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キーパーソン

「よしくん、ごめんね。来るの遅くなっちゃって」


 練習試合が終わるや否や良樹のもとへ駆け寄った志保は、開口一番そう言って謝った。


「いや、別に謝ることじゃねーけど、なかなか来ないからちょっと心配はしたかな」

「ごめんね。途中で電車が止まっちゃって……」


 どうやら志保は会場に来る途中で電車のトラブルに巻き込まれ、それが原因で到着が遅くなってしまったらしかった。

 彼女の身に何かあったわけではないと知って、良樹は内心でホッと胸をなでおろしたが、もちろんそんな照れくさいことを口にはしない。



「聞いたわよ、志保ちゃん。今日はお寝坊したんですってね」


 良樹が着替えで席を外している間に、凛はそう声をかけた。


「はい……そうなんです。ごめんなさい」

「私に謝る必要はないけれど、勉強でもしていたのかしら?」

「えっ? はい、えっと……そんなところ、です」


 志保は言葉を濁したが、それを看過する凛ではない。

 そもそも短いながらも彼女と接してきた凛は、良樹と志保の関係にはとっくに気づいている。

 そして今日の良樹の様子を見るに、彼女の存在の有無が川島良樹のパフォーマンスにどれほどの影響を与えるのかは明らかだ。


「……志保ちゃん、何の勉強をしていたの?」


 凛は、おそらく志保がしていたのは学校の授業の予習・復習といったものではないと思っている。だが、だったら何の勉強をしていたのか?

 良樹の全てを把握していなければならない凛にとって、志保の動向も無視できるものではない。


「えっと、それは……」

「……志保ちゃん?」


 なんとか胡麻化してやり過ごそうとした志保だったが、凛は鋭い視線を向けてくる。


(ダメだぁ、月島先輩には隠せそうにないや)


 諦めた志保は「実は……」と白状し始めた。


「私、よしくんの力になりたくて……でも何をしたらいいかわからなくて……」

「それは……寝坊と関係あるのかしら?」

「えっと、その、実は栄養学の勉強をしていて……」

「栄養学? アナタが?」

「べ、勉強って言っても、まだ本を読み始めたばっかりで、全然知識とかないんですけど……」

「その勉強を夜遅くまでしていて、それで今日は寝坊したということ?」

「は、はい。本を読んでいるうちに熱中してしまって……」


 凛は少々驚いたものの、すぐに志保の意図を察知した。

 アスリートにとって栄養学は決して欠くことのできない知識だ。どんな栄養素がどのような効果を身体に及ぼすのか、それを把握していればより効率的に身体を鍛えることができるし、疲労回復を早めることだってできる。


 つまり彼女は、良樹をバックアップするための勉強をしているということだ。


(スカウトしようかと思っていたけれど、彼女は自分からその道を進もうとしているようね……)


 どうやら最初から道は決まっていたようだ。凛はこの件については、もう考える必要がないのだと理解したのだった。


「志保ちゃん、少しアナタに話があるのだけれど、今日この後時間はあるかしら?」

「今日ですか? はい、大丈夫ですけど……」

「では決まりね。この後は私とデートしましょう」

「デッ、デート!?」


 想いもかけないワードに驚き、志保の声は裏返ってしまった。



「俺抜きで2人きりで話したい? 別にいいけど、なんの話をするつもり?」


 着替えを終えて戻ってきた良樹に、凛は1人で先に帰ってくれと伝えた。自分は志保と2人きりで話がしたいから、と。


「気になるの?」

「……いや、別に」

「一緒にいてもいいけど、私たちのガールズトーク、聞きたい?」

「……いや、遠慮しとくよ」


 絶対にガールズトークと呼ばれる類のものじゃないだろうという確信めいたものが良樹にはあった。志保が救いを求めているような目をしている気もするが、それはあえて無視した。


(なんの話をするつもりか知らねえけど、凛先輩が志保と2人だけで話したいことがあるんなら、たぶん志保にとって悪い話じゃねえだろうしな)


 むしろ、もしかしたら志保にとって良い話をするのかもしれない。いつのまにか凛を信頼している良樹だった。




 2人で入った喫茶店。凛がコーヒーを、志保がミルクティーを注文したところで、おもむろに凛が口を開く。


「そういえば志保ちゃん。良樹くんに聞いたのだけれど、自分が夢中になれる部活を探しているのよね。どこか入りたい部は見つかったのかしら?」


 凛は、まず志保の現況を確認した。彼女はもし志保が入りたい部活を見つけていたのならば、その時は本当にガールズトークをして終わらせるつもりだった。

 

「それは……実は、まだ見つかっていなくて……」


 志保の返事は、幸か不幸か凛にとって望ましいものだった。これで心置きなく話をすることができる。

 

「そうでしょうね。色々な部活を見学しても、どこもピンとこなかったんじゃないかしら?」

「そ、そうなんです。どこの部もみんな素敵だし、部員の人たちもみんな真剣に取り組んでるし……でも私がそこにいることがどうしても想像できなくって……」

「それは当然よ」


 当然、その一言で凛は志保の今までの行動を切って捨てた。


「当然って、どうしてですか?」

「簡単なことよ。だって、あなたの本当の才能が活かせる場所は、部活ではないのだもの」

「私の才能、ですか?」


 志保の顔に困惑の色が浮かぶ。自分の才能なんて、今まで考えたことが無かった。自分にはどんな才能があるのだろう。


「私の才能って、なんなんでしょう。月島先輩にはわかるんですか?」

「もちろんよ。だからこうして話をしようと思ったのだから」

「教えてください、月島先輩。私……私、もっとよしくんの力になりたいんです!」


 目の前の少女の真剣な眼差し。これを見たら、おそらく誰もが理解するだろう。彼女にとって川島良樹という存在がどれほど大切なのかを。

 

 (なるほど。これが運命の人っていうものなのかもしれないわね)


 少なからず羨ましさを感じたものの、もちろん凛はそんなことをおくびにも出さない。


「志保ちゃん、アナタの本当の才能はね、川島良樹という存在を一番近くで理解し支え、そして彼の力を最大限に引き出すこと。それこそがあなたにしかできない最高の才能なのよ」

「……それが私の才能なんですか?」

「見せたかったわ。志保ちゃんがいない時の良樹くんがどんな風だったか」


 凛は今日の練習試合での良樹がどんな様子だったかを話した。プレイが中断するたびに会場をキョロキョロと見渡して志保の姿を探していたのだと。本人は否定していたけれど、明らかにパフォーマンスを落としていたと。


「良樹くんのそんな姿を見ていてね、私は気づいたのよ。川島良樹という男の子にとって、槇原志保という女の子の存在がどれほど大きいのか、どれほど重要な存在なのか、どれほど彼がアナタを必要としているのか、それがわかったのよ」


 自分がいない時の良樹の様子を聞いて志保は、信じられないという気持ちと、自分が良樹にとって重要な存在なのだと実感した喜びと、他人にそれを指摘された気恥ずかしさが同居した複雑な感情を抱いた。


 ただ、一言で表すなら……嬉しかった。

 

「だから彼のポテンシャルを最大限引き出すためにはね、それこそ24時間体制でのサポートが不可欠だと私は考えているの。特に基本となる食事管理と日々のコンディショニング。それを管理するのは私では不可能なのよ。同じ家で暮らすアナタにしかできないことなの」

「でも、マネージャーは月島先輩がするって……」

「ええ、そうね。最初はそのつもりだったわ。でも私よりずっと優れた適任者がいるんだもの。だったら私は良樹くんのプロデュースに専念しようって思ったのよ」


 話を聞いているうちに、志保はもう喜びで胸がいっぱいになっていた。頭の中で江藤美咲に言われた言葉が蘇る。


 ――志保が一番やりたいことってさ、結局、川島の応援なんでしょ? だって川島の世話焼いたりしてる時が一番楽しそうじゃん。


「槇原志保さん。 私はアナタを、川島良樹の専属マネージャーとして正式にスカウトします。どう? 私と一緒に、彼を世界一の男に育ててみない?」


 志保は躊躇わなかった。

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