方法論としての順応する技術
多くの小説指南書には「書きたいことを書けばいい」というような言葉が掲載されています。確かに素敵なアドバイスなのですが、小説を書く方法論としてはどうなのでしょうか? そもそも「書きたいことを書いた小説」で受賞してしまうような方は、いわゆる天才であって、わざわざ小説技術を高める必要がない極少数派です。小説指南書に目を通している大多数は天才ではありませんから、やはり確実に技術を高めていく必要があるのではないでしょうか?
なぜこんなことを書いたかと言うと方法論って嫌われ者なんです。
「女主人公の一人称は少年向けライトノベルで不利だからやめましょう」
例えばこんなアドバイスをしたら、必ず複数の例外作品を挙げて反論されます。確かに「女主人公の一人称」が評価されないわけではありません。ただ率先して茨の道を歩く必要はないと思うのですが、どうにも上手く伝わらないことが多々あります。
例えば「小説家になろう」で高評価を得たい場合、もはや「異世界」や「VRMMO」という要素は外し難いものになっていますよね? 同様にライトノベル系新人賞でも揺るがし難い要素(主人公の年齢や美少女の有無)があります。わざわざ評価を得難い作品で勝負するのはナンセンスだと思いませんか?
あくまで個人的な見解ですが「言いなり」と「順応」は大きく異なります。出版社あるいは小説家になろう読者が求める作品を書くことは「順応」であって「言いなり」ではありません。ただし「異世界」や「VRMMO」という要素を利用するなら、その中に必ず「書きたいこと」も落とし込んでください。その「書きたいこと」がなくならない間は「言いなり」ではありません。このエッセイを読んでいるあなたは、おそらく面白い小説を書きたいはずです。少しでも多くの人に目を通してもらいたいし、できれば高評価されたいと望んでいることでしょう。真っ向から流行を否定するのではなく、順応する技術を身に付けてしまいましょう。
ここで指針となるのは「エゴ」と「サービス」の割合です。
例えば「異世界転生」や「VRMMO」に興味のない書き手が、読者を獲得するためだけに執筆したとすると以下のような感じになります。
エゴ0:サービス10 エゴ1:サービス9
これは普通に考えれば書き手が持ちません。甘党の人に辛い物ばかり与えるようなものです。しかし現状の「小説家になろう」を見ると、ここに分類される書き手が結構いそうですよね。
反対に売れるかどうかより文学性が求められる作品はこうなります。
エゴ10:サービス0 エゴ9:サービス1
一般的にエンターテイメント(ライトノベル含む)と呼ばれる小説の範疇は以下です。
エゴ4:サービス6 エゴ3:サービス7
バランスの良さでいくと「エゴ5:サービス5」となるわけですが、これは中途半端過ぎて逆に売れないという判断を下されるようです。新人賞へ応募する場合は投稿先の求める「サービス」に対して、どれくらいの「エゴ」が含まれているか割合を分析してみるのもいいかもしれません。
以下は「小説家になろう」で評価を得るための分析です。
①「主人公最強、異世界転生(トリップ含む)、VRMMO」を楽しみながら書ける作者が圧倒的に有利である。
②上記に該当しない作者はどこまでサービスに徹するか考える必要がある。
普段の作風をなろう基準で判断すると「エゴ8:サービス2」くらいでしょうか?
ライトノベル系の新人賞なら「エゴ6:サービス4」くらいな気がします。
どちらにしても勝てる気がしません(苦笑) N




