あなたの笑顔②
思い出交換所に母親がやって来た。少女も一緒だ。
狭い店内の奥に、もうひとつ部屋がある。関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアの向こうには、椅子しか置かれていない部屋があった。薄い青緑で染められた部屋は、森林や海原を思わせた。
質素な部屋だが、メモリートレードセンターと姫美子は親しみを込めて呼んでいた。
母親が思い出交換に同意したと少女から連絡をもらい、姫美子はメモリートレードセンターで待機していた。
思い出交換所に顔を出すと、母親が「この子に、どうしてもと頼まれました。よろしくお願いします」と申し訳なさそうに頭を下げた。
「あなたにとって大切な記憶のはずです。それを消してしまって良いのですか?」
姫美子が念を押すと、「この子にどうしてもと頼まれましたから。確かに、そろそろ区切りをつけた方が良い時期かもしれません」と母親は苦笑いをしながら言った。
忘れてしまって良い訳がない。だけど、何時までも引きずっていても仕方がないといった心境なのだろう。
姫美子が言う。「今日は思い出交換ではなく、封印にしようと思っています」
「封印?」
「思い出交換は思い出を切り取って、誰かの思い出と交換するので、記憶は無くなってしまいます。その点、封印は違います。説明が難しいのですが、例えるなら、記憶のコマをひとつにまとめて再生できないようにしてしまうのです。思い出のリールを結んで再生ができないようにしてしまうと言った方が近いかもしれません。切り取ってしまう訳ではないので思い出は残ります。だから、何かの拍子に、結び目がほどけて記憶が蘇ってしまうことがあります。結び目を解く鍵としてキーワードを設定しておくこともできます。まあ、暫くは記憶を消してしまうことが出来るはずです」
「ああ~それなら」と母親の顔が明るくなった。
やはり思い出を消してしまうのが嫌だったのだ。
「では、早速、取り掛かりましょう。お嬢さんは、暫く、外で待っていてください」
少女がメモリートレードセンターから出て行くと、姫美子は母親が腰かけていた椅子の背もたれを倒した。母親は足を伸ばして横になった。
「さあ、目を閉じてください。そして、あなたの思い出を見せてください。亡くなったご主人の笑顔を思い出してください」
膨大な記憶の中から思い出を探さなくても、こうして本人に思い出を辿ってもらえば、直ぐに目的の思い出に行き着くことができる。後は思い出を封印するだけだ。
思い出の封印から一週間が経った。
――あの親子、どうなったのかしら?
と気になり始めた頃、少女が姫美子を訪ねて来た。
また雑居ビルの階段に座り、姫美子が出勤して来るのを待っていた。
「姫美子さん!」
姫美子の姿を見つけると、救われたようにほっとした顔をした。まだ宵の口だが、酔っ払いに絡まれでもしたら可哀そうだ。
「あなたのような女の子が、こんなところに来てはダメよ」
「すみません」
「どうしたの?」
「はい。実は・・・」
「こんなところで立ち話も何ですから、中に入りましょう」と姫美姫は少女の背中を押すようにして思い出交換所へと誘った。
「おやっ⁉ また来たね」とヨシキが特製のフルーツジュースを少女にふるまう。
「ありがとうございます」
少女はもじもじとした様子で、ジュースを口に運んだ。
その様子を見守ってから、姫美子が尋ねた。「どうしたの? お母さんに何かあったの?」
「ママ、再婚するのを止めたって言うのです。もう彼氏とは別れたって」
「えっ⁉」
これには姫美子も驚いた。亡くなったご主人の笑顔が忘れられないと言うので、笑顔の記憶を封印した。亡くなったご主人のことは忘れて、いや、忘れられないとしても記憶の隅に留めて、新しい恋に生きることが出来るようにと思い出を封印することにしたのだが、それが失敗だったと言うのか。
「パパの笑顔を思い出さなくなった代わりに、私の笑顔が頭に浮かぶようになったそうです。再婚のことを考えると、私の笑顔が頭に浮かんで、この子の笑顔を奪ってしまうのではないかと思ってしまうのです」
「そう・・・」
「そんなことないって、私、何度も説得したのです。でも、ダメでした。あなたが毎日、笑顔でいてくれることが私の幸せだって言うのです。ママ、結局、彼氏と別れてしまいました。どうしたら良いのでしょう?」
姫美子にも答えは見つからなかった。
「お母さんにとって、あなたが何よりも大事だと言うことでしょう」
そう答えることしか出来なかった。




