26.家庭事情と思い違い
「こんにちは!アンネッタ様!」
「ようこそ、こんにちは、ミカ」
広い草むら、少し寒い風が吹くけれど、ゆうゆうと草をはみのそのそと闊歩する牛たち。
その隅で、枯れ草をフォークで刺しながらミカを見つけて微笑む小柄な女性。
20歳くらいだろうか、柔らかそうな頬に笑みを浮かべて、同じく柔らかそうな茶色のウェーブのかかった髪をひとつにまとめている。大きな青い目はきらきらと輝いてミカをまっすぐに見てくれる。作業着だろうか、麻の生成りの上下――ズボンだ――にブーツ、濃い緑のジャケットを羽織っている。
ミカは今、隣町に来ている。そのはずれに大きな牧場があり、その牧場主が何を隠そう、この女性、アンネッタ・ディナータ子爵夫人である。
そう、子爵夫人。ディナータ子爵の奥様である。
「はるばるよく来てくれたわね。道中大丈夫だった?」
「はい、村の人と一緒に来たので」
「そうなの」
にこにこと、まるで近所の子どもに話しかけるお姉さんのように親切で、うっかり貴族の人だと忘れてしまいそうだ。
慣れた手つきでフォークでざっくりと藁を掻き上げるディナータ子爵夫人、アンネッタは、元はこの町を含めた領地を任されている伯爵家の長女だという。
幼少の頃から活発で、それでいて頭が良かった。
貴族家の令嬢なら良家に嫁ぐのが義務であり役目だというが、彼女は領地経営に目覚めて、どうしても自分の土地が欲しいと実父の伯爵に直談判したそうだ。
結果、ならばこの牧場を見事経営してみせよ、と頂いたらしい。
ゆくゆくは町の経営も、と、アンネッタは喜び勇んで牧場へと半ば住み込み……1年で牧場をモノにし、そして、子爵と結婚。
――そこのなんだかごまかされて話が飛んだところは、いつか詳しく聞きたいと思う。
子爵は夫人と結婚した時、牧場はそのまま彼女のものと伯爵とも約束を交わし、アンネッタはまだ牧場主だ。子爵夫妻はそれぞれの事情をちゃんと理解して、お互いを尊重しているようだ。
(いいよね、理想の夫婦って感じ)
仲はもちろん良い。
「今日も牛乳とバターはいつものとおり?」
「はい、お願いします。それと……」
持っていた包みを渡す。
「よかったら、ご賞味ください」
「まあ、スイートポテト?」
「ちょっとアレンジしてみました!お口に合えばいいですけど」
さっそくひとつぱくりとかぶりつくアンネッタ。
(……すごいな、貴族の人が外でまるかじり)
豪快である。
「あ、ベンチェーア(ラムレーズン)ね!?」
「はい!どうでした?」
「香りがアクセントになっていいわ。紅茶が飲みたいわね」
「わかります!」
「他は?」
「お楽しみ、です」
「ふふ、わかったわ。みんなで頂くわね」
ディナータ子爵に関わりがあるスイートポテトのレシピを教えた店は、この牧場からバターと卵を仕入れていることが多い。
そして、
「このレシピも使わせてくれる?」
「ええ、どうぞ!」
――次に材料はすべてこの牧場のもので作る、ブランド戦略も計画にあった。
町のパン屋が協力してくれて、ファルニル村のフィショノが届き次第、ディナータ牧場スイートポテト(仮)が製造販売される予定だ。
フィショノは早いところから収穫が始まり、もう数日すれば各所に出回ることだろう。
「メレもスイートポテト、美味しいって言っていたそうよ。ここのも作ったらまずはクレシオ様とメレに味を見てもらわないと」
「わあ、メレも!よかった」
元気にしているようだ。
一度、手紙が来た。彼女はまだ文字を書く練習中で、たどたどしく書かれた短いものだったけれど、ミカはとてもうれしかった。
メレがディナータ子爵の養子になったことで、アンネッタはどう思うのだろうと、あとから奥様のことを知ったミカはどきりとしたのだが、そこは貴族では珍しいことではないようで、あっさりとアンネッタはメレを受け入れたようだ。
歳が近いのでどうやら妹のような感覚らしいけれど、家族として、またディナータ家を守る女性として、メレのことは大事にするとミカにまで言ってくれた。
「そのうち会えるようにするわね」
「はい。メレにはまた会おうねってお伝え下さい」
今はまだ、会う時期じゃない。
メレの能力のことや、ミカの生活が安定しないと、ディナータ子爵に迷惑をかけてしまう。
「ええ、かならず」
にこりと、ミカが見てもかわいらしい笑顔でアンネッタはうなずいてくれた。
村から隣町には馬車で1日かかる。たまたま同じく町に用事があった村の夫婦と一緒に、別の農家の馬を借りて荷馬車でごとごと揺られてやってきていた。それぞれ用事を済ませ、とんぼ返りで帰り道に着く。
途中野宿をすることになるけれど、獣が少ない場所があって、そこで一晩火を焚きながら交代で見張りをしながら眠る。
ミカが小さいので、御者役は厚意で夫婦がずっとやってくれていた。任せっぱなしなのが心苦しいが、自分でも無理だと思う。いつかお詫びとお礼をしよう。
そうやって2日間の買い出しが終わり、村に帰ってくると。
「……あれ?お客さん?」
村長の家の前に、立派な馬車が止まっている。
それもすぐに動き出し、村長が家の前で見送る姿が見えた。
「ああ、領主さまンとこの馬車だ」
なんでもなさそうに、御者台の旦那さんが言った。
「ふーん、領主さま……ん?領主さま?」
「ああ、この村の領主さまだよ」
奥さんものんびりと言った。この荷馬車とは違う向こうの大きな道を、馬車はゆっくりと村の門へ。
周囲の畑ではせっせと収穫に励む村人がいっぱいだ。
一部の人は、干していたフィショノを満面の笑みで籠に拾い上げている――
ミカはどことなく引っかかり、首をひねり、数十秒後。
「……あ、ああ!?」
そう、この村の領主は、ミカが会ったこともない貴族様だ。
「そ、村長さん!」
慌てて荷馬車を降ろしてもらい、家の中に入ろうとした村長に走っていった。
「領主さまに、何か、言われましたか!?」
「おお、ミカの嬢ちゃん。おかえり」
「はい、ただいま……じゃなくて!フィショノのことは……」
ミカは、領主は、なんとなく、ディナータ子爵だと思っていた気がする。
よく考えれば違うのだ、そんなことは一度も言われたことがないし、子爵という身分は領地を持つことは珍しい。よほど功績をあげたとか、それで小さな土地はもらうことがあるらしいけれど。
今さら気づいて青くなったミカに、村長は笑った。
「いや、もともと子爵から話は行っておる。確認に使者が来られただけだ、問題はないよ」
「あ、……で、ですよね……」
そうだ、子爵はちゃんと貴族で、そういったところは完璧だった。
領主の領地で作られた作物はもちろん領主のものだ。
なのに、最優先に別の貴族が使っているとなると大問題である。
「すごいな、ミカの嬢ちゃんはそんなことも分かったのかい」
「い、いえ、今思いつきました……」
「すごいのう」
「うう、やめてくださいよぉ」
村長さんににこにこと頭を撫でられてしまった。
「ここの領主様はなんというか、あまり商売っ気がない。クレシオ坊の方が……こういってはなんだが、一枚上手でな」
「そう……ですか……」
それは、騙されていないだろうか、まだ見ぬ領主様は。
「まあ、大人の話は済んでおるよ。嬢ちゃんは気にしなくていい……と言いたいところだが、また何か気になるなら遠慮なく聞くといい」
「うう、ありがとうございます……」
恥ずかしさが尾を引く一件だった。
#######
これで一旦更新を休ませていただきます




