○月▽日(妻side)
○月▽日
今日は夫の休日だ。
だからといって特になにもないのだけど。
買い物に出ようとしたら一緒に行くと言いだした。
「普通に日用品とか食品の買い物だけだから、私ひとりでも大丈夫よ。せっかくのお休みなんだもの。家でゆっくりしていたら?」
重いものも高いものも買う予定はない。
「僕がシアと一緒にいたいから……だから、行きたい!」
「いつも一緒にいるじゃない」
「いつもじゃないよ。仕事をしているときは離ればなれじゃないか。休日くらいは片時も離れず一緒にいたいんだ!」
片時も離れずは、正直お断りしたい。
それに仕事中離れているのは、当たり前のことだと思うけど?
「……まあ、好きにすれば」
休日の夫はイケメンではない。寝起きほど不細工ではないけれど、そこそこ残念感が漂うフツメンだから、一緒にいてもかまわない。
「ありがとう、シア。……あ、せっかく出かけるんだからお昼は外食にしようよ。美味しいって評判の料理店を紹介してもらったんだ」
――――え?
どうしよう? アレスが行こうって誘ってくるお店ってお高いのよね。
「家でも食べられるのに……あまり贅沢はしたくないわ」
「贅沢なんかじゃないよ!」
「でも、高級料理店なんでしょう?」
「違うよ! ……あ、いや、少しは高級かもしれないけれど……えっと。そうだ! 王太子! ……っと、殿下。……そう、そう、王太子殿下のつけで食べられる店を紹介してもらったんだよ! いつも一生懸命警護しているから、ご褒美にたまにはそこでタダで食べてもいいって、お許しをもらって――――」
無駄に手を大きく振り回しながら大声で説明する。
それはいいけれど……今、王太子さまを呼び捨てにしなかった?
「ご褒美? ……あなたに?」
毎朝ギリギリまで家にいて、遅刻寸前の時間帯に渋々出勤していく……この夫に?
しかも夕方は、まだ勤務中じゃないの? っていうくらいの時間に即行で帰ってきている……この夫に?
――――王太子殿下って、とっても心の広い御方なのね。私は、あまりよくお顔も存じ上げないけれど……ひょっとして、ものすごく太っ腹な御方なのかしら?
あ、もちろん体型の話じゃないわよ。
「……そうなのね。タダならいいのかしら?」
「うん、うん! いいよ! いいに決まっている」
夫はブンブンと首を縦に振った。
その後、ちょっと考えこむ。
「……ねぇ、もしかしてうちって外食もままならないほど家計が逼迫しているのかな? お金のことは全部シアに任せっきりにしているから、わからないんだけど…………僕、もうちょっとお給料を上げてもらった方がいい?」
そんな心配をしだした。
お給料って、そんなに簡単に上げてもらえるものだっけ?
多少疑問に思ったが、とりあえず首を横に振る。
「違うわよ。お給料は十分よ。ただ、ちょっとは蓄えも考えなくっちゃならないかしらって思っているだけ。子どもでもできたら、いろいろ物入りになるでしょうし――――」
ライフプランは大切である。将来のことを考えたなら、今から無駄な出費をおさえるくらいはした方がいい。
「え! 子ども!? 子どもができたの?」
夫は驚きの声をあげた。
こちらにもしっかりと首を横に振る。
「違うわよ。私たち、子どもはもう少し後でいいって話し合ってちゃんと避妊しているじゃない。将来の話よ」
前のめりになった夫の顔を、私は手のひらで押し返した。
結婚したものの、私たちはまだまだ若い。だから子どもは、もう少し後にしようと話し合って決めたのだ。
それに、いくら似非とはいえアレスはイケメンにもなれる人物だ。そのイケメン顔に私が耐えられなくなる可能性だって、無きにしも非ず。「やっぱ無理!」ってなったとき、子どもができていたら離婚しづらくなっちゃうわよね?
――――まあ、その心配はもうほとんどないとは思うのだけど。
「……そっか。そうだよね。将来か」
「そうよ。ミリーに聞いたんだけど、赤ちゃんの出産にかかる費用ってかなり高いみたいなの。産まれてからも養育費や教育費、折々のお祝い事の費用とか、かけようと思ったら天井知らずにお金が飛んでいくんですって。まあ、そんなお金にはかえられないほど、我が子は可愛いんだって話だったんだけど。……ああ、あと家族が増えて家が手狭になったから大きな家に引っ越したいとも言っていたわ。うちもそんなに大きい方じゃないでしょう? 新しい家が必要になるんなら、お金なんていくらあっても足らないと思わない?」
ミリーは、私の従姉妹だ。三年前に結婚して今は一歳になる子どもを育てている。結婚、出産、育児の先輩としていろいろ教えてくれるのはありがたいのだが、親バカなのが玉に瑕。我が子の可愛さを延々と語りだすと止まらないお喋りだ。
「……家か」
夫はポツリと呟く。
いつもは夫が饒舌で私が適当に相槌を打つのが私たち夫婦の会話なのだが、今日は私が熱く語ってしまったため、夫は言葉少なになってしまったらしい。
でも、お金の問題は大切だから、ここはしっかり言っておくわよ。
「別にお給料が足らなくって生活に困窮しているとか、そういうわけじゃないわ。むしろアレスのお給料は貰いすぎじゃないかって思うくらいだもの。……でも、それとは別に将来のための貯蓄はしっかりしていきたいと思っているのよ。……だから、無駄に高級なレストランで贅沢したいとは思えないだけ」
私が語って聞かせれば、アレスは「そうだね」と頷いた。
「外食は止めておく?」
「あら、タダなら遠慮することはないわ。王太子殿下にありがとうございますって伝えてね」
「わかった」
夫は、珍しく真面目な顔でそう言った。
……ううん、ちょっと違うかな?
真面目というより困ったような、途方に暮れたみたいな……ともかく見慣れない表情をしている。
「どうしたの?」
「あ……うん。シアが、きちんと僕との将来を考えてくれているんだなって思ったら……嬉しくって」
嬉しくて、そんなに困り顔なの?
「嬉しいって顔じゃないと思うけど?」
「ううん! 嬉しいんだよ。とっても嬉しい! ……だけど、同時にわからなくなるんだ。……僕ってかなり強引で我儘な人間だろう? シアにも無理を言って結婚してもらって、いつも迷惑をかけている。僕は、今シアと暮らせているだけでものすごく幸せなのに……この上、将来もだなんて…………僕は……『私』は、こんなに幸せになっていい人間なんだろうか」
アレスは、迷子の子どもみたいな顔をしていた。うつむき加減で、唇が少し震えている。
私はちょっと驚いた。
「案外自分のことがわかっていたのね?」
「……ひどいね、シア。……でも、うん。……わかっているよ」
泣きそうな顔で笑う夫を、困ったもんだと見上げる。「バカね」と言って笑いかけた。
「幸せになっていいに決まっているじゃない。あなたと私は夫婦なのよ。あなたが幸せにならなくっちゃ私も幸せになれないわ。あなたの幸せが私の幸せで、あなたの不幸は私の不幸なの。……うだうだ悩んでいないで、全力で幸せになりなさい!」
パン! とアレスの胸を叩いた。
驚き目を丸くする姿は、ちょっと可愛い。
「……全力で?」
「そうよ。全力で幸せになって、全力で私を幸せにするの。それが夫の甲斐性ってものでしょう?」
――――まったく。
いつも強引なくせに、変なところで臆病なのは、ホント困った人だわ。
「とりあえず買い物に行ってお昼をタダで食べてきましょう。お給料は上げてもらわなくていいけど、もっと真面目に働いて残業代とか勤勉手当とかなら増やしてもらって大丈夫よ」
「残業はいやだ!」
驚き固まっていたはずの夫は、残業という言葉に間髪入れず反応した。
「残業なんてしたら、その分シアと離れる時間が増えてしまうじゃないか! 今の勤務時間だけでも耐え難いのに…………家で内職でもなんでもするから、残業だけは勘弁して!」
近衛騎士が家で内職とかしてもいいの?
いやだいやだと言いながら、私に抱きついてくる夫をポンポンと叩いて宥める。
「はいはい。別に生活に困窮しているわけじゃないって言ったじゃない。内職も残業もしなくていいわ。その分私がしっかり家計を引き締めるから」
大きな体で子どもみたいに縋りついてくる夫を、無理やり引き剥がす。
仕方ないので、手を繋いであげた。
「ほら、行くわよ」
手を引けば、アレスは嬉しそうに笑ってついてくる。
「僕が、絶対シアを幸せにするね」
「はいはい。……ふたりで幸せになりましょうね」
そう言えば、繋がれた手にギュッと力がこもった。