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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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40/41

第40話 最凶公爵令嬢は、慎重になった外の使者を値踏みする

 翌日の昼下がり、王立アルディオン学園の空気はどこか落ち着いていた。


 静かになったわけではない。

 ただ、ここ数日続いていた“何かが起きるかもしれない”という熱が、少しだけ鈍っている。


 学園長代理が動いた。

 教師陣も見ている。

 騎士科側も熱を抑え始めた。

 女子側も、単純な不快だけで騒げる段階を少し過ぎた。


 盤面が一段整理されたのだ。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルは、その変化を感じながら本棟中央階段を下りていた。次の講義まで少し時間がある。図書室へ寄るつもりだった。


「お嬢様」


「何かしら」


 半歩後ろのルークが低く言う。


「本日は、外側の気配がございます」


 セレスティアは足を止めない。


「ええ」


「昨日までより慎重でございます」


「でしょうね」


 慎重である時点で、誰が来たかはある程度絞れる。


 アーネスト・ヴァルグレイのような男なら、こういう時ほど余裕の顔を作りたがる。

 ディルクなら、もっと率直だ。

 レオンなら、気配の角がもっと少ない。


 では、誰か。


 階段を下り、本棟一階の回廊へ出たところで、その答えが姿を現した。


 ウォルター・エルムヘイヴン。


 痩せすぎず太すぎず、よく整えられた中年男。柔らかな顔つき。磨かれた物腰。

 以前、学園内の来賓談話室でセレスティアへ接触し、匿名の相手を差し出そうとして切られた男だ。


 今日は一人ではなかった。

 少し後ろに控えた事務方らしき男が一人いる。だが、それは護衛というより立会いの記録係に近い。


 そして何より、前回より距離がある。


 近づきすぎない。

 先に声をかけるが、空気は押しつけない。

 慎重になったのは明白だった。


「ごきげんよう、セレスティア様」


 ウォルターが一礼する。


「ごきげんよう、エルムヘイヴン卿」


 セレスティアも必要十分な礼だけ返す。


「先日は、こちらの詰めの甘いお話をお聞かせしてしまい、失礼いたしました」


 まずそこから来た。


 悪くない入り方だ。


「そうね」


 セレスティアは淡々と返す。


「かなり甘かったわ」


 ウォルターは苦笑に近い息を漏らした。


「お言葉どおりでございます」


 そこを否定しないのも悪くない。


「それで、今日は何かしら」


 セレスティアが問うと、ウォルターはほんの少しだけ表情を引き締めた。


「本日は、前回の続きではありません」


「では?」


「訂正と、改めての確認です」


 セレスティアは少しだけ目を細める。


 創作した体裁の謝罪でも、安い誘いでもない。

 訂正と確認。

 言葉の選び方としては、前回よりはるかにましだ。


「聞くだけ聞くわ」


「感謝いたします」


 場所はそのまま、回廊脇の小さな待合スペースへ移した。完全な密室ではない。だが、人通りから半歩外れた位置で、短い話をするには十分だった。


 セレスティアが腰を下ろす。ルークは斜め後ろ。ウォルターは向かいへ。後ろの事務方の男は少し距離を置いて控えた。


「訂正とは?」


 セレスティアが先に促す。


 ウォルターは素直に答えた。


「前回、私は“名を伏せた相手”との接触を持ちかけました」


「ええ」


「それは、あなたを正しく見ていない提案でした」


 率直だった。


 セレスティアは黙って続きを待つ。


「私は、あなたが“価値のある盤面なら見る方”だと理解したつもりで、しかし同時に“匿名の相手でも、その先の価値を見て動くだろう”と甘く見ておりました」


「そうね」


「ですが実際には違った」


「当然でしょう」


 セレスティアは静かに言う。


「私は、名も出せない相手の値踏みに付き合うほど安くないもの」


 ウォルターは頷いた。


「その通りです」


 そこに反発はない。

 少なくとも今日のこの男は、本当にそこを訂正しに来ている。


「それで、確認は?」


 セレスティアが問うと、ウォルターは一拍置いてから言った。


「今もなお、あなたに興味を持っている者はいます」


「でしょうね」


「ですが、前回とは少し性質が変わっております」


「どう変わったの?」


「“見たい”から、“一度きちんと話すべきではないか”へ」


 その表現に、セレスティアは少しだけ口元を上げた。


「ずいぶん都合がいいわね」


「ええ」


 ウォルターも認める。


「ですから、今日はその確認だけです」


「何をかしら」


「あなたが、“名も出せない相手とは話さない”という線を今も変えていないか」


 なるほど、とセレスティアは思った。


 前回の失敗を踏まえ、今日は誘いを持ってきていない。

 その前提条件だけを確認しに来たのだ。


 悪くない。


 少なくとも、話の順番を学んだ。


「変えていないわ」


 セレスティアは即答した。


「そうですか」


「ええ」


「理由も、以前と同じで?」


「同じよ」


 セレスティアはまっすぐウォルターを見た。


「名を伏せる側は、最初から上に立ったつもりでしょう。私はそれが嫌いなの」


 ウォルターはそこで、ほんの少しだけ苦笑した。


「やはり、そこを最も嫌われますか」


「ええ」


「たしかに、匿名のまま相手を見ようとする構図自体が、あなたにとっては失礼になる」


「理解が早くなったわね」


「学びましたので」


 その返しに、セレスティアは小さく頷いた。


 悪くない。

 この男は前回切られたことを、“自分が拒絶された”だけで終わらせていない。

 ちゃんと提案の構造そのものを見直している。


「では、こちらも率直に申し上げます」


 ウォルターが言う。


「今この段階で、具体的な名前を出して改めて場を持つ提案をすると、学園内外の空気がまた一段揺れます」


「そうでしょうね」


「ですから、今日の時点ではそこまで進めません」


「賢明ね」


「光栄です」


 その言葉を今のこの男が使うと、前より少しだけましに聞こえた。


「ただし」


 ウォルターは続ける。


「近いうちに、相手の名を明かした上で、それでもまだ話す価値があるかどうかだけを問う形で、改めて打診する可能性があります」


 セレスティアは数秒だけ考えた。


 父の返書。

 学園長代理の面談。

 セルウィンの言葉。


 見ている。

 選ぶ。

 立つ。


 今は、まだ選ぶ段階だ。

 だから、こういう確認そのものは切らない方がいい。


「その時は、その時に判断するわ」


 そう答えると、ウォルターの目に少しだけ安堵がよぎった。


「ありがとうございます」


「感謝は早いわ」


「ええ。承知しております」


 短い沈黙のあと、セレスティアは逆に問うた。


「一つ聞くわ」


「どうぞ」


「あなた自身は、私をどう見ているの?」


 ウォルターは一瞬だけ驚いた顔をした。


 予想外だったのだろう。

 だがすぐに表情を整える。


「前回は、“興味を持たれている公爵令嬢”として見ておりました」


「今は?」


 ウォルターは、少しだけ考えた。


「自分が乗る盤面の条件を、自分で定めようとする方だと」


 悪くない答えだった。


「それなら、前より少しはましね」


 セレスティアがそう言うと、ウォルターは本当に少しだけ苦笑した。


「かなり厳しい評価ですが、前進と受け取ります」


「好きにしなさい」


 会話はそこで足りた。


 ウォルターは立ち上がり、一礼する。


「本日はこれ以上、余計な提案はいたしません」


「そうするといいわ」


「では、失礼いたします」


 去っていく背中は、前回よりずっと軽かった。

 安さが消えたわけではない。

 だが少なくとも、“切られたことに執着して自分の物語を作る男”ではない。


 そこはアーネスト・ヴァルグレイと違う。


「お嬢様」


 ウォルターたちの姿が見えなくなってから、ルークが低く言った。


「何かしら」


「かなり変わりましたね」


「ええ」


「エルムヘイヴン卿でございます」


「前は、盤面を整えたつもりでこちらを測ろうとしていた」


「本日は」


「測り方そのものを見直してきたわね」


 ルークは一礼した。


「いかがご覧になりますか」


 セレスティアは少しだけ考えた。


「悪くないわね」


「保留の価値が」


「ええ。少し上がった」


 そこまで言ってから、セレスティアは窓の外へ視線を向けた。


 夕方の学園は静かだ。

 だが、その静けさの内側では相変わらず盤面が細かく動いている。


 イザベラは空気を整える。

 レオンは熱を削る。

 ディルクは線を覚え始めた。

 マリアとリディアは女子側の不快を別々に切り分ける。

 セルウィンは大人として距離を測る。

 ウォルターは外の使者として、ようやく順番を学び始めた。


 そして自分は、その全部を見ている。


 だが、まだどこにも“立って”はいない。


 最凶公爵令嬢は、慎重になった外の使者を値踏みする。

 切った相手が学び、整え、順番を変えてきたなら、

 その変化自体はちゃんと評価する。


 それは甘さではない。

 盤面を見る者として、当然の選別だ。


 そして翌日。

 その選別の中で、

 ついに一つだけ、

 セレスティアが“見るだけでは済まない”場面が訪れる。


 女子側でも、騎士科でも、王族でもない。

 もっと日常に近く、

 それでいて無視すると盤面全体が鈍く崩れる種類の問題。


 発端は――

 一年一組の中で起きる、小さな排除だった。

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