第2章 第10話 使者ハム太
王宮の最上階、指揮所。
窓の外に広がる光景は、圧巻というより絶望的だった。旧帝国軍の白獅子旗が、地平線の果てまで埋め尽くしている。十万を超える大軍が、オルレアンを完全に包囲していた。
「……ハム太、本当に大丈夫か?」
「自分なら大丈夫っすよ! もう何度もシミュレーションしたじゃないっすか。スイ様が心配しすぎなんです」
「だったら、せめてメイド服じゃなくてもだな」
「いいえ、勇者様。ハムちゃんにはこの格好が似合ってますよ。それにこれがハムちゃんの正装なんですから」
「そんなこと言って、ハム太が襲われたらどうするんだよ」
「もう、勇者様ったら。仕方ないですね~」
マリンは、小さくため息をつくと、両手を頭の上で組んで、指の隙間をじーっと覗き込んだ。
「私の占いでは、ハムちゃんは無事に帰って来るって出てますよ」
「本当だろうな!」
「当たり前です」
この作戦は、オルレアンへの派遣が決まってからというもの、ずっと練り続けたものだ。失敗すれば、ハム太の命が危ない。いや、失敗したらこの街にいる全員が危ない。それでも、ハム太は俺の手をぎゅっと握った。
「スイ様……もし無事に戻れたら、前みたいにハムスターの姿で一緒に遊んで欲しいっす。それから……」
「ちょっと待て、それ以上言うとフラグだからな!」
俺は涙を堪えながら、ハム太の頭を優しく撫でた。小さな耳がぴくぴくと動く。
「行ってこい、ハム太。絶対に帰ってこいよ」
「はいっす!」
ハム太は元気よく敬礼すると、背中を向けて歩き出した。
その小さな背中が、なぜか今までで一番大きく見えた。
◆
一方、旧帝国軍の本陣。豪奢な天幕の中で、元商会主にして今や軍を率いるヴィクターが、余裕の笑みを浮かべながらグラスを傾けていた。
「王国が勇者を送ってきただと? ふん、所詮は小娘のリリアナがすがったんだろう。十万の大軍の前に何ができる」
彼の嘲笑に、周囲の将校たちも同調する。
すっかり戦勝気分の本陣に伝令が飛び込んできた。
「店主様! あやしい者を捕らえました!」
「そんな事でいちいち報告してくるな」
「それが、勇者の使者を名乗っておりまして」
「ほう……連れてこい」
やがて、両手を後ろ手に縛られたハム太が、荒々しく引きずり出されてきた。
「なんだ子供のメイドではないか」
「自分は、勇者様の使者のハム太って言うっす」
「何を言うか。勇者が小娘を使者として遣わすはずがないだろうが」
「自分は男っす!」
ハム太の言葉に、ヴィクターは下卑た笑みを浮かべた。
「ほう……なら証拠を見せてもらうしかないな」
「ひいいぃ」
「お待ちください店主様」
「何だアレン」
「その者が王国領内で勇者の側にいる姿を見たと部下から報告があります」
「ほほう。ならばお前、イリアスのことも知ってるな」
「イリアスさんなら王宮にて丁重にもてなされているっす。それよりこれを読んで欲しいっす」
ハム太はそう言うと、震える手で、胸元から一通の封書を取り出した。
「……何々……停戦に応じるなら、イリアスの身柄と王国以外でも育つ真の原初の種を差し出すだと」
「アレン、どう見る」
「ははっ。たしかに勇者からの書状に間違いございませんが、時間稼ぎかと。捨て置いても構わないでしょう」
「いや、ちょっと待て。このまま包囲を続けることにする。総攻撃はしばらく中止するよう伝えよ」
「店主様、この期に及んで何を……」
「このメイドは、連れていけ。使者の礼まで取る必要は無いが手は出すなよ」
「イリアスさんみたいに丁重に扱って欲しいっす~」
「店主様……」
「何だ、アレン。不服のようだな」
「はっ。恐れながら今総攻めを行えば、オルレアンなど卵をつぶすかのごとく容易に落とせるかと」
「考えてもみよ。王国から騎士団が来たところで万が一でも負けるはずは無いわ。それよりこの度の出陣に義は我らにあることを大陸中に示すのだ」
「なるほど……」
「開戦の理由など何でもよい。あくまで向こうの非を鳴らし、世論を味方にオルレアンを叩き潰すのだ。ずいぶん商売もやりやすくなるであろう」
「終戦後の市場のことまでお考えとは……出過ぎた言葉、お許しくださいませ」
得意げなヴィクターの前に、アレンは身を縮めてひたすら恐縮するばかりだった。
◆
王宮に戻った俺は、会議室の中をうろうろと歩き回っていた。ハム太が捕らえられたという報告を受けたのだ。
「もう、勇者様ったら、いい加減落ち着いてくださいよ」
マリンが呆れたように言う。
「ハムちゃんはちゃんと作戦通り動いてます。占いでも『無事成功』って出てますし」
「ハム太がむこうで捕えられてんだぞ」
「それも作戦の内じゃないですか。むしろ今の状況は上手くいってますよ」
「お前の占いって、俺に関しては、大外れしてたよな」
「……と、とにかくヴィクターからの返書には、こちらの要望を飲むってありましたし」
「俺は命が無事でも、嫌な目にあってるんじゃないかって心配なんだ」
「もう、勇者様ったらいい加減しっかりしてください! いくら可愛くてもハムちゃんだって男の娘なんです! 今は心配する前にやるべきことをしないと!」
「いや、そこは男の娘じゃなくて、男の子だろ!」
俺はマリンにツッコミつつも、何とか気を取り直して準備を急いだのだった。
◆
そして翌日の午後。
俺たちがイリアスを送り出すと、正面からもひとつの影がこちらに向かって歩いてきた。
小さなメイド服を着た少年――ハム太だ。
「スイ様~~~!」
ハム太が全力で駆け寄ってくる。俺は思わず両手を広げて、その小さな体を抱きしめた。
「ハム太……! 無事か? 本当に無事か!? 変なことされなかったか!?」
「大丈夫っす……ちょっと監禁されただけっす。怖かったけど、仕事はちゃんとやり遂げましたっす!」
ハム太は俺の胸に顔を埋めながら、笑顔を見せた。
ハム太の無事にホッとする俺を尻目にマリンは得意げに胸を張っている。
「ほら! 私の占い通りでしたね」
「……ああ、今回に限っては大正解だ」
「限っては余計ですよ~」
これで五日間の停戦が成立した。敵の戦力は十万。対してこちらは千余り。しかし、この五日間があれば——。
(ここからが、本当の勝負だ)
「とにかく、ハム太よくやってくれた」
「お役に立てて嬉しいっす~」
俺の言葉にハム太は嬉しそうに鼻をぴくぴく動かしたのだった。




