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レインズ・ライフ  作者: Atsu
汚さぬ袖
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汚さぬ袖(解決編)

 汚さぬ袖。数学の先生、原尾先生の奇妙な行動の理由をさぐるべく、友人たちから情報を手に入れた黒川は推理する。妙に間隔の開いた、先生の車の後部座席。部活中の奇妙な仕草。そして、証明問題の添削時に間違えたと漢字たち。それらを元に一つの結論へとたどり着いた黒川は、部活動に現れる先生を待ち伏せする。

 全校集会が始まる。いつものように、校長先生の話から始まり、通過儀礼が進んでいく。選抜大会に参加する生徒の壮行会、コンクールで受賞した生徒の表彰。壇上に上がるような対外的な受賞をする人たちは、例えるなら天上人。この、マンモス校ので知名度の高い人間たちは自分たちとは住む世界が違うように感じられる。自分があの場所に立ちたい。有名になりたい。名声が欲しい。そんな思いははないが、顕著な才能があることをうらやましく感じるか、と問われたら否定はできない。

「では、続いて先生方の表彰に移ります」

 順調に終えたところで、次は教員表彰。原尾先生もその一人らしく、地域の数学教育に尽力したことから、表彰されるとのことだった。対象の先生、どうぞ、との司会の先生の言葉の後、対象の先生たちが壇上に登っていく。原尾先生は五人いるうちの三番目だった。

「では、原尾先生、一言お願いします」

先生はマイクを受け取る。少し視線をそらして考えてから、話を始めた。

「ぇー、立派な賞。ありがとうございます。今日は、このために、いつもより服を汚さないように授業をしました」

その言葉に笑いが起こる。笑いが取れたことで満足した先生は少し頬にしわを寄せて話を続けた。

「まぁ、冗談ですけど。えー、こんな立派なもの、もらったことがなかったので嬉しく思っています。なかなか、まどろっこしいですね。皆さんの授業ではこんなきちんと話してないので」

どっと笑いが起こる

「今笑ったやつ、覚えておくからな!」

先生は人差し指を広範囲の生徒に向かって舐めるよう指した。その顔は授業とは違い、いつになく優しい笑顔を浮かべていた。また会場が沸く。

「…まぁ、いままで地道にやってきたことが評価されたんだと思います。またもらえるよう、頑張ろうと思います。自分のことを長く話すのは苦手なので、この辺にしておきます。ありがとうございました」

いつもより大きな拍手が講堂を包み込んだ。

 服を汚さなかったのはこの受賞のため、という言葉が原尾先生の口から出たことで、これが原因だったのか、と思いたい自分がいた。が、これではないことが明らかだ。直後の先生の否定。加えて、少なくとも今週中は袖を払っていたとする相川君の発言。これらのことから、このために袖を払っていたのではないのだとわかる。

 もう一度、俺は今日の授業を思い出そうとする。声の響く室内の中、脳内で授業映像の再生を試みる。先生の仕草や行動、持ち物、黒板に描く様子。違和感はなかっただろうか。

 そうだ。ひとつ、挙げていなかった違和感に気づく。先生は、花田の証明を訂正する時、漢字を数回間違えていた。しかも、書き慣れているはずの文字である、「証明」の「証」。あとは「係数」の「係」。なぜ、あれらの漢字を何に間違えたのだろう。

 「証」の誤り。こちらは、「つくり」側の漢字を間違えそうになっている。一方、「係」の誤りは「へん」の側を間違えそうになっている。後者の方が誤った先の漢字は少ない。その組み合わせを脳内で試し続けた結果、頭の中で、一つの漢字が思いつく。その漢字。そして、汚さぬ袖。間隔の開いた後部座席。腕組みポーズ。すべての出来事が繋がった。


 強く打ち付けられるバレーボールの反響音。バッシュの重なるグリップ音にタイムアップのブザー音。活気が閉じ込められた体育館の鉄扉から、水銀灯の照明が漏れ出している。

 しばらく扉の前で待っていると、こちらに向かって近づいてくる足音が聞こえてくる。その音に俺は額をあげる。

「原尾先生」

俺は先生を呼び止める。あれから再び、先生は服を着替えたらしい。チョーク粉が付着していない、小ぎれいな格好をしていた。

「黒川か。今日は見てやれん、と言ったはずだが」

少し不快そうな、困ったような表情を、先生は俺に向けた。それもそうだ。すでに断っているところにやってきたのだ。

「それとも何だ? 急用か?」

「そっちはいいんです。一つ、確認したいことがあって」

「何だ。確認って?」

先生は心当たりがないようだ。

「先生が授業中、袖を汚さないようにしていた理由です」

「あぁ! そのことか」

俺のその言葉に、先生は納得がいったようで、少し声が大きくなる。

「そのことについて、数分、お話ししたくて。あれは、今日の表彰のため、ではなかったんですよね」

「あー、あれはな」

先生は隠す気は全くないようで、話を矢継ぎ早に始めようとする。

俺は慌てて手を出し、静止させる。

「ま、待ってください! その理由を、推理してきたんです。なので、答え合わせをさせて欲しいんです」

よくもまぁ、こんな言葉が口から出たものだな、と思った。面倒ごとが好きなたちではないのに、どうにも新聞部に入り、雨乃をはじめとする同期と話すようになってから、好奇心のエンジンが俺の背中にでも取り付けられたように口と足を加速させている。自分で、自分から放たられた言葉に驚かざるを得なかった。

「おお! そうか。それじゃ、聞かせてもらおうか。期待していいんだな?」

そういうと、先生は少し嬉しそうな表情を浮かべ、腕を組んで壁に寄りかかった。

俺は順を追って説明を始める。

「まず、今日の数学の授業では、先生の動作にすごく違和感がありました。多分、それを感じていたのは僕だけではありません。先生のいつもの授業スタイルが崩れてしまっていました。最初に伝えたように、ひどく袖が汚れることを気にされていました」

「そうだな」

「いつもなら、そんなことは御構い無しで、熱心に授業されているので、自分にとっては気持ち悪さすら覚えました。自分みたいに、こんな放課後に先生のところまでやってくる酔狂な奴なんていませんけど、それでも皆がそれを感じていたはずです」

俺はなるべく、先生の授業スタイルへの不満と取られないように、言葉を考えて話す。

「それで、同じクラスの山田に聞いてみたんです。最近、先生の様子が変わっていないか、って。そしたら、二つ、教えてくれました。一つは、週末の試合の準備で、先生の車の後部座席間隔が大きく開けられていたこと。もう一つは、部活中に、腕で何かを囲むような仕草をしきりにしていたということでした」

「あいつもよう見てるな。それで?」

「これだけでは何が理由かはわかりませんでした。そのうえ、他のクラスの相川からは、袖を払う行為が今日に限ったことではなかった、と聞きました」

「それで、何が理由でわかったんだ?」

「今一度、今日の授業をもう一度思い出したんです。他に何か特徴的な出来事がなかったか、って。そしたら、一つ、思い出したんです。先生は、花田の証明の別解を書く際に、二つ、漢字を間違えました。先生は覚えていますか? これが、大きなヒント、いや、答えそのものになりました。長くなりましたが、汚さぬ袖の答えは…」

そう言葉を切って、俺は一度、先生をみた。

「…週末、先生に初めてのお孫さんができた。おそらく、先生の娘さんの子です。先生が袖を汚さなかったのは、そのお孫さんに会うためです。違いますか?」

俺は先生に問うた。

「そうであれば、全ての理由がうまく説明がつきます」

「おお。…まずは、理由を聞こうか」

「わかりました。まず、山田から聞いた話から。誰も乗らないのに、後部座席の間隔を広く取っていた。これは、おそらく、先生の娘さんを乗せていたからでしょう。いつ産まれてくるかわからない、臨月の娘さんを。お腹も大きく、張ってきたことから、で乗り降りしやすいようにしたためですね。

 次に、腕で何かを囲むような仕草。これはだっこの練習ですね。山田が、先生の練習からだっこ、を連想できなかった、ということは、先生はこれまでお孫さんがいた経験がない。自分の子、例えば娘さんが生まれた時に抱いたきり、数十年前から抱くと言う経験をしなかったため、ぎこちなくうつったんだと思います。加えて、その段階では、先週の段階ではまだ生まれていなかったということもわかります。

 そして、間違えた漢字。先生は、二つ、漢字を間違えました。「証明」の「証」。もうひとつは、「係数」の「係」。この二つです。「証明」の「証」、は「言へん」ではなく、「つくり」を何かに間違え、「係数」の「係」は、「人へん」を間違えていました。「言へん」の漢字はたくさんあるので、「係数」の「系」の「つくり」を持つ他の漢字を調べてみました。そうすると、すぐに答えが出ました。

 …「孫」です。先生が間違えた漢字はこの時です。そうなると、自ずともう一つも、決まります。それは、「誕生」の「誕」です。よほど、嬉しかったんですね。

 これらのことから、孫に関わる理由で、袖を汚さなかった、ということまでわかりました。そうなると、袖を汚さない理由も、わかったも同然ですね。

 生まれた孫をその腕で抱き寄せるため、です。チョークはアレルギーだったり、咳の原因になる場合がありますからね。特に、幼い子では。だからこそ、なるべく、チョークの粉を排除したかった。そのために、できる限り、自分の癖を抑制すながら、袖に注意を払っていた。これが僕の出した答えです」

「…正解だ」

先生は口を開く。

「だが、少し説明が長ったらしかったな。全部細かく言おうとして」

そう言いながら先生は時計を見る。先生の言う通り、時間は十分ほど経過してしまっていた。

「すみません。自分から言ったのに」

俺はただただ平謝りをする。

「まぁ、いいさ。そこまで興味のあることに熱中できることはいいことだ。

 黒川の言う通り、週末孫が生まれたのは確かだ。初孫でな。無事に生まれたと知らせを受けて、つい、いつものように会いにいってしまったんだ。そしたら、娘にこっぴどく叱られてな。デリケートな時期なんだから、粉つけたままで来ないでよ、なんてな。生まれたその日に言われてしまったよ。

 娘の言う通り、チョークの粉がアレルギーを引き起こす可能性があったり、母親が埃やハウスダストに敏感な時期なのだから、本当に不注意だったと自覚した。

 …それにしても、こんなに可愛いもんだとは思ってなかった。正直なところ、娘や他の子供たちは、かなり妻の教育方針に任せすぎていたこともあって、当初は、特別強い感情はなかったんだ。

 それが、面白いもので、自分の子に子ができる、ということがわかった瞬間、どう形容すべきかわからんが、心の底から喜びが溢れてきたんだ。自分の子ができた時と同じようにな。そんな浮かれた気分で病室に行き、こっ酷く叱られたもんだから、今週は気をつけていたんだ。そもそも服を汚さないこと、着替えること。よく腕周りを洗うこと。これを徹底しなければ、とね。

 そういうわけで、授業であんな感じになってしまったと言うことだな」

先生はそう言うと、寄りかかっていた壁から腰を起こす。

「推理、楽しませてもらった。そのくらい、授業も楽しんでもらえると、先生は嬉しいんだがな」

そう言って先生は笑う。

「ぜ、善処します」

「黒川」

「はい?」

「…お前が卒業するまでに、数学の面白さ、教えてやるわ。期待しとけ」

そう言って、先生は体育館の扉へと消えていく。

「ぜひ」

そう言葉を返すと先生は手を挙げ、体育館に入る。すると、中からはこんにちは、と部活動に勤しむ生徒たちの挨拶が大きくこだましてきたのだった。


 生徒玄関に向かい、自分の靴箱の前で靴を脱ぐ。既に下校した生徒たちも多く、静寂が廊下を包み、玄関をさみしいものにしていた。靴箱を開ける。生ぬるく、質感のある空気に相反し、靴箱の中で半日眠っていた靴はひんやりと冷たい。かかとを押し込み、夕焼けの注ぐ玄関先へと歩み出す。晴れ晴れとしたとした今日の終わりを思い浮かべながら、自宅に向かってはきはきと歩みを進めていくと声が掛かった。

「黒川」

振り返ると、新聞部同期、雨乃芽来あまのめくるが折り畳み傘を携えて立っていた。

「雨乃か」

俺は軽く手を上げる。

「なんだか、表情よくなったね。なんかあった?」

朝と同じように、眉根を覗き込むように俺を見る。

「まぁな」

「朝、あれだけ修行僧修行僧言ってたのに、意外ね。何があったの?」

雨乃は雨乃は軽く吹き出すのをこらえ、口元に拳を当てた。

「…先生とウマが合った」

「えっ! 嘘でしょ? そんな短期間で。話、聞かせてよ!」

「そうだな…。まずは授業の話からだな」

俺は、ゆっくりと、言葉を返し始めた。

読んでいただき、ありがとうございました。


この短編は、2017年の6月に最初のアイディア(というか日常の謎)が生まれていた(ような)ので、かなり遅い"出産"になってしまいました。一つ前の短編、「不在の呼出」のアイディア出るより前なので、すごい遅かったですね。

結果としては、いい形でまとめられましたので、書いて良かったなと思います。


このシリーズは自分の趣味であり、ライフワークだと思っているので、楽しくやっていきたいと考えていますが、それなりの速度で書き上げる必要もあるな、と最近思っています。


そろそろ一番の長編になっている作品も仕上げていかないといけないなと思っているので、他のシリーズ(この街のはざまで僕らは)がキリのいいところでそちらも進めようと思います。そちらは、神戸をモチーフとした架空の都市、神間市にやってきた大学生が、街の人々との出会いの中で、街を知り、街の謎を解き明かすと言う少しスケールの大きな作品になっています。よければご覧ください。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次のお話に続きます。

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