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グランベヒーモス戦 IX

残念だったな、小娘。


グランベヒーモスは心の中でそう発した。少し離れた位置を見ると、顔が大きく歪んだブラフマーとヴィシュヌがいた。そして自分の足元を見れば、無防備に転がるアルテミス。


残念だったな。


反芻する。

己の触手を振るい、血を払う。ビシャビシャと音を立てて血が地面に落ちる。見なくとも分かる。

確実にあの子娘を殺せたと。

血が地面に当たり、音を立てた。それだけで十分だ。


死体などもうどこにもない。何故か。そんなものは簡単。圧倒的な速度で振るわれる触手に当たれば、その物は肉塊となることさえ許されない。唯一許される事があるなら、それはこの世界から存在が消える事。比喩でも何でもなく、消える事である。


残念、だった、な。


言葉が途切れる。何だ?

…………笑っていたのか。


グランベヒーモスは、笑っていた。自分の手を顔に触れて、漸く気付いた。

劣悪で醜悪で悍ましい笑顔。


くく、くくくく、くはははははははははッ!!!


『くはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!』


止まらない。

あの顔、最高だ!!あの、絶望に染まった顔が!!

止まらない。

もっと染めてやりたい……もっと、もっと黒く、黒く黒く黒く、染めてやりたい!!

止まらない。

止まらない。


止まらない。



止まらない。


◇◆◇


ぅく……ブラフマーは、自分の涙を堪えることが出来なかった。ボロボロと溢れ出る水分。それは初めの1滴が溢れると同時に溢れ出た。


止まれ止まれと目に手の平を擦り付けるが、手の平の隙間から溢れる。


ブラフマーの手が、涙で濡れる。




ある時、突然目の前の風景が変わる。周りの風景が真っ赤に染まる。それは夕焼けの様な赤ではなく、黒ずんだ嫌な赤。体を蝕む様に感じる。

手の平に視線を落とす。


手の平が、*で染まっていた。手の平じゅうにくまなく赤黒い液体が塗りつけられている。


*?


なに、これ

嫌だ

やだ

誰か、

誰か、


助け、


『ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああか』


突然ブラフマーの視界にグランベヒーモスが現れた。だが、首は忙しなく動いてはいけない位置まで動いている。その度に骨が折れる不愉快な音が鳴り響く。

だが、グランベヒーモスはそんなことどこ吹く風。自分の首が三六〇度回転しようが、気にすることはなかった。


ブラフマーに向かって叫ぶ。


『死ぃぃぃぃぃぃいいいいいいいんだんだぁぁぁ、よぉぉぉおおお? シヴァはぁぁぁぁぁ! あは、くひ、キハッ、ヒキキ、けはは!』


よく見るとグランベヒーモスにも赤黒い液体付いている。


*?


ゆっくりとグランベヒーモスはブラフマーに顔を近づけ、触手をブラフマーの顔に持っていく。

そして、血をブラフマーの顔面に打ち付ける。


どろどろで、嫌な液体が顔面を赤黒く染める。


……これは、*なの?


そうだよ。これは血だよ。シヴァの、血だよ。


聞いたこともない声に導かれてもう一度、自分の手を眺める。赤黒くて、ドロドロしていて、嫌な臭いで、とにかく嫌な液体。


血?


血?


嘘だよね?


嘘じゃないよ。


ブラフマーは、狂う。


「いや、いや、、い、、、や、、うっ、そ、いや、いや、いや………」

『嘘なんて、どこにもないよ』

「やめてっ!もう、もう……」

『死んだんだよォォォォォォ???』


「いやっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!」


幻想が、牙を向く。


◇◆◇


ブラフマーが、気絶する。ドサリと倒れてしまった。それからすぐに、ヴィシュヌも気絶した。


空の色は赤黒くは無いが、その代わりとでも言うように雲で覆われている。空一面灰色の壁で埋め尽くされていて、薄暗い。


ケケケとグランベヒーモスは笑う。いや、嗤う。


そして、グランベヒーモスは唐突にアルテミスに目を向ける。ずっと気絶したままだ。起きる気配はない。

更に、嗤う。


『勝った……』


小さな声で、グランベヒーモスは呟いた。それが勝利の宣言だとでも言うように。


『我は、最強、なのだ……これが、当然、だ!』


触手を上に振り上げる。


『ははっ、ははははははははッ!!』


嗤いながら、その触手を振り下ろし……


……はしなかった。


『?』


上から何かが降ってくる。雨か? と上を見るが、灰色の空は違うと答える。じゃあ何だと自分に問いかけようとして、視界の端にあるものを捉える。


中ほどから切断された(・・・・・)触手が。そこから夥しい量の血が溢れ出ていた。先程血を払った場所を見ると、明らかに量の多い血が広がっていた。


『???』


何だこれは。それが初めに出てきた言葉だった。ただ、それは言葉であり、声ではない。つまり、声として発せられた訳ではなかった。


混乱が襲う。

思考が乱れる。


何故?どうして?そんな疑問ばかりが溢れてくる。冷静に思考しようとしても、他の思考に邪魔される。

だが、一つの声によってグランベヒーモスの思考はクリーンとなった。なった、と言うよりは、無理矢理クリーンにさせられたと言う方が正しいだろうか。そうでもしなければ、声の主は何時までも待たされる事になっただろうから。


「やぁっと気付いたか。グランベヒーモス……だよな?」


そこにいたのは、


『誰だ……いや、それよりも……なっ、何故だ……なぜ貴様から、アフラ・マズダの力を感じられるのだ!!』


大和だった。


大和はシヴァを抱き上げてグランベヒーモスを眺めていた。シヴァは気絶こそしているものの、怪我は然程していなかった。あるとしても擦り傷程度だ。

大和はすぐに回復魔法をシヴァにかける。すると一瞬でシヴァの体についた傷が消えていった。大和はアフラ・マズダの力をその身に宿した事では様々な魔法を使用出来るようになっていた。


グランベヒーモスがまたも混乱を始める。そして同時に、頭をある事がよぎる。

まさか、本当に存在するのか? と。


確かに自分はここにいる。ならいてもおかしくはないが……


今よりもずっと、ずっと昔、自分よりも高みにいた奴。

幾ら戦っても、勝つ事が出来なかった奴。

自分に勝利した事によって、唯一神となった奴。


正直、信じたくはない。だが、確かに目の前の少年からその力の欠片が感じられる。

そして次の瞬間、信じざる得なくなってしまった。


『好き勝手やりおって……アンリ・マンユよ……』

『!! ア、アフラ・マズダァァァッ!!』


いる。確かにそこにいる。アフラ・マズダは、そこにいる。それを理解した途端、怒りが溢れる。

アルテミスに向けた怒りよりももっと、途轍もなく大きな怒りが溢れ出る。そして怒りがある地点を超えたあたりから、怒りは殺意へと変わる。


じく、じく、じく。


心を侵食していくように殺意が身体中に迸る。


『アンリ・マンユ……貴様を止められるのは、我だけだな。覚悟は、出来ているか』

『覚悟ォ?!それはこちらのセリフだ!!そちらこそ死ぬ覚悟はあるか?!アフラ・マズダァァァァァァァアアアアア!!』

『残念だが、死ぬ気など微塵もない。寧ろ、貴様を殺す未来しか思い浮かばん』


ブチリ。確かにその音はなった。例えそれが現実には存在せずとも、確かになった。


『ァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアア!!』


今すぐ殺してやると言わんばかりの咆哮と共に、グランベヒーモスは地を蹴った。地面を足で掴み、離れる瞬間に全力の力を込めた。それによって地面は大きく抉れ、辺りに砂煙が舞う。

音速を超えんとする速度で、たった数十メートル先の大和に向かって突進した。


背にある触手を総動員させ、たった一人の標的を挽肉にしようとした。



だが、それは遅すぎた(・・・・)


◇◆◇


丁度大和と白百合達が合流した頃にまで遡る。


そこでの会話は殆どなかった。それは同時にグランベヒーモスの脅威を表していると言っても過言ではない。


ベヒーモスに乗りながら大和とRに向かって白百合たちは近づいた。だが、数が少し違かった。いや、数ではなく人自体が違う。まずアルテミス、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌがいない。その代わりと言わんばかりに見知らぬ者達が顔面蒼白で乗っていた。


おぉ、白百合か。


大和がそう言葉を発しようとするよりも少し早く、白百合が言葉を発した。


「大和ッ!!アルテミスが……アルテミスが……おっ、お願い、アルテミスを、助けて!それにブラフマーちゃん達三人も!」

「どっ、どうした?何があった?」


それから、白百合は先程までの出来事を大和とR (と言ってもRは盗み聞きしただけだが)にはなした。


勇者達が戦いを挑んだが、負けた事。それと一緒に、極大魔法を放ってもビクともしなかった事。

アルテミスが力を解放し、その代償として死ぬ気でいる事。

それを助ける為にブラフマー達三人も残った事。

そして、私達はそこから逃げてきた事。


「……そんなに強かったのか……」

「大和なら、アルテミスを助けられる?」


白百合は心配そうな表情で大和に聞いた。その問いに、大和はニカッと笑ってから答えた。


「当然!こっちには一番効果のいい神様がついてるからな!グランベヒーモスキラーだよ」

「そ、そう……よかった……」

「……それと、一つ新情報だ。…………悪い方のな」


悪い方、と聞いて顔を顰めなかった人は一人として存在しなかった。だが、Rはその悪い方の事は知っているため、特に表情は変わらなかった。


「腹が減った!」


ベヒーモスが足を滑らせかけた。白百合は勢いよく地面に頭を打ちそうになり、それを大和が支えた。他の者はベヒーモスの上で本当に転んだ。それと、勇者の顔に少しばかり笑顔が戻った。

頭の中ではアフラ・マズダが「なん、だと」と言っている。アムシャ・スプンタは大爆笑である。


もはや他人事の事のようにしていたRでさえズッコケそうになっていた。


「やっ、やまと?」

「いや、お前ら凄い深刻そうだから冗談を一つ。あ、だけど腹ごしらえはしたいな」


矛盾しているような返答に白百合がフリーズしかける。


「あ、なら携帯食料なら……一応……」


とその時、勇者の内の一人、一心が懐から携帯食料を取り出し、大和に向かって放り投げた。あざーすと言いながら大和はそれを受け取る。そして少し黙り込んでから、大和は一心ら勇者に向かって話し始める。


「そんなに落ち込むなって。お前ら勇者だろ?……いや、これは禁句かな……勇者ってさ、「勇敢な者」だって俺は解釈してる。けどお前らは今、全く勇敢そうには見えない。……そんなだと、また人が死ぬ事になるぞ?」

「お前に、何が……」

「……アルテミスは、今死ぬ気で戦ってる」

「……」

「……はぁ……そんなショック受けんなって。もっと自信を持て。一先ずアルテミスの真似をしてみろ。アルテミスの心になりきってみろ。別に全部理解する必要はないけどな」


一心や、他の勇者は顔を漸く上げた。


「頑張れ。……な?…………とまぁ、のんびりしてる暇ないしチャチャッとこれからの日程を報告する」


頑張れ、と言うのは大和の本音である。全力で気持ちを込めて、その一言を言った。

そしてそれを言った後は顔を引き締め、本題にはいった。


「ちょいと不味い。敵はグランベヒーモスだけじゃなく、アジ・ダハーカもいる事が判明した。かも知れない。 ……で、それの討伐に全員で行って欲しい。強力な奴だが、ここにいる助っ人さんは俺と同じぐらい強いから信頼していいよ」


そう言って大和は振り向きもせずに蜻蛉斬りを後ろにいるRに向けて放つ。その速度は白百合達では視認する事すら出来なかった。だが、Rは平然とそれを受け止め、いなす。それも、片手で、である。

すると槍はRの隣を行き過ぎる。その直後、地面に夥しい量の斬撃の跡が現れた。それはRが放ったものだと分かったのは少し後こと。さらにその斬撃をすべていなしたと分かったのは更に後になってからのことだ。


「……いや、勇者と騎士団の奴らはベヒーモスに乗って何処か安全な場所まで行け。そこでアルテミスの心とかを考えてみろ。それと、白百合とスサノオは俺について来てくれ。アルテミスとブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌの保護を頼む」

「わかった!」

「了解した」

「揚羽、蓮司、椿はRのフォローしてやれ、『アルテミス』のメンバーも同様に。あ、『アルテミス』の……レイ、ハル、ショウは勇者と騎士団の護衛についてもらっていいか。……戦意喪失、してやがるからな。護衛なら近接系の二人が適任だしな。……実際、アジ・ダハーカに近接戦は、二人には厳しいものがあると感じての意見だが、いいか?」

「は、はい……わかりました……!」

「了解。正直、アジ・ダハーカに片手剣ではあまり挑みたくないですしね」

「同感。大剣なんて更に嫌だよ。大和ナイス」

「おう」


分かったと全員が了承すると共に大和は、白百合とスサノオを一点に集め、グランベヒーモスのいる辺りまで転送しようとした。ちなみに転送の力は、アムシャ・スプンタによる恩恵である。


「R……よろしく頼む」

「分かってる。絶対に倒してやるさ」


最後に大和はそう言うと、転送した。この転送中に大和はある事をアフラ・マズダに教わった。


その後、その場に残った人達はすぐに大和の言われた通りにした。Rは途轍もなく強いと理解してからだ。勇者と騎士団を残し、ベヒーモスから降りる。そして勇者と騎士団を乗せたベヒーモスは今まで一度(来た時に)通った道をまた戻っていった。


ついに、この大規模ともなった戦いに切り札となる二人が投入された。

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