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第23話 話し合い

 凛と別れた帰り道、駅の改札を出ると良樹がいた。


「えっ、よしくん?」


 てっきりもう帰っていると思っていた良樹が、改札の前で佇んでいる。志保は思わず「どうしたの? 帰ったんじゃなかったの?」と尋ねた。


「あー、先に帰ろうかとも思ったんだけどさ、オマエを一人で家まで帰らせるのもなんか心配だったんでな」


 帰りの時間を伝えていたわけでもないのに、良樹はずっと待っていたらしい。


「もぉ。高校生なんだから、私だって一人で帰れるよ」


 口ではそう言ったけれど、もちろん志保の本心は正反対だ。良樹が守ってくれる、その安心感がどれほど彼女の支えとなっているか。喜びに繋がっているか。


 零れ落ちそうになる笑みをこらえるのは、なかなかに大変だった。



「それで、凛先輩とは何を話したんだよ」


 並んで歩きながら、良樹がそう尋ねた。

 

「……もしかして、それを早く聞きたくて待ってたの?」


 そんな意地悪なことを口にする志保だが、そんなわけがないことはもちろんわかっている。慌てて「そんなわけないだろ」と弁解する良樹を見ていると、彼女の想いはますます募っていく。

 志保はふと、マネージャーのことを良樹に全く相談せず返事をしていたことを思い出した。


「……ねえ、よしくん。私が月島先輩の代わりによしくんのマネージャーになりたいって言ったら、どうする? イヤ?」


 思いがけない質問が志保の口から飛び出してきて、良樹は言葉に詰まってしまった。それを考えたことがないと言えばウソになるが、だからといって真剣に考えていたわけでもない。


「な、なんだよ急に。そんな話をしてたのか?」

「……うん」

「どうするも何も……急に言われてもさ、答えに困るって言うか……」

「そっか、そうだよね。急にゴメンね」

「別に謝ることじゃないけど……でもそうだな、オマエが俺のマネージャーだったら……うん、まぁあれだ、心強いかな」

「心強い? 月島先輩よりも私がマネージャーの方が心強いの?」

「そりゃまあな。志保だったら気心知れてるし、俺のこと良く知ってるしさ。凛先輩みたいなムチャ言わなそうだしな」

「もぉ、何よそれ」


 そう言ってちょっぴり頬を膨らませる志保だったが、彼女の心はあらためて決まった。もとより凛からスカウトされた時に即答していたのだが、良樹から心強いと言われては断る選択肢なんてあるわけがない。


「決めた。私、月島先輩の代わりに、よしくんのマネージャーになるね」


 良樹は「そっか」とだけ答えた。ずいぶんと素っ気ない返事に、志保はまた頬を膨らませる。


「なによぉ、ずいぶん素っ気ない返事して。もしかしたら、嬉しくなかった?」

「バッ、バカッ! そんなわけねぇだろ。言わせんなよ」

「だってぇ、ちゃんと言ってくれなきゃわからないじゃない」

「あぁ、もう。帰るぞ。置いてくからな」


 プイッとそっぽを向きながら呟くようにそう言った良樹は、一人でスタスタと歩き出した。耳まで紅くなっているのが志保の目に映る。


「あぁ、待ってよぉ」


 慌ててその後ろをついていく志保。小走りに駆ける彼女のその表情は、おそらく世界中の誰よりも幸せに満ち溢れている。


 


「マネージャー? 志保が良樹の?」


 その日の夜、志保はさっそく両親にマネージャーの件を相談、いや、相談ではなく承諾を得ようと話をした。


「良樹のマネージャーは、あの月島さんっていう先輩の女の子がするんだったわよね。それを代わりに志保がするということ?」

「うん。今日先輩から、自分の代わりにやらないかって誘われたの。その方が私の才能を生かせるからって」

 

 志保は凛に言われたことを、そのまま2人に話した。


「その先輩の言ってることは確かに理にかなってると思うが、しかし志保の負担が大きいんじゃないか? 学校の勉強もやりながらなんだし」

「でも、月島先輩は3年生なのにマネージャーをしようとしてたわけだから」

「そうだが、志保は栄養学やら他の勉強もしようと考えているんだろう?」

「そうねぇ……マネージャーだけならともかく、他の勉強も一緒にするのは、私もちょっと大変過ぎるんじゃないかと思うわ」

「でも……私、もっとよしくんの力になりたくて……」

「志保の気持ちもわかるが、いっぺんにあれもこれもと欲張るのは、自分で自分の首を絞めることになりかねないぞ」


 樹も薫子も決して反対しているわけではなく、ただ単に心配なだけなのだ。

 良樹の件で日本スポーツ医科学研究所の菅原所長が家を訪れた時に、凛もその場に同席していた。マネージャーとして一度キチンと挨拶するためだ。

 そこで凛は自らの考えを2人に話している。

 

 その時の話から、樹も薫子も凛が何から何まで全てを自分でやろうとしているとは考えていなかった。任せるべきところは他人に任せ、最後に彼女が決断して実行に移すのだろうと、そう思っていたのだ。


「でも志保はそうじゃないんだろ? 栄養学の勉強をし始めたわけだし」

「う、うん。それはまだ本を読み始めたばかりだけど」

「俺は体育教師だからね、栄養学が運動選手にとって大事な知識だってことは、もちろん知っているんだ。だけど同時に、ちょっとやそっとの知識でどうにかなるほど浅いものじゃないってことも知ってるんだ。なにしろ栄養士っていう専門職があるぐらいだからな」


 志保は真剣な面持ちで、黙って樹の話を聞いている。


「志保は高校生だ。まず高校の勉強に力を入れるのが本分だろう?」

「でも、それはよしくんだって、同じだと思うの」

「それはそうなんだけど……」


 樹は少々困った顔をして、チラリと薫子の顔を見た。夫の気持ちを知ってか知らずか、そこから薫子が話を引き継いだ。


「こう言うとヘンかもしれないけれど、私たちはね、良樹のことはあまり心配していないの。全部の運動部に入るって聞いた時には驚いたけれど、その件についての説明は聞かせてもらったし、あのコの運動神経が飛び抜けているのは知っていたし、練習漬けになって勉強がおろそかになったとしても、それこそ志保が支えて助けてくれるだろうって思っていたから」

「それは、もちろんそうするつもりだけど……」

「でもね、それじゃあ今度は志保の負担が大きすぎると思うの。毎日良樹の練習に付き合って、自分の勉強をして、さらに他の勉強もするのでしょう? それで良樹の勉強まで面倒みたら、アナタが倒れてしまいかねないわ」


 それが心配なのよ、と薫子は言った。そして「もちろんそんなことになったら良樹には、自分のことは自分でしなさいと言うわよ」と付け加える。


(お父さんもお母さんも反対なのかな)


 志保は話を聞いているうちに不安になってきた。だが、どれほど反対されても彼女は良樹のマネージャーを引き受けるともう決めている。

 だから彼女が考えていることはただ一つ。どうすれば両親が納得するか、だ。だが、すぐに状況は一変した。


「いいかい、志保。俺も薫子も反対しているわけじゃないんだ。志保がいつもそばについていてくれれば、良樹だって安心して競技に専念できるだろう。でも、それは志保の犠牲の上に成り立っているものじゃいけないと思うんだよ。だからな、どうするのがベストなのか、一緒に考えていこうじゃないか」

「えっ? お父さんもお母さんも、反対なんじゃないの?」


 樹と薫子は、思わず顔を見合わせた。そして、どうやら自分たちが志保から誤解されていたことに気がついた。


「反対なんてしないわよ。だって、志保はやりたいんでしょう?」

「う、うん、そうなんだけど……てっきり反対なのかと思ってて」

「誤解しないでね。私もお父さんも、志保が本当にやりたいのなら反対なんかしないわよ」

「そうだぞ。もっと良樹の力になりたいっていう志保の気持ちはよくわかる。だけどさっきも言ったように、自分を犠牲にするような支え方はダメだ」

「ありがとう。でも、お父さんとお母さんの話を聞いてて、やっぱり私が少し先走り過ぎた気がしてきた」


 もっと良樹の力になりたいと欲張りすぎて、あれもやろうこれもやろうと考え過ぎたかもしれない。


(無理をして自分が続けられなくなっちゃったら、元も子もないもんね)


 やり方については月島先輩とも相談しよう。みんなで考えれば、きっといいやり方が見つかるはずだ。単なるマネージャーから、さらにもう一歩進んだやり方が。

 



 ドアをノックし、中からの返事を聞いてから志保は良樹の部屋のドアを開けた。


「おっ、話は終わったのか?」

「うん」


 3人で話し合った結果、まずは通常のマネージャーとしての仕事だけを始めてみようということに落ち着いた。


「まずやってみて、大丈夫そうだったら少しずつやることを増やしていったらどうかって」

「まあ、それがいいだろ。栄養学の本を読み始めたって聞いてビビったけどさ、オマエには勉強教えてもらうつもりでいたから,あんまりやること増やされると俺が困るわ」


 良樹は冗談めかしてそう言って笑った。


「ねえ、よしくん」

「ん? なんだよ」

「どうして一緒にいてくれなかったの?」

「どうしてって、オマエがやりたいことを父さんと母さんに許してもらうために話し合いだろ? 俺がいる必要あるか?」

「そうかもしれないけど……」


 少しうつむき加減で不満そうにしている志保に、良樹は頭を掻きながら「あのなぁ……」と彼女に話しかける。


「志保、俺さ、今すっげー楽しいんだよ」

「うん。それはそばで見ていてわかるよ」

「最初は全部の運動部に入るとか、そんなこと出来んのかよって思ったけど、いざやってみると色んなスポーツをやるのってスゲー面白くてさ、どこの部の連中もいいヤツばっかりだし」

「うん」

「俺はこれからも凛先輩の言う通りにやっていこうと思ってるんだ。でもさ、それってスッゲー大変なことだってのもわかってんだよ」

「そう……なんだ……」

「ああ、そうだよ。だからさ……正直言ってオマエがマネージャーとして俺を助けてくれるってんなら、なんかこう、安心っつーか頼りになるっつーかさ」

「安心? 頼りになる? 私が?」


 志保の目の前に、少し顔を赤らめながら懸命に言葉を伝えようとしている良樹がいる。


「さっきも言ったけど、絶対勉強がおろそかになっちゃうだろうからオマエに教えてもらおうと思ってたしな。まあ他にもいっぱいあるけど、でもさ、それって今んとこ、俺の一方的な都合をオマエに押し付けてるだけじゃん」

「押し付けてるって、そんな……そんなことないよ」


 志保は慌てて否定する。良樹から押し付けられているだなんて思ったことは、今までに一度もありはしない。だが、良樹の側の考えは少々異なるらしかった。

 

「オマエはそう言うけどさ、俺がそんな状態になるわけだから、マネージャーもきっと大変だと思うんだよ。同じくらいにな」

「それは、そうかもしれないね。うん」

「だからさ、そんな大変なことをやろうって時に、1人で父さんと母さんを説得できないんだったら、やっぱダメなんじゃないかと思ってさ」

「それだけの覚悟をしろ、ってこと?」

「そういうことになんのかなぁ、なんか上手く言えねーけど」

「でも、そうだね……よしくんの言う通りかも。ごめんね」

「まあでも、父さんたちの許可を得られたんだったらもう安心だ。これからよろしく頼むぜ、マネージャーさん」


 良樹はそう言って、いつもの悪戯っ子のような笑みを見せた。この笑顔が、志保はたまらなく大好きだ。

 

「うん、任せて。一緒に頑張ろうね」


 そう言って志保が満面の笑みを浮かべる。その笑顔もまた、良樹がたまらなく大好きな笑顔だ。

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