第十九話 柄巻
白壁の蔵が立ち並ぶ、美しい水路沿いの問屋街。柳の枝が川面を撫でる長閑な光景の中を、丸と陣十郎の二人は歩いていた。
目的の場所は、水路から一本入った裏路地にひっそりと暖簾を掲げる職人の工房である。
戸を引き開けると、特有の鞣し革の芳醇な匂いが鼻を突いた。土間には様々な色合いの革や布、紐、糸等の素材が用途ごとに整然と分類されており、見事な細工が施された胴乱(財布)や小袋が所狭しと並んでいる。
丸は迷うことなく職人の元へ歩み寄り、愛用の小太刀を差し出した。
「この柄巻きの修繕と、小太刀を収める新しい革袋を頼みたい」
職人が差し出した見本の革を指でなぞり、丸はその滑らかな質感と、端の処理の細やかさに静かに感嘆した。過酷な実用に耐えうる頑丈さと、無駄のない美しさを兼ね備えた見事な仕事だった。
「お前、そういう細々した道具にはやけにこだわるのだな」
腕を組んで背後に立つ陣十郎が、呆れたようにため息をつく。野盗との乱戦では泥臭く血に塗れる男が、革の装飾一つにこれほど執着するのが意外だったのだ。
丸は小太刀を愛おしむように見つめ、淡々と答えた。
「……この刀は俺の加護であり、命を繋ぐお守りだ。俺の身が果てるその時まで、一生大事にすると決めている。だからこそ、最高の手入れと居場所が必要なんだ」
その言葉に職人はハッと顔を上げ、「必ずや、ご満足いただける品に仕上げてみせます」と深く頭を下げた。
丸は、この腕の良い職人を今後も贔屓にしようと心に決めた。
しかし、その穏やかな空気は、不躾な怒声によって唐突に破られた。
「おい親父! 今月の場所代はどうなってんだ!」
ガラの悪いゴロツキが三人、下卑た笑いを浮かべて店内に上がり込んできた。職人の顔からさっと血の気が引き、陳列された革製品を庇うように後ずさる。
「ああ、もう少しだけ待ってくだされ……!」
「うるせぇ!とっとと金出さねぇとこの辺のモン全部かっぱらっていくぞ!」
ゴロツキ達は三人で弱気な主人を威勢よくまくし立てている。
正義感の強い陣十郎は、職人を脅す不条理な奴らに胸の内でフツフツと怒りを宿し、ギラリと睨みを利かせた。
「……陣十郎。俺は少し、外の空気を吸ってくる」
丸が感情の読めない声でそう呟き、席を立とうとする。
(こんな時に冷たい奴だな……)と一瞬呆れた陣十郎だったが、通り過ぎる丸の横顔を視界に捉えて息を呑んだ。その顔には静かな怒りが宿りつつも、どこか悪戯を思いついた悪ガキのような、底知れない冷ややかな笑みが浮かんでいたのだ。
(ぬぬ……そういうことか。この職人を守るため、一丁焼きを入れてやるとするか)
丸の企みを察した陣十郎は腹を括り、店内での「露払い」を引き受けた。
陣十郎は巨体をゆったりと起こすと、ゴロツキたちの前に立ちはだかり、雷のような大声で怒鳴りつけた。
「おい、下種ども! 職人の邪魔をするな!」
同時に、先頭にいたゴロツキの胸倉を掴み上げると、店内から勢いよく蹴り飛ばした。二人目のゴロツキに対しても、太い腕でみぞおちに強烈な鉄拳を叩き込み、その場に崩れ落ちさせ、一気に懲らしめてやった。
一方、陣十郎に蹴り飛ばされて店の外へ転がり出た三人目のゴロツキは、痛みに喘ぎながら慌てて逃げ出そうとした。だが、その背後に待ち構えていたのは、外に出た丸だった。
逃げてきた三人目の足元へ無造作に足を出し、派手に転倒させると、丸は逃げ道を塞ぐように上から見下ろした。
「ひっ……!」
怯える男の首筋を容赦なく踏みつけ、丸は静かに問い詰めた。
「お前たち、一体どこの差し金だ? 誰の命でこんな真似をしている」
丸の底知れぬ眼光と、逃げ場のない圧迫感に恐怖した男は、震え上がりながら白状した。
「ひ、ひえぇっ! ガ、ガマの親分だ! ガマの親分に言われて、このあたりの取り締まりと集金をやってるだけだ! 頼む、助けてくれ!」
予期せぬところで出てきた「ガマ」の名に、丸はわずかに目を細めた。
(やはりあの男の影が潜んでいたか……)
腹を括った陣十郎が店内で二人を懲らしめ、外では逃げてきた一人を丸が完璧に締めて吐かせる。
二人による見事な「共闘」によって、ゴロツキたちは一溜まりもなく成敗されたのだった。
職人が表に出てきて、深々と頭を下げ礼を述べた。
「奴らはいつも暴れて、他の職人連中も困っておったんです。ありがとうございます。助かりました……」
丸は静かに穏やかな表情で返事をした。
「ああ。職人の指をやられたり、店内を駄目にされたら、俺の小太刀も困るでな」
騒ぎを聞きつけて町人や近くの職人がぞろぞろと集まってきた。その中に丸を見つめる一人の町娘の姿があった。
花がらの白い浴衣を着た、その娘の顔はどこか儚げで蕩けており、丸もその視線に気が付いた。
二人は言葉を交わすでもなく、がやがやと騒ぎ出す人混みの中で、ただ静かに穏やかにお互いから目を離せずに居た。




