第12話 最凶公爵令嬢は、正面から来るなら選んでやる
翌朝、セレスティア・ヴァン・グランフェルの机の上には、今度は最初から差出人の明記された封書が置かれていた。
厚みのある上質な便箋。封蝋には侯爵家クロイツの紋。香は控えめで、だが品がいい。昨日の無記名の誘いと比べるまでもない。こちらは最初から、隠すつもりがない。
「分かりやすいわね」
セレスティアがそう呟くと、廊下側に控えていたルークが低く返した。
「昨日の件を踏まえれば、なおさらでございます」
「ええ」
封を切る。
中の文面は短い。だが昨日のカードとは違い、必要な情報は過不足なく整っていた。
本日放課後、学園中央棟二階・小会談室第三室にてお待ちしております。
お時間をいただけるなら、きちんとお話をしたく存じます。
イザベラ・フォン・クロイツ
余計な煽りはない。
“学園の今後”のような大仰な言葉もない。
ただ、正面から会いたいと書いてある。
「昨日よりはましね」
「お会いになりますか」
ルークの問いは簡潔だ。
セレスティアは手紙を封筒へ戻しながら、教室内の空気を眺めた。
すでに何人かは気づいている。
クロイツ家の封。
イザベラからの正式な手紙。
その事実だけで、周囲の意識は十分に揺れる。
イザベラ・フォン・クロイツは、昨日までのように空気や善意の顔だけで包みに来るのを一段やめたのだ。
正面から来た。
それは評価できる。
「行くわ」
セレスティアは答えた。
ルークがほんの僅かに目を細める。
「即断でございますね」
「ええ。昨日のような二流の誘いではないもの」
「クロイツ嬢を高く買っておられますか」
「少なくとも、隠れて小細工をするだけの相手ではないでしょう」
その言葉を、少し離れた位置からイザベラが聞いていたかどうかは分からない。
だが彼女は今日もいつも通り、美しく座っていた。こちらへ何か言葉を投げることはない。朝の時点で余計な接触を入れず、招待状だけを置いて、あとは相手に選ばせる。
それができるあたり、やはり上手い。
午前の講義はいつも通り進む。
王国史、貴族法制、魔術理論。
だが教室の空気はいつも通りではない。
昨日の無記名の誘いについて、中身までは誰も知らないはずだ。けれどセレスティアが放課後にどこかへ行ったことを見た者はいるだろうし、戻ってきた時の空気もまた観察されている。
そこへ今度は、クロイツ侯爵令嬢からの正式な招待。
噂好きの人間にとっては、十分すぎる燃料だった。
「お嬢様」
休み時間にルークが低く声をかける。
「何かしら」
「本日、学級の視線は昨日以上でございます」
「そうでしょうね」
「クロイツ嬢の封蝋は目立ちます」
「隠す気がないのよ」
「ええ」
ルークは一拍置く。
「ですが、隠さないこと自体が圧にもなります」
「知っているわ」
それがイザベラの巧さだ。
無記名で呼び出せば怪しまれる。
だが堂々と侯爵令嬢の名で手紙を置けば、それだけで“正式な招待”の空気が生まれる。
周囲も見ている。断ればそれはそれで意味を持つ。
ただし、それを理解した上でセレスティアは行くと決めた。
なぜなら、こういう場の方が情報が取れるからだ。
放課後。
教室の解散とともに、生徒たちがぞろぞろと出ていく。イザベラはすぐには動かない。取り巻きの令嬢たちと軽く言葉を交わし、しかし必要以上には引き留めず、先に場を掃かせている。
そして最後に、自分だけが立ち上がった。
ここまで来ると演出としてかなり完成されている。
周囲に“ああ、二人は会うのだ”と思わせつつ、余計な人間は自然に退ける。
「ごきげんよう、グランフェル様」
「ごきげんよう、クロイツ嬢」
教室内でのやり取りはそれだけだった。
セレスティアは鞄を持たない。会談室へ行くだけなら必要がない。ルークはいつもの位置に付き、イザベラは一人で歩く。
三人で中央棟二階へ向かう形になるが、実際には少し距離がある。イザベラが先導し、セレスティアが続き、ルークが後ろ。主従と招待主、その配置だけで構図が出来ている。
小会談室第三室は、応接室ほど格式ばってはいないが、談話室よりは閉じた空間だった。扉を開けると、中には小さな円卓と椅子が三脚。窓際には花が一輪だけ飾られている。
イザベラは中へ入ると、迷いなく中央ではなく窓側の席を選んだ。
「どうぞ、お座りくださいな」
「ええ」
セレスティアは向かいへ座る。
ルークは自然にその斜め後ろへ控えた。もう誰も、この護衛騎士が付いてくることに驚かないだろう。少なくとも、イザベラはまったく動じなかった。
「本日は来てくださって、ありがとうございます」
「正面から来たもの」
セレスティアは端的に答える。
「昨日のような誘いなら切ったけれど、あなたは違ったわ」
イザベラの瞳が少しだけ柔らかくなる。
「そう言っていただけるのは嬉しいですわ」
「光栄?」
「ええ、少しは」
その返しに、セレスティアはほんの僅かに口元を上げた。
イザベラはまず、不要な前置きを置かなかった。
「結論から申し上げますわ」
「どうぞ」
「わたくし、あなたと敵対したいわけではありませんの」
「知っているわ」
「でも、今のままだと周囲が勝手にそういう構図を作ります」
「それも知っているわ」
「でしょうね」
イザベラは一度だけ目を伏せ、それから静かに続けた。
「ですから今日は、はっきりさせたくてお呼びしましたの。わたくしは、あなたを排除したいのではない。制御したいのでもない。少なくとも、今は」
最後の二語を、セレスティアは聞き逃さなかった。
「今は、ね」
「ええ」
イザベラも隠さない。
「未来永劫などとは申しませんわ。互いの利害が正面からぶつかれば、その時は別でしょう」
「誠実ね」
「その方が話が早いでしょう?」
「ええ」
この女はやはり、正面から話す時にはかなり有能だ。
空気を握るタイプだが、本当に必要となれば、綺麗ごとだけでは話さない。その切り替えができるからこそ、今の位置にいるのだろう。
「では、何を望んでいるのかしら」
セレスティアが問うと、イザベラは答えた。
「まず一つ。学級内で無益に衝突を増やさないこと」
「努力はするわ」
「努力、ですのね」
「相手次第だから」
「でしょうね」
イザベラは苦笑に近い息を漏らす。
「そして二つ目。何か動く前に、最低限こちらが把握できる余地を残してほしいのです」
セレスティアの目がわずかに細くなる。
「監視したいの?」
「違いますわ」
「では?」
「備えたいのです」
イザベラの声は柔らかいが、真意は明瞭だった。
「あなたは、場を変える方ですの。入学式でも、昼食の場でも、訓練でも、何かが起きると空気ごと変えてしまう。それ自体を止める気はありません。でも、何が起こるか分からないまま巻き込まれるのは、正直困りますの」
「なるほど」
「ですから、せめて“何かをするつもりがある時”だけでも、少しだけ前もって知れればと」
要するに、完全な干渉ではない。
事前察知のルートが欲しいのだ。
学級の空気を握るイザベラからすれば当然の発想だった。変数が大きすぎるなら、排除するか、観測するか、どちらかしかない。
「断るわ」
セレスティアは即答した。
イザベラは驚かない。ただ、ほんの少しだけ肩を落とした。
「やはり」
「当然でしょう」
「理由を伺っても?」
「私は、自分が何をするかを誰かの承認付きで動くつもりはないもの」
「承認ではありませんのよ」
「でも、報告に近いでしょう」
「近いかもしれませんわね」
「なら同じよ」
円卓の上に短い沈黙が落ちる。
ルークは一言も挟まない。ただし、この場の会話を一つ残らず拾っているのが気配で分かる。
「では、別の言い方をしますわ」
イザベラは声色を変えた。
「わたくしが欲しいのは、あなたの行動そのものを縛ることではなく、“敵を増やしすぎないための調整余地”です」
「私のために?」
「半分は」
「残り半分は」
「学級のため」
セレスティアは少しだけ笑う。
「その“半分”が、どちらもあなたの利益でしょう?」
イザベラも笑った。
「ええ。否定しませんわ」
もうここまで来ると、互いに飾る意味が薄い。
「あなたは本当に、面倒な方ですのね」
「今さらでしょう」
「ええ、今さらですわ」
イザベラはそこで、ふっと息を抜いた。
「では率直に申し上げます」
「どうぞ」
「わたくしは、あなたが学級内で完全に孤立する形は望みませんの」
「なぜ?」
「それが一番面倒だからですわ」
即答だった。
「孤立した強者は、周囲にとって脅威としてしか見えなくなる。そうなると、愚かな者が余計なことをします。バーミリオン様のような方が増える。あるいは、もっと厄介な上級生が寄ってくる」
リカルドの顔が一瞬、セレスティアの脳裏をよぎる。
つまりイザベラは、少なくともあの手の上級生の存在をある程度は把握しているのだ。
「昨日、何かあったの?」
セレスティアがそう聞くと、イザベラの瞳がわずかに揺れた。
「……やはり、何かございましたのね」
「質問に質問で返さないで」
「失礼いたしました」
イザベラは一拍置く。
「推測ですわ。あなたほど目立てば、あの手の方は動きますもの」
「リカルド・セインズ」
名を出した瞬間、イザベラの表情がほんの僅かに硬くなった。
「やはり」
「知っているのね」
「好ましい意味ではなく」
「でしょうね」
イザベラは苦々しさを隠さず言う。
「セインズ先輩は、表では愛想がよろしいですけれど、使えそうな相手に恩を売るのがお好きですの。しかも自分では手を汚さず、周囲を煽る形で」
やはり、同じ評価だった。
「それで」
セレスティアは椅子に深くもたれず、そのまま問う。
「あなたは、私を孤立させたくない。なぜなら、そうなるとああいう手合いが寄ってきて、学級の空気が余計に乱れるから」
「ええ」
「つまり、あなたは私を守りたいのではなく、学級の均衡を守りたいのね」
「その通りですわ」
イザベラは微笑む。
「でも、それが結果的にあなたの利益にもなるなら、悪い話ではないと思いませんこと?」
悪くない提案だった。
少なくとも、昨日のリカルドよりは遥かにましだ。欲しいものが明確で、その代わりに何を差し出せるかも多少は見えている。
だが、それでも足りない。
「あなたは何を差し出せるの?」
セレスティアがそう言うと、イザベラの瞳に少しだけ真剣な色が宿る。
「情報ですわ」
「例えば」
「誰がどこと繋がっているか。どの令嬢がどの派閥に近いか。誰が誰へ接触しようとしているか。学級内だけでなく、上級生側の噂も含めて」
なるほど、とセレスティアは思う。
これはたしかに、イザベラにしか出しづらい札だ。
空気を握る女は、空気の流れ自体を情報として持っている。
「見返りは?」
「今のところは、一つだけ」
「何かしら」
「明確に学級を揺らす動きをなさる時だけ、先に教えてくださいな」
「曖昧ね」
「ええ。でも、最初から細かくは決めませんわ。その方が破綻しますもの」
イザベラは本当に分かっている。
最初から条件を詰めすぎれば、セレスティアは確実に席を立つ。その一線を踏まない程度に、だが曖昧すぎない範囲で提案している。
「保留にするわ」
セレスティアはそう答えた。
イザベラの瞳がわずかに和らぐ。
「即断で拒絶はなさいませんのね」
「価値がないとは言わないもの」
「それだけでも十分ですわ」
「ただし」
セレスティアは静かに続ける。
「私はあなたの駒にはならない」
「もちろん」
「あなたも、私の上に立てると思わないことね」
「存じております」
「本当に?」
「ええ」
イザベラは、ここで初めて少しだけ疲れたように笑った。
「わたくし、自分の上に立たせてくださらない方と、こんなに真面目に話すのは久しぶりですの」
その言葉に、セレスティアは少しだけ興味を持つ。
「では、普段は立てているの?」
「立っているというより、立たせていただいているだけですわ。皆さまが」
「謙虚ね」
「いいえ。構造の話です」
この返しも悪くない。
結局、イザベラ・フォン・クロイツは支配する女なのではなく、場の欲する中心像を理解し、それを演じ続けられる女なのだろう。だから強い。だから厄介だ。
「今日のところはこれで十分かしら」
セレスティアが言うと、イザベラは頷いた。
「ええ。欲張ると嫌われそうですもの」
「もう十分嫌われているかもしれないわよ」
「それは困りますわ」
「嘘ね」
「半分くらいは本当ですわ」
会談はそこで終わった。
席を立つ。
ルークが一歩、自然に位置を戻す。
イザベラもまた立ち上がり、最後に一礼した。
「本日はありがとうございました、グランフェル様」
「ええ」
「またお話しできますことを」
「必要があればね」
「ええ。必要は、作るものですわ」
その返しに、セレスティアはほんの少しだけ口元を上げた。
「そういうところは、嫌いではないわ」
イザベラの瞳が、一瞬だけ本当に驚いた色を見せた。
だがそれもすぐに消え、彼女はまた完璧な笑みに戻る。
「光栄ですわ」
部屋を出て、中央棟の廊下を歩く。
夕方の光が窓から差し込み、床に長い影を落としていた。セレスティアは黙って歩き、ルークが半歩後ろに続く。
「お嬢様」
「何かしら」
「いかがご覧になりましたか」
「悪くないわね」
「クロイツ嬢を」
「ええ」
セレスティアは短く答える。
「少なくとも、話せる相手よ」
「信用は」
「まだしないわ」
「ですが」
「価値はある」
その答えに、ルークは静かに一礼した。
「承知いたしました」
最凶公爵令嬢は、正面から来るなら選んでやる。
誰と話すか。
誰を保留に置くか。
誰を切り捨てるか。
それは最初から、彼女自身が決めることだった。
そして今日、イザベラ・フォン・クロイツは初めて、
“敵対候補”から“保留の交渉相手”へと位置を少し変えた。
学級の空気はまた変わるだろう。
セレスティアとイザベラが、ただ衝突するだけではないらしいと知れれば、
周囲はまた別の動き方を始める。
アルフレッドはどう見るか。
レオンはどう面白がるか。
リカルドのような手合いは、どこで次の手を打つか。
役者は増え、線は濃くなる。
そして翌日。
セレスティアはついに、
これまでただ観測される側だった上級生たちの場へ、
自ら足を踏み入れることになる。
場所は、二年騎士科の公開模擬戦。
そこで待っているのは、
レオン・ハルヴェインだけではなかった。




