#9 「でも、老けるの早そうですよね」
案内された彩乃の家は居住区の中でも一等地にあり、庭付きのペンション風の一軒家だった。
桜子は誰かと一緒に暮らしているのかと彩乃に尋ねたが、一人で暮らしていると聞き驚いた。
家の中は綺麗に整頓されており、生活感をあまり感じさせなかった。
ダイニングに通された桜子は椅子に座ると、疲労からそのまま机に伏せるようにうなだれてしまった。
初対面の人の家でやることではないが、同じ世界、同じ国の人間に出会えたことで桜子は安堵していた。
「料理できる間にシャワーでも浴びてきたら?」
彩乃の提案に桜子とアンネリーゼは顔を見合わせた。
どちらが先にという事だったが、桜子が譲りアンネリーゼが先に入る事になった。
アンネリーゼは案内された浴室へと向かった。
「彩乃さん、大変申し訳ないんですけど。アンネさんに服を貸してもらえませんか。実はアンネさんコートの下、ほぼ下着なんですよね」
「何でそうなったのかは聞かない方が良いのかな?」
「アンネさんの心の傷に触れる事になるので……」
彩乃は何かを察し暗い顔で俯いた。
「そう……それは、辛いでしょうね……」
「なに想像したの! そんなこと無いから安心して!」
アルベルティーナは必死のフォローしながら、適当なことを言った桜子を睨む。
彩乃は変えの服を浴室に持って行くと、その後料理を始めた。
彩乃が料理する様子を眺めていた桜子は何を作るのかを尋ねた。
「お鍋にしようかなと思って。お鍋だったら煮るだけで大丈夫でしょ?」
「出汁を作っている気配がまるでないんですけど……」
彩乃は食材をそのまま鍋に入れて煮込もうとしていた。
「煮てれば、食材の旨味とかそういうのが出るんじゃないの?」
「水で煮たものができ上がるだけです……。もしかして彩乃さん、料理できない人ですか?」
「ハハ……、こっちの世界来る前も一人暮らししてたんだけど、全然自炊してなくて。こっちでも仕事で疲れちゃうとどうしてもね……。」
彩乃はバツが悪そうに苦笑いをし、料理ができないのをごまかそうとする。
桜子は「しょうがない」と立ち上がると、キッチンに向かい彩乃の隣に立った。
「私がやりますよ。エプロン貸してください」
「いいの?」
「泊めてもらえるだけでも有難いんですから、これくらいやらせてください」
そう言うと桜子は手際よく調理を進めていった。
彩乃とアルベルティーナは、その様子をじっと見詰めていた。
「手慣れたものね」
アルベルティーナは桜子の頭の上からその手際に感心していた。
「まあ、料理は小さい頃からやってたからね」
「お母さんの手伝いでやってたの?」
彩乃の質問に桜子は少し考え、どう言うべきか少し悩んだ。
「私の家って母子家庭なんですけど、お母さんがろくでもないんです。家事は全部私にやらせるし、全然家に帰って来ないし。でも、お金は振り込んでくれるんで生活面は大丈夫だったんですけど。あぁ、別に仲が悪いって訳じゃないんで、自分が不幸とか思ってないで何とも思わないでください。まあ、そんな母親を反面教師にしてきたんで女子力だけは高いんですよね」
桜子は笑っていたが、どこか寂しそうに見えた。
桜子達が調理を進めていると浴室からアンネリーゼが出て来た。
彩乃の用意したネグリジェを着て、丁寧に長い髪を拭いている。
その姿や顔を見て彩乃は目を丸くし、驚きで開いた口を両手で覆った。
桜子たちは正体がバレてしまったと思い、慌てて弁解の言葉を並べようとする、が
「アンネさん、すごく美人ですね!」
彩乃の率直な感想だった。
桜子とアルベルティーナはその素直な感想に呆気に取られてしまう。
毒気を抜かれたアルベルティーナは彩乃に問いかけた。
「ちなみにさ、彩乃。今のこの国の公王殿下の名前って知ってる?」
「え~と……大統領みたいな人のことだよね。確か……テレなんとかミュラーさん?」
アルベルティーナは露骨に呆れた顔をする。その表情を見た彩乃は慌てて弁明をしている。
桜子はアンネリーゼの耳元に顔を近づけて小声で尋ねた。
「アンネリーゼさんが、公王に成ったのっていつなんですか?」
「半年ほど前だな」
「アンネリーゼさん本当に有名なんですか?」
「即位の時に新聞などで大々的に報道されたはずだからな。私の顔を知らない者は少ないだろう。まあ、彩乃の場合、上の人間が違うから知らなくても問題ないのだろうな」
「違うって、どういう事ですか?」
「『聖戦』は知っているか?」
「アルから聞きました。魔族と戦ったって話ですよね」
「聖戦終結後、初代聖王陛下の妹君は数多に存在する聖石を管理するために『教会』という組織を立ち上げられた。そして、その組織の統率する者、初代『教皇』聖下と成られた。この世界の統治者は聖王陛下であり、聖石の管理者は教皇聖下ということだ。お二人は対等であり、互いの組織は干渉すること無く、別々の組織体系を持っている。つまり、教会の人間にとっては公国の動向など、どうでもいいという事だ。しかし、世の中の動きくらいは知っておくべきだと思うがな」
「でも、まあ、アンネリーゼさんのこと知らないなら、こちらとしては好都合ですよね」
話を終えた二人は彩乃の方に視線を向ける。
彩乃は頬を少し赤く染め、アンネリーゼに見とれていた。
「本当にアンネさん、綺麗ですね」
「ちなみになんですけど、彩乃さんって歳はいくつなんですか?」
「二十五だけど」
「あぁ……、アンネさんは十七歳です。私の一つ上」
彩乃は再び驚きで目を丸くした。
「え!? そうなの! 年上か年下か微妙だったから敬語使ってたけど……。ハァ……。こっちの人ってその歳で完成しちゃうのね」
彩乃はアンネリーゼの顔をまじまじと見つめるが、アンネリーゼは美しいと言われる事に慣れているのか気に留める様子もなかった。
「でも、老けるの早そうですよね」
桜子の顔にアンネリーゼが履いていたスリッパが激突する。
「前から思っていたが、お前、私のことが嫌いだろ?」
「今まで私にしてきたこと顧みて、好きになれる要素があるとでも?」
いがみ合う二人を彩乃は微笑ましく見ていた。
「二人ってホント、仲良いよね」
「何を、どう見てそう思う!」
アンネリーゼが目を尖らせ声を荒げた。
「本当に嫌いだったら、そんな風にケンカできないよ。二人は出会ってどれくらいなの?」
桜子とアンネリーゼは互いに顔を見合わせると、「昨日」と同時に答えた。
「桜子ちゃんはいつ、こっちの世界へ?」
「それも昨日です」
彩乃はその言葉に驚き、一瞬言葉を失う。
昨日今日出会った人間とここまで仲良くなれている事も驚きだったが、桜子がこちらの世界に来たのが昨日である事に最も驚いていた。
「それで、もうここまで馴染んでるの? いや、違う。馴染んでるって言うより……その、行動してるっていうか……」
彩乃はしきりに言葉を濁らせるが、自分の言いたい事を表す言葉が見つからず、最終的には「ごめん、何でもない」と言い諦めてしまった。
桜子は彩乃が何を言いかけたのか推測しようとするが、煮込んでいた鍋が噴きこぼれそうになり、慌てて火を止めに行った弾みでそのまま忘れてしまった。




