8.そして、事件は起こる
夢を見た。
逃げて、必死に逃げて。何か怖いものに追いかけられて。
何か怖い声が聞こえた。
ミカは後ろを振り返ろうとして……
目が覚めた。
「……うう、」
どきどきと心臓が強く打って、痛いくらいだ。
汗も出ていてひたいがひんやりしている。
「こわいゆめ……かな」
目を開けたとたんに忘れてしまった。
なんだか、このままでは眠れなさそうだ。
喉も渇いていて、水をもらおうとそっと寝台を降りた。
向こうには、別のベッドでメレともうひとりの女の子が寝ている。仲間ではこの3人が女で、部屋を一緒にしてもらった。
ふたりともよく眠っているようで、起こさないようにこっそりと部屋を抜け出した。
深夜だろうお屋敷は、静まり返っている。
厨房までは少し遠い。ミカは数日で覚えた道を行く。
なんとなく静かに歩かないといけないような気がして、呼吸もそっとしている。
それが、良かったのか悪かったのか。
いくつめかの角を曲がり、すこし長い直線の廊下に来て……
そのかなり向こうに、誰かがいた。
巡回の騎士かなと思ったのだ。
子爵家で雇っている騎士が、巡回して朝まで警備しているという。
窓の光はわずかで、よく見えていなかった。だから、ミカは特に何も考えずに歩いた。
そしてその影が動いていないこと、ふたりいること、そして、全身黒い装いで、剣を……抜き身の剣を持っていることに気づいたときには、足が動かなくなっていた。
(……誰!?)
こんなところで剣を抜くなんて、尋常じゃない。
もちろん子爵の騎士じゃない。
なら、ミカの方へ、まっすぐに歩いてくる者たちは……
どきどきと嫌な音を立てる胸。
息も止まりそうになって、ひゅうひゅうと不規則に喉が鳴る。
(……こわい!)
何かとんでもないものに出会ったような気がする。こわくて、いつの間にかガタガタと震えている。
近くに来ても、顔は分からなかった。何か布で覆っているようで、目のところだけ穴があいている。その奥から、冷たく見据えられていると分かって、ぎゅっと心臓が縮み上がる。
それが持っている剣が、ひゅっと空を切って掲げられる。
(あ、ころされる)
あの時と、父親に殴られたときと同じ感じがする。
白い光を弾いた剣が振り下ろされるのを、なんだかスローモーションで見ているようだった。
けれど、ミカにその刃が届く前に。
ガキン、と強い音がした。
すると剣が――違う方向にいって、それを見てミカは尻もちをついた。
ミカを狙っていたその影は、慌てて体を真横に向けると、剣を構える……かどうかのうちに、何か白い残像がその影にぶつかっていった。
「ぐあっ!?」
苦悶の声が上がって、その影は剣を落として膝をつく。そこに、何かが、上から、降ってきた。
ぎゃあ、と声がまた上がって、影と、それにのしかかっている白い何かがばたばたとのたうち回って……動かなくなった。
何が起こっているかわからずに見ているだけだったミカは、突然強い力でぐいっと腕をつかまれた。
「きゃ、」
「動くな、そこの小僧。このガキがどうなるかわからんぞ」
低い声が頭上から聞こえた。
また恐怖が出てきて、ミカは腕を掴まれたまま動けなかった。
白いかたまりに見えたものが、ゆっくりと動いた。
それは、仲間のロダンだった。
白い寝間着に銀色の髪。相変わらず無表情だったけれど……その整った顔に、何か黒いものがべっとりついていた。
「それはこちらのせりふだ。剣をしまいたまえ」
どこからか、子爵の声が聞こえる。そのほのかにもかすかな物音がするので、騎士もいるのだろうか。
「……」
ロダンはゆっくりと動いた。
「動くなと、言っている!」
「あう!?」
急に腕をひねり上げられて、ちぎれそうだった。
痛みで出た涙ににじむ視界で、ロダンが戸惑ったように動きを止めたのを見た。
「その子を離せ」
子爵が後ろから回り込むように正面にやってきた。
「交渉しよう。その子を離してこの場から去るなら、お前を10分は追わない」
「……」
「嘘ではない。それとも今すぐに……そこに転がっているお仲間と同じところへ行くか」
また強く腕を握られて、ミカは呻く。
(どうしよう、声が出ない)
こわくて、何も言えない――
ふっと、ロダンが動いた。
ゆっくりと、こちらに向かってくる。
「小僧!動くなと……」
「アイス・ヴァース!」
ミカを捕まえている男が、叫ぶと同時にどこからか聞き覚えのない声が響いた。
パキパキパキッ、と硬い澄んだ音が聞こえたと思ったら、ミカの腕を掴んでいた力が緩む。
へたりこむと、子爵が駆け寄ってきた。
「ミカ!」
抱えられて、運ばれた。
その横を、すれ違うように白い残像が。
「ロダン!」
誰が叫んだだろうか。
ミカがその白い影を目で追おうとした、それを子爵の手が遮った。
「ぐ、あああああ!」
恐ろしい叫び声。
びくりとしたミカを、子爵がいっそう抱え込んでさらに移動する。
ばたん、と音がして……
「大丈夫か、怪我は!?」
子爵がミカの目を覗き込む。
その心配そうな顔を見て、どっと力が抜けた。
また座り込みそうになったミカを抱き上げ、椅子に座らせると、ディナータはすぐに呼び鈴を鳴らす。
「誰がついていてくれ。……メレ!?」
ドアを開けて入ってきたメイドと一緒に、メレがいた。
「ミカは!?」
「無事だ。ただ、驚いていると思う」
「……ミカ!大丈夫!?」
「あ、う……っ」
しゃっくりみたいな声が出た。
大丈夫って言いたかったのに。
メレは駆け寄ってきて、ミカの手を握ってくれた。
「もう、大丈夫だから……」
「……」
こわかったし、何が起こっているか分からなかった。
震えが止まらない。
ぎゅっと、メレが抱きしめてくれた。
温かい。
「私が一緒にいるから……」
優しい声だ。
しばらくメレがそうしてくれて、震えが止まった。
「……ありがとう。もうへいき」
「よかった、無事で。けがはない?」
怪我をしたら治してあげるからね、と冗談っぽく言うメレに、少し笑った。
ひねり上げられたところが痛むので、念のためとスキルを使ってもらった。初めての体験。なんだか癒される、という感覚が分かって、痛みがなくなった。
「すごい……」
「これくらい」
「ミカ!大丈夫なのか!?」
ブローと、仲間たちが全員来た。
客室というところらしく、メイドが数人入れ替わり立ち替わりでミカの様子をうかがってくれた。
温かい飲み物や、まだ顔色が戻っていないとガウンを着せたりしてくれて、心配をしてくれて少しくすぐったかった。
「どうだい、落ち着いたかい」
「子爵様」
1時間ほどして、ディナータが戻ってきた。執事の人も一緒だった。
「すまなかった。怖い思いをさせた」
「何が、あったんですか」
「……一度休もう。それからでいい」
「いえ、聞きたいです。今寝てもまた悪夢を見そうです」
「……そうか。では、聞きたいこともあるから……」
「旦那様、ミカさんはまだ小さいのですよ」
執事が横から叱りつけるように子爵に言った。
ミカは笑う。
「大丈夫です。ありがとうございます。でも聞きたいので」
「こう言っている。彼女の場合は、変に隠したりするのは逆効果だ」
「……分りました。何かありましたらお呼びください。全員退出させますか?」
「……いや、シュモークを呼んでくれ。それ以外は仕事が終わり次第、休んでくれ」




