後編<アレクセイ> 3
午後になって、アレクは俺を都内のジムらしき場所に連れて行った。
そこはほとんどが外国人で、様々な格闘技が混じったような動きをして汗を流している、何のスポーツジムなのかわからない混沌とした場所だった。
「……、……」
場所自体も地下にあって、日中だというのに中は奇妙に薄暗い。何語かわからない言葉が飛び交う中で、無数の外国人が互いに組み合ったり殴り合ったりしている。
「こっちへ」
俺の方に倒れこんできた男から、掬いあげるようにしてアレクは俺を引きよせて避けさせる。
倒れている男は完全に意識がないようだった。びくん、と時折体を痙攣させていて、口からはだらだらと血を流している。
「……、……」
アレクが俺にはわからない言葉で近くの男に指示を出すと、手早く担架が用意されて男は連れて行かれた。
「アレク、ここは?」
「私の職場の一つです」
アレクは俺を側から離さないように肩を掴みながら、中をすり抜けるようにして歩いていく。
「あなたたちが学校に行ってる間、ここで護身術を教えています」
「護身術?」
そんな紳士的なものだろうかと俺が眉をひそめると、アレクは俺の心の内を読んだように続ける。
「あなたたちを龍二たちの組織からも、チンピラの類からも守るためには、子飼いは多い方がいいので。資質によっては本国に送って使ってます」
アレクの素性は詳しく知らない。ただ有名な会社のSP経験があり、どんな依頼人でも完璧に守り抜いたというその腕前を持ち、幼い頃からカルナコフファミリーの養子としてずっと期待されてきた逸材だと聞いている。
「まあ単純に無種別の格闘技を楽しむという目的で会員になっている者もいますが……」
「……ん? アレク?」
ふいにこの空間では珍しい日本語が聞こえて、俺はそちらを振り向く。
「あ、やっぱりアレクじゃん。いないかと思ってたよ」
そこに立っていたのは、くしゃりとした茶髪と紅茶色の瞳の、年齢のよくわからない外国人だった。人懐っこい猫を思わせる笑みを浮かべて、軽くアレクの肩を叩く。
「ジュリオ。来てたんですか」
「うん。最近体がなまってるから君と久しぶりに遊ぼうかと思ったんだけど」
ひょい、とアレクの肩ごしに俺を見て、彼は目を大きく見開く。
「……あはっ。あはははっ」
そして吹き出すように笑いだすと、目尻の涙を拭いながら俺に手を差し出す。
「これはすごい。レオが若返ったのかと思った。初めましてミハル君。ボク、ジュリオ・羽島っていうんだ」
「ジュリオ……あ」
俺は反射的に手を掴んでから、父の同期にその名前があったことに気付く。
確か、父の同期でユキさんの次くらいに有名な歌手。
――初恋の彼にくっついて離れなかった嫌な奴だからだよ。
そして父の恋敵……ではなかっただろうか。
「もしかして、父が失礼なことしてませんか?」
イタリア系の容姿から見当をつけて問いかけると、彼はあははと笑いながら頷く。
「完璧に目の敵にされてる。誰もいない教室でいきなり殴られそうになったことあるし、今でも会うたびすごーい目で睨んでくる」
「うわ……」
「よく言われるんだ。『お前なんて蜂の巣にしたい』って」
父の気にいらない相手の表現の仕方だ。時々『蜂に刺されろ』と間違えているが。
まったく父も大人げない。息子として謝罪しなければならないと思った。
「申し訳ないです。やっていいことと悪いことの区別が未だについていない人で」
「いいよぉ。ボクもあんまり区別ついてないから」
話していて感じたが、この人の雰囲気は少し父に似ている。お茶らけた言葉づかいといい、年齢不詳の容姿といい、父に通じる部分がたくさんある。
おそらく、父が彼に感じているのは同類嫌悪というものではないだろうか。しかしそうなると、この人も裏の家業があったりするのか。
「あ、言っとくけどボクはただの元・悪ガキだからね。レオとは音楽での付き合いはあるけど、その手の家業はないから」
俺の心を先読みしたようにジュリオさんは言って、一拍置いて付け加える。
「ついでに、そっちの趣味もない。……っていっても、レオ信じてくれないんだぁ。お前は絶対ユキを邪な目で見てるーって数十年恨まれてるんだよ。自分と一緒にしないでほしいよね」
毒を含んだ言葉を投げてから、ジュリオさんはふいに俺の顔をまじまじと見て問う。
「ミハル君、双子の妹いるんだって? レオに似てる?」
「いえ、あまり。妹は母似なので」
「わお。じゃあかわいいこと間違いなしだね。ねえ、今度遊びに行っていい?」
「ジュリオ」
ふいにジュリオさんがのけぞった。何が起こったかわからなかったが、アレクが指をジュリオさんの額に立てていることから見ると、アレクが指で彼の額を押しやったのだと理解する。
「いったぁ」
「私のお守りしているお嬢様に失礼なことは許しません。これだからあなたは油断ならない」
「かわいい子とお茶飲むくらいいいじゃん。けちー」
やっぱりテンションが父にそっくりだ。父がこの人を嫌う理由は同類嫌悪の方向でほぼ間違いなさそうだ。
「それで、今日は大事な坊ちゃんをこんな小汚いところに連れてきて何する気なの?」
話の飛ぶ人だと思いながら、俺はアレクが口を開く前に答える。
「アレクとナイフで勝負をしたいんです。たぶんここなら多少荒っぽいことをしても警察沙汰にはならないんでしょう?」
「アレクとナイフで?」
彼は途端に眉根を寄せて首を横に振る。
「それ、やめた方がいいよ。アレクが素手でも簡単にねじり伏せられるから」
「私は手を縛って勝負しますよ。ジュリオ」
「いや、もっとハンデつけた方がいいよ。怪我でもしたら後でレオに撃たれるって」
アレクが強いことは知っている。俺も護身術の類を教えてもらったことくらいあるから。
しかし第三者にまで最初から俺が負けると思われているのは少し気に食わない。
「俺もナイフくらい使えますから」
顔に不愉快を出さないように気をつけながら告げると、彼はきょとんとして問う。
「あれ、悪ガキの領域はみ出しちゃってる子なんだね。家業継ぐ気なの?」
「場合によってはそうしますけど、別に父の仕事と直接関係はありません」
俺は、と迷いなく答える。
「妹を守ろうと思っていろんなことに手をつけてたら、自然とこうなっただけです」
「へぇ」
ジュリオさんは面白そうに目を細めて俺に詰め寄る。
「それ、本気で言ってるの?」
「別に理解されたいわけではないのでどうでもいいことですけど。妹はたまたま体が分かれて生まれてきただけで、失くしたら生きていけない半身だと思ってますから」
「でも報われないでしょ。ほいっと余所から取っていかれるもんだよ、妹って」
「絶対ないです」
確信をこめて頷くと、彼は困ったという顔をした。
「なんかなぁ……そこまで断言できるの、うらやましいよ」
ひょいとアレクに振り返って、彼は悪戯っぽく笑う。
「ねえ、ナイフファイトのことだけど、ボクが審判やってもいい?」
「構いませんが、あまりミハルの肩を持たないように」
「それくらいのハンデはあってもいいでしょ」
あっさりと取り決めて、彼は俺を見た。
「アレクに傷をつけたらミハル君の勝ち。ミハル君がナイフを取り落としたら負け。ルールはそれにしよ」
「何勝手に決めてるんですか」
「だって審判はボクだし。君だってお守りする坊ちゃんに怪我させるわけにはいかないでしょ」
強引に話を進めて、彼は俺に耳を寄せる。
「手を縛ってあるからって安心しちゃ駄目だよ。なるべくきつくやっとくけど、絶対解いてくるから」
がんばれ、と肩を叩く彼の目は、なぜかわからないが俺への応援に溢れていた。




