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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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第31話 最凶公爵令嬢は、真っ直ぐな接触を邪険にしない

 昼前の回廊は、朝と昼休みの狭間にある独特の静けさを帯びていた。


 講義と講義の間。人の流れが一度だけ途切れ、教室にも廊下にも、ほんの短い空白が生まれる時間だ。王立アルディオン学園のような場所では、その短い空白にこそ、余計な接触や計算が滑り込みやすい。


 だが今日、セレスティア・ヴァン・グランフェルの前に現れた気配は、そうした滑り込みの類ではなかった。


「少し、よろしいですか」


 教室の扉の外からかけられた声に、セレスティアはすぐ気づいた。


 レオン・ハルヴェイン。


 低く、整っていて、余計な馴れ馴れしさのない声。


「内容によるわ」


 セレスティアが答えると、扉の外に立つレオンはわずかに口元を緩めた。


「今日は、本当に短いです」


「最近みんなそう言うわね」


「長引かせると面倒だと学びました」


 その返しに、教室内の何人かがわずかに反応した。


 レオン・ハルヴェインはもう、一年一組の中でも十分に“見慣れた上級生”になりつつある。だがそれは、安く触っていい存在になったという意味ではない。むしろ逆で、彼がここへ来ること自体に、皆が意味を読み取るようになったのだ。


 セレスティアは席を立った。


「外で聞くわ」


「助かります」


 廊下へ出る。


 ルークがいつも通り半歩後ろに付き、レオンは必要以上に近づかない位置で止まる。無駄のない距離感だった。


「それで」


 セレスティアが問う。


「何かしら」


 レオンは一度だけ周囲を見た。


 人気は少ない。だが完全にないわけではない。このくらいなら、長話をしなければ問題ないと判断したのだろう。


「昨日の件です」


「アーネストのこと?」


「ええ」


 レオンは頷いた。


「騎士科側にも、かなり雑な形で話が流れています」


「予想どおりね」


「はい。ただ」


 そこでレオンは少しだけ目を細めた。


「雑に流れているからこそ、逆に“切られたんだろうな”と見ている人間も多いです」


 セレスティアは少しだけ口元を上げた。


「見る目があるのね」


「多少は」


「それで、あなたは何を伝えに来たの?」


 レオンは少しだけ沈黙し、それから率直に言った。


「女子側の空気について、少し気をつけた方がいいかもしれません」


 セレスティアの目が、わずかに細くなる。


「あなたまでそこを言うの?」


「ええ」


「なぜ?」


「今朝、二年女子寮側の知人から聞きました」


 レオンの言葉は簡潔だった。


「直接の中心人物はまだ見えていません。ですが、“グランフェル公爵令嬢は男側を騒がせすぎる”という見方が、少しずつ形になっていると」


 イザベラから聞いた話と、ほぼ一致する。


 つまりこれは、単なる女子寮側の局地的な不満ではない。少なくとも、別ルートから同じ熱が確認できる程度には広がり始めている。


「なるほど」


 セレスティアは短く答えた。


「クロイツ嬢からも?」


 レオンが問う。


 セレスティアは一瞬だけ沈黙した。


 そして、その程度なら共有していいと判断する。


「ええ」


「そうですか」


 レオンの顔にわずかに納得が走る。


「なら、こちらの認識も大きくはずれていないようですね」


「あなたはどう見るの?」


 セレスティアが問うと、レオンは少し考えるように視線を落とした。


「男の側の熱は、力や興味や対抗心で整理できます」


「ええ」


「ですが女の側は、“どう見えるか”で連なります。そこへ外の男が混ざり、王子や上級生の名まで出ると、事実より印象の方が強くなる」


 正確だった。


 この男は本当に、必要なことだけを過不足なく言う。


「だから」


 レオンは続ける。


「騎士科側でも、しばらくはあなたへ不用意に近づく者を減らした方がいいと思っています」


「あなたがそれを?」


「できる範囲で」


「随分と働くのね」


「面倒が嫌いなだけです」


 その返しは半分本当で、半分は違うだろうとセレスティアは思った。


 面倒が嫌いなら、ここまで自分から盤面の整理に入ってこない。

 嫌いでも放置しない理由が、この男にはある。


「あなた」


 セレスティアが言う。


「少しずつ、自分が何をしたいのか隠さなくなってきたわね」


 レオンの灰色の瞳が、ほんの少しだけ動く。


「そう見えますか」


「ええ」


「悪い変化ですか」


「いいえ」


 セレスティアは淡々と答える。


「その方が見やすいもの」


 レオンはそこで小さく笑った。


「それなら良かった」


「それで、あなたの“面倒が嫌い”以外の理由は何かしら」


 レオンはすぐには答えなかった。


 数秒だけ沈黙し、その後で率直に言う。


「あなたが、安い形で扱われるのがあまり気に入らないんです」


 ルークの気配が、ほんのわずかに変わった。


 だが否定や警戒ではない。

 ただ、その言葉を正面から受け取っている気配だ。


 セレスティアもまた、その返答をそのまま受けた。


「そう」


「ええ」


「あなたにとって、私はどういう存在なの?」


 少し踏み込んだ問いだった。


 だが、今のレオンなら逃げないだろうと思っていた。


 案の定、彼は逃げなかった。


「最初は、面白い公爵令嬢でした」


「今は?」


「価値のある盤面を、自分で選べる人です」


 セレスティアは、それを聞いてほんの少しだけ口元を上げる。


「悪くない答えね」


「かなり考えましたので」


「正解よ」


 レオンはそこでようやく少しだけ肩の力を抜いた。


「それで十分です」


「だから、安く扱われるのが気に入らないのね」


「ええ」


「でも、まだ味方ではない」


「今のところは」


「正直で結構」


 短いやり取りだったが、それで十分だった。


 この男はやはり、最初から“味方です”と安く言わない。

 だからこそ、今の位置に置いておける。


「お嬢様」


 ここでルークが静かに口を挟んだ。


「一つ、確認を」


「どうぞ」


 レオンが視線を向ける。


「騎士科側で、実際に動きそうな方はおりますか」


 問いは具体的だった。


 レオンは少しだけ目を細める。


「今のところ、露骨に接触したがっているのは数名です。ですが、女子側の空気が先に動いた場合、便乗する形で“守る”“説明する”“仲裁する”顔をしたがる男は増えるかもしれません」


「最悪ね」


 セレスティアが言うと、レオンは頷いた。


「同感です」


 それは本当に最悪だった。


 敵意や剣の論理なら、まだ見やすい。

 だが“守る”や“説明する”の顔をした男は、たいてい自分を正義の側へ置きたがる。

 アーネストよりもっと面倒な類が混ざる可能性がある。


「だから、今のうちに熱を少し下げたいんです」


 レオンは静かに続けた。


「少なくとも騎士科側では」


「分かったわ」


 セレスティアは頷く。


「そこは任せる」


 レオンの目がわずかに開く。


「即断ですね」


「あなたの整理は悪くないもの」


「そうですか」


「ええ。でも」


 セレスティアは視線をまっすぐ向けた。


「任せるのは“騎士科側の熱を少し削ること”だけよ。私の代わりに何かを語るのはなし」


「当然です」


「本当に?」


「あなたにそれをしたら、次はたぶん話していただけません」


「よく分かっているのね」


 レオンは小さく笑った。


「多少は」


 会話はそれで足りた。


 それ以上長引かせる意味がない。

 必要な情報は出た。

 必要な整理も済んだ。


「では」


 レオンが一礼する。


「今日はこれで」


「ええ」


「お気をつけて」


「何に?」


「今度は剣ではなく、もっと曖昧なものが来ます」


 その言い方に、セレスティアはほんの少しだけ目を細めた。


「知っているわ」


「でしょうね」


 レオンはそう言って去っていく。


 その背中を見送りながら、ルークが低く言った。


「お嬢様」


「何かしら」


「かなり、信用に近い位置へ来ておりますね」


「誰が?」


「ハルヴェイン先輩が」


 セレスティアはすぐには答えなかった。


 回廊の窓から差し込む昼前の光が、床に白く落ちている。中庭では、春の風が木々を揺らしていた。


「まだ保留よ」


 やがてそう答える。


「でも、以前より見やすくなったわね」


「ええ」


「だから話しやすい」


 ルークは一礼した。


「承知いたしました」


 最凶公爵令嬢は、真っ直ぐな接触を邪険にしない。

 それが都合のいい顔をした接近ではなく、

 盤面の熱を整理するための言葉なら、

 ちゃんと価値を測って受け取る。


 そして今、レオン・ハルヴェインは、

 ただの観察者でも、ただの騎士科の上級生でもなくなりつつあった。


 それがどう転ぶかはまだ分からない。

 だが少なくとも、

 女の熱と男の熱が混ざり始めたこの局面で、

 彼のような整理役は価値がある。


 そしてその日の昼休み。

 ついに“女子側の熱”そのものが、

 半ば意図的に、

 セレスティアの前へ姿を見せることになる。


 しかもそれは、正面からではなく、

 あくまで上品さを装った形で。

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