めようとはしない。
自身の護衛対象がどれだけ強引だったのか改めて思い知らされたレイは、再度舌打ちをして観念したように深いため息をつく。
差し迫った現状から目を逸らすように仰いだ何もかもを押しつぶすような暗い空は、厚い雲に覆われ粉雪を散らしていた。
「……だっせえだろ? 俺じゃ親父の代わりにはなれねえよ」
有形無形の圧迫感、何より護衛対象に治療されている自身に、レイは自嘲するような笑みを浮かべてしまう。
求められていたのは、パーフェクトソルジャーと呼ばれていたヘンリー・ブルームスの息子であるレイ・ブルームス。いつだってそうだった。
素性を隠そうとも1度知られてしまえば、誰もが自身を通して既に居ない人間を見た。
どんな結果を残そうとも、既に居ない人間と対比して期待外れだと罵られた。
重ねた努力と経験と自身は、纏わりつくその存在にかき消されていった。
だからレイは生きているだけで周りの人間達に愛されているフィオナに嫉妬し、そんな似た苦しみを感じていたフィオナに八つ当たりした事に自己嫌悪し、そして主義を変えてしまうほどに入れ込んでしまった。
そしてレイはそんなフィオナと同じ冷たい不快感を与えてくる、エリザベータ・アレクサンドロフという女を恐れていた。
告げられた言葉通り変えられてしまうのではないか、代替から望み続けていた本物へ、と。
しかしエリザベータは心外だとばかりに大声を張上げる。
「そんな事、いつわたくしが望みました!? いつわたくしがレイさんにお父上の代わりで居て欲しいと望みました!?」
告げられた言葉の真意を理解し激昂するエリザベータは、空を仰いでいたレイの顔を両手で掴み自分の方へと向けさせる。
力ずくではないものの、抵抗しきれない何かに動かされたレイの視線に映し出されたのは透き通るような碧眼。
覗き込んでくるエリザベータの強い意志を持ったその目を、気だるげに半分まぶたに隠された色の暗い碧眼が見つめる。
「篭絡してでも、この身の純潔を捧げてでも、わたくしが欲しいと願ったのは、国と軍が利益と天秤に掛けて見捨てられたわたくしを救ってくれたレイさんだけですわ!」
ロシア語を理解出来ないレイに情報収集を命じられていたエリザベータは、集めた情報から全てを理解してしまっていた。
国は碌な捜索をする事もせず、より大きな経済効果を生み出す経済戦争へ踏み出すために邪魔になるエリザベータを生死不明とした。
表向きは人命を救うレイの任務も、エリザベータの敵対者達に操られるロシアからすれば敵対行為でしかない。それを隠していたとはいえ、エリザベータを救おうとしていたのはレイという傭兵だけだった。
そしてエリザベータはレイの予想通り|心的外傷後ストレス障害《PTSD》を負い、そして疑うまでも無くストックホルム症候群を発症していた。
とてもではないが正常とはいえなかったエリザベータは眠っている間にレイが消えてしまうのではないかという被害妄想を抱き、そして夢に出てくる出てくるサラトフで自身の身を穢そうとした男達から逃れるように、レイにのめり込んでいった。
「そんなレイさんだからこそ、わたくしはその悲しい在り方を変えたいと望みましたの」
初めは言葉通り篭絡し、自身にとって都合の良い存在として傍らに置くために取り入ろうとしていた。
しかし知れば知るほどにレイ・ブルームスという存在は戦いに魅入られてしまい、いつかはその中で朽ち果ててしまいそうな存在であるとエリザベータは感じてしまった。
その陽炎のように希薄な存在を、エリザベータはその運命から救い出し自身の傍らに繋ぎ止めたかった。
打算でも保身でもない、暗い碧眼に魅入られたエリザベータの感情が強く訴えるのだ。
その瞳を見ていたい、その声を聞いていたい、その温もりに包まれていたい。
そしてその欲求に従うように、レイが生きていると感じられるように、エリザベータは両手で包んでいた顔を胸に抱えるようにしてレイを抱きしめる。
「……悪いな。まだ俺は手も顔も洗って来てねし、変わる気もねえんだ」
冷たい不快感を消し去ってしまったエリザベータの体温を感じながら、レイは自身の配役に苦笑を浮かべながらマイ・フェア・レディの令嬢へと変わった花売りの娘の言葉を紡ぐ。
「それを言うなら、わたくしもスリッパを見失ったりしていませんわ。それに待ち続けるのは女の甲斐性でしてよ?」
「ほざけよ」
花売りから淑女へと変わる事を求めた娘、その娘を変えることを望んだ言語学者の男。
奇妙な配役に沿った言葉を応酬し、左肩の傷口から気が紛れだした頃、遠くで鳴るサイレンをレイの耳が捉えた。
「もう行ってくれ、これで俺の任務は完了だ」
「……これでもうおしまいなんですのね」
悲しそうに目を伏せるエリザベータをやんわりと引き剥がし、レイは壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。
ナノマシンとエリザベータの止血のおかげで失った血は少なく、レイはすぐにでも行動する事ができそうだった。
「戦争に反対する政治家の隣に傭兵が居るなんて、それこそ冗談にもならねえだろ」
「……なら、これをお返しいたしますわ」
「やるよ、よく似合ってる。それを気に入るかどうかまでは知らねえけどな」
首に掛けられた金のネックレスを外そうとするエリザベータを右手で制しながら、レイは苦笑交じりに言う。皮肉も嘘も無い心からの言葉。
そして地面に落としてしまった銃を回収し、レンズが割れてしまったサングラスをフライトジャケットのポケットに入れ、レイは国防軍の車の気配を探るようにあたりの路地の向こうを見渡して逃走経路を決めた。
「あばよリザ。もう会う事はねえだろうけど、新しい世界を見届けてやるよ。それまでせいぜい稼がせてもらうさ」
別れの言葉としては呆気ない言葉を残して、レイは暗い路地の向こうへと走り去っていく。
遥か遠くに陽炎のように消えた黒い影が存在した事を確かめるように、エリザベータはは胸元の十字架を両手で包みこむ。
「このご恩、きっと生涯忘れることはありませんわ――」
胸に広がる寂寥感を胸元に寄せた手で抱きしめながら、エリザベータは生涯でたった1人の存在となったその者へ言葉を紡いだ。
「――わたくしの"恋人"」