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偏愛イデオロギー  作者: 真木
最終編 最愛パラヴィーナ
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前編<美晴> 1

 いつか、君は言っていたね。


 大学生になっても恋愛の一つもしていない自分は変なのかと。


 俺はそれに、変じゃないと答えた。君の周りの人たちが普通だと信じているものは、実際は普通でも何でもないものだと言った。


 確かに君の周りには、普通とはいえない人達がたくさんいる。法律や倫理を踏み越えている方法で愛を示そうとしている人達だ。


 俺もその一人だ。君に振り向いてもらいたくて、ずいぶんと悪いこともした。


 君の双子の兄でありながら頑なに君の側にい続けたことすら、悪いことだったかもしれない。


 今、俺も少し大人になって、君の隣にいることだけがすべてではないと思うようになった。


 俺の望みは、君を愛すること、そして君に愛されること。


 俺は君がどこかにいてくれるだけで、望みの半分が叶う。


 だから、君も好きなように望んでくれ。


 俺は君の外側に生まれた、君の半身だから。


 この世で一番君に近くて、君を外から守ることのできる存在だから、きっと君の力になれるだろう。


 俺の最愛の君、安樹。


 さあ、君が大好きなハッピーエンドを始めよう。



***





 俺は父方の祖父、イヴァン・カルナコフの元に来ていた。


 七十を超す老人でありながら未だ屈強な肉体は衰えず、眼光は只人には持ちえない気迫を放つ。


 かつてはロシアを中心として世界中にファミリーを展開したボスとしての貫禄に、覚悟を決めてやってきた俺でも一瞬怯む。


 祖父は本をテーブルに置いて、そして立ち上がった。


 今はもう白髪になった銀髪と碧眼という特徴は、俺の父に似ている。


 だが、がっしりした体格や厳つい表情は、全く父とはかけ離れている。


 祖父は一歩俺と間合いを詰めて、そしてガッ……と、俺を抱きしめた。


「マリー……っ」


「やめろ、じいさん。ばあさんはとっくにあの世だ」


 代わりといっては何だが、父は兄弟の中で唯一祖母に生き映しだったらしい。そして父似の俺も祖母の特徴を受け継いでいる。


 岩のような腕を引き剥がすと、祖父は目をうるっとして俺を見ていた。


「マリー……。君の靴の裏にガムを貼り付けたこと、まだ怒ってるのかい?」


「地味に不愉快な嫌がらせするんじゃねぇよ」


「だって君は最近靴が滑りやすいって言うから。そ、その後ちゃんと全部の靴をぴかぴかに磨いて滑り止めを付けたじゃないかっ」


「最初からそうしろよ」


 どこの小学生だと思いながら、俺は呆れのため息をつく。


「はっ……。もしかして、君の化粧水にシンナーを混ぜたことを根に持って……っ?」


「そりゃばあさんじゃなくても根に持つよ」


「私はただ、マリーがこれ以上美しくなったら大変だと思って……」


 祖父は悩ましげに眉を寄せながら俺の手をぎゅっと握る。


「マリー……私のマリア」


「聖母にシンナー吸わせんな」


 生前祖母が頻繁に故郷である南仏の実家に帰っていたというのも頷ける話だ。


「で、じいさん。本題に入っていいか?」


 俺は勝手に近くの椅子を引き寄せて座る。


「俺は美晴。レオニードの息子だ。覚えてるか?」


「もちろん」


 祖父はすぐに合点がいったように頷く。


「いつもおねしょの隠ぺい工作をしてた美晴だね?」


「それはもう忘れろ。で、レオニードの妻の遥花を覚えてるか?」


「遥花。ああ、綺麗な女性だった。私があと三十年若ければ……」


 祖父は残念そうに俯く。


「……落とせたのに」


 もう口説いた後のようだった。こういう浮気なところは、父に通じるところがある。似ているのか似ていないのかよくわからない父子だ。


「それで、じいさんは浅井竜太郎を知ってるだろ」


 俺は問いかけではなく確認として言った。


 祖父はこれには答えずに俺に先を促した。


「今、俺の片割れの安樹が伯父によって結婚させられようとしてる。すべては母さんの死から始まったことだ。それで浅井竜太郎、今はりょうが、自分が母さんを殺したと言いだした」


 これだけを聞いても、普通は何も理解できないだろう。


 だが祖父はわかる。彼はすべてを知っているはずだから。


 岩のように変わらない表情の中で、碧色の瞳だけが光っていた。


「このままではりょうは殺される。そして父か伯父のどちらかが死ぬ。だが、俺は嫌だ」


 俺はりょうや父、そして伯父でさえ死んではほしくない。


「そして安樹が悲しむ。そんな結末は絶対駄目だ」


 何より、俺の片割れがそれを望まない。


「頼む。真実を語ってくれ」


 俺は立ち上がって、祖父に頭を下げる。


 顔を伏せたまま、俺は眉を寄せた。


「……本当は、じいさんに頼むのは悪いと思ってる」


 祖父はとっくの昔にファミリーのボスの座を長男に譲って、以後人との関わりを避けるようにこの南仏の片田舎で隠遁生活をしている。猫かわいがりしていた愛息子の父にすら、もうほとんど連絡を取っていないそうだ。


 今更裏の世界にかかわりあいになどなりたくないだろうとはわかっている。


「でもじいさんの力を借りないと、安樹が」


「美晴」


 祖父は俺の頭を上げさせて言った。


「私が龍二のところに出向いて、遥花の死の真相を話せばいいんだね?」


 ぴたりと俺が言いたいことをあてて見せて、祖父はゆっくりと微笑む。


「いいだろう」


「じいさん、本当に?」


「今の私はもうただの老人だ。惜しむような命も持っていない」


 そっと俺の頭を撫でて、祖父は告げる。


「過去を背負うのは私たちだけで十分だ。お前と安樹は、未来だけ見ていなさい」


 深く頭を下げた俺を、祖父は無骨な腕で優しく抱きしめた。

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