医師
遅刻すみません。
皇室の健康を守る宮廷医師たちは、帝国医師団に属する。以前は国教である女神プロティアの神殿の管轄下にあったが、現在は独立機関だ。人の病や傷を治すのは『魔力』ではなく『神力』とされている。とはいえ、『神力』は万能ではなく、特に病気に関しては薬物治療が一般的だ。
はっきりとしたことはわからないけれど、医学に関しては、前世の日本の方が進んでいたと思う。『癒し』という『神力』があるせいかもしれない。
医学はこちらでも学問だけれどね。
私と兄、そしてエミリアさまは、学院が終わった後、帝国医師団の管理する医務庁へとやってきた。
広大な薬草園を維持するために、宮廷からは少し離れている。
「それにしても、ご同行してよかったのでしょうか」
「すまない。本当は私一人で背負うべきなのに」
私の疑問にリオン殿下は謝罪する。
「いえ。そういう意味ではないのですが」
リオン殿下は皇族とはいえ、まだ十四歳。前世でいえば、中二である。母親の病状を一人で受け止めるのは、不安で当然だ。
「関係を問われたらなんていえばいいのかなと」
「そんなの簡単ですわ。ダビーさんは、殿下の側近候補ですし、私とアルキオーネさんは、殿下の婚約者候補といえばいいのです」
「エミリアさま?」
エミリアさまはともかく私も婚約者候補って。いくら一夫多妻とは言っても客観的にどうなのかな。
「別に不思議な話でもありませんわ。取り巻きの一人や二人」
にこりとエミリアさまは笑う。
うーん。でも、夜会でも学院でもないところに取り巻きの女を連れて歩く皇子って、ちょっとどうなんだろう。殿下の評判が落ちるようなことがあっても困ると思うのだけれど。
「ごめん。君たちに変な噂に巻き込まれないようにするよ」
私の表情に何を見たのか、リオン殿下が申し訳なさそうな顔をする。
「心配しなくてもアルキオーネは侍女候補にしか見えないと思うぞ」
「まあ!」
兄の軽口にエミリアさまは眉を吊り上げた。
「アルキオーネさんはリオン殿下、もしくはレジナルド殿下の婚約者として筆頭に名前が挙がっておりますのに。見識不足も甚だしいですわよ」
「……筆頭はないと思います」
少なくとも、エミリアさまより上に名前が挙がるなんて意味が分からない。
「アルマク侯爵家は非常にバランスがいいのですわ。強すぎも弱すぎもしません」
「そのことは、わからなくもないですが」
四大公爵家と違い、立太子に押し上げるほどの力はうちにはない。だからといって、軽んじられるほど弱くもないし、そこそこに経済力もある。
「とりあえずそれでごまかせるなら、気にすることはないんじゃないか?」
相変わらず楽観的な兄だ。
案内された応接室で、兄と私は殿下の隣に立ち、殿下とエミリアさまが並んで座って待った。
ルシアーナ妃の主治医は宮廷医師団の一人でガイナック ・ジュテストという人らしい。
「お呼びでございますか? 殿下」
入ってきたのは二十代後半の若い医師だった。背がひょろりと高い。
物腰は丁寧だけれど、オレンジ色の髪のせいか少々軽薄な印象を受ける。右手にはカルテの束を持っていた。
「少し母の病状について聞きたいと思ってな」
殿下が口を開くと、ジュテストはちらりと私達の方を見た。
部外者に話すべきか迷っているのかもしれない。
「連れについては気にしなくていい。とりあえず座ってくれ」
「……はい」
ジュテストは兄と私が立ったままなのが少し気になったようだが、遠慮がちに椅子に腰を下ろした。
「実は私は母の病について、あまりよくわかっていない。貧血でかなり悪いとは聞いているが、具体的な病名はついているのだろうか?」
「私の診たてでは、『赤龍のまどろみ』でしょう」
「赤龍のまどろみ?」
この世界の病は、やたらナントカ龍とつくことが多い。たいていはその龍が目撃された年とかが関係するのだけれど。
「体内の火の魔力が不足する病でございます。まず、味覚が分かりづらくなり食欲が非常に落ちます。あと血の巡りが悪くなります」
この世界の人間の体は魔力のバランスが狂っても病になる。火の魔力は食事によって補給されるものだが、味覚が分かりづらいので食欲はどんどん落ちてしまい、さらに不足していくという悪循環になってしまうらしい。
「治療法は?」
「ゴルという薬を毎日服用なされば、それほどこじらせる病ではないのですけれども……」
ジュテストの表情は険しい。
「ゴルの服用に難色を示されておりまして、私としても試行錯誤しているところにございます」
「……やっぱりな」と、兄が小さく呟くのが聞こえた。
患者の方に提案した治療法を拒絶されてしまうと、医師としてもどんな手を打っていいのかわからないのだろう。
「ちなみに、ゴルというのは?」
「ブレーザー高原で生息するゴルという蛇の魔物の『毒』から抽出するものです」
「蛇毒?」
「もちろん毒性はありません。火の魔力の塊なのです」
ゴルという蛇は獲物に火の高濃度の魔力を注ぎ込むことで、相手を体内から焼き殺すらしい。
「人工的に作った魔力結晶の中で一番副作用が少ないとされております」
「母は、なぜ嫌だと?」
リオン殿下は首を傾げる。
「おそらくゴルが魔物の『毒』から抽出されたものだから、ではないでしょうか」
ジュテストはため息をつく。
「ルシアーナさまはプロティア教のなかでも、『光輪』派の信者でいらっしゃいます。魔物に関するものを徹底して遠ざける宗派ですから、受け入れられないのでしょう」
「生きるか死ぬかって時にそれは重要なのかしら」
思わず私は呟いてしまう。
「……すみません」
静まり返っていたせいで、みんなに聞かれてしまい、私は思わず俯いた。
「アルマク嬢の言う通りだ。ジュテスト医師にも苦労を掛けて申し訳ない」
リオン殿下は頭を下げる。
「現在は魔術師が作った結晶を服用されていますが、副作用が強くて余計にお辛いようで……」
つまり、副作用の弱い薬を飲まないから副作用が強い薬を飲まざるを得ないということなのか。
「ちなみに食事はいつもと同じものを食べたほうがいいのか?」
「機械的に口に運べるなら、それが一番よろしいかと存じますが、現実問題として、味覚が弱くなっておりますから、なかなか難しいでしょうね」
ジュテストの表情は苦い。
薬を飲まなくても、食べて少しでも火の魔力が回復してくれば味覚も戻ってきて、食欲も戻る可能性が高くなる。
ただ、現状は食欲もなく、しかも薬の副作用まで出ているのだ。
「……しかし、私の知る限り、母上はそこまで『光輪』派の信者だっただろうか?」
リオン殿下は首をひねる。
「確かに熱心なプロティア教の信者ではあったけれど」
「……ここのところ、プロティア教の光輪派の勢いは増している」
兄が口を開く。
「新しい司祭ローバー・ダリンが光輪派だという話だ。奴は甘いルックスで女性の信者を虜にしているってよく聞く」
ふうっと兄は息を吐いた。
「龍が出現するたびに『光輪派』の勢いが増す。ここ二十年の間、黒龍、赤龍がたびたび帝都に飛来しているせいだろうな」
リオン殿下は首を振る。
「なんにせよ、その主義主張のせいで助かる病が死の病になるのは間違っている。母を何とか説得するしかないな」
「そうしていただけると助かります」
ジュテストはほっと和らいだ顔になる。
「特にあの、家政婦長には手を焼いております。殿下からもご説明いただけると助かります」
「わかった」
リオン殿下はこくりと頷いた。




