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雨上がりの手紙  作者: 福島ひかり


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雨上がりの手紙


雨が窓を静かに叩いていた。


軒先から落ちる雫が一定のリズムを刻み、部屋の中には古い柱時計の音だけが響いている。


老人はゆっくりと窓際へ歩いた。


窓のそばには、小さな木箱が置かれている。

長い年月を共に過ごした箱は、角が少し丸くなり、艶を失った木肌には細かな傷が刻まれていた。


首から下げていた小さな鍵を外し、そっと鍵穴へ差し込む。


「カチリ」


懐かしい音が鳴る。


蓋を開くと、中には丁寧に束ねられた古い封筒が並んでいた。


どれも大切な宝物。


老人はその中から、一通だけ取り出す。


少し色あせた封筒。

何度も開いた跡があり、端は柔らかくなっていた。


椅子に腰を下ろし、静かに便箋を広げる。


インクは少し薄くなっている。

それでも、丸みのある優しい文字は、あの日のままだった。


――あなたへ。


そこまで見ただけで、老人は小さく笑う。


続きを読む必要はない。


覚えているからだ。


一文字も違えずに。


若かった頃、何度も読んだ。


仕事で離れていた夜も。

喧嘩をした翌日も。

子どもが生まれた日も。

家を建てた日も。

病室で眠れなかった夜も。

寂しくなった日も。

嬉しかった日も。


この手紙は、いつも隣にあった。


「君は、よく笑う人だったな」


思わず声がこぼれる。


雨音だけが、その言葉を受け止めた。


老人は便箋を胸に抱き、ゆっくりと目を閉じる。


このまま、ずっとこうしていられたら。


ふと、そんなことを思った。


雨の匂い。


紅茶の湯気。


台所から聞こえる鼻歌。


「おかえり」


振り向けば、いつもそこにいた笑顔。


まるで昨日のことのように思い出せる。


どれほど長い年月が流れても、心だけはあの頃へ戻ってしまう。


「……また会いたいな」


その呟きは、誰にも届かない。


けれど、きっと届いている気がした。


いつの間にか、老人は眠っていた。


便箋を大切そうに抱えたまま。


どれほど眠っていたのだろう。


ふと目を開ける。


部屋は静かだった。


窓の外を見ると、いつの間にか雨は上がっていた。


雲の切れ間から差し込む柔らかな陽射しが、濡れた庭を優しく照らしている。


雨粒をまとった花々は、まるで笑っているようだった。


老人は静かに立ち上がり、便箋を封筒へ戻す。


木箱にしまい、そっと蓋を閉じる。


「また今度、読みに来るよ」


そう言って窓の外へ目を向ける。


空には淡い虹が架かっていた。


「……ありがとう。」


その言葉に返事はなかった。


けれど風が一度だけ、優しくカーテンを揺らした。


まるで、「いってらっしゃい」と送り出してくれたように。



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