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騎士レイルズ・ラドクリフは推理する  作者: ビーグル犬のぽん太
第一章 騎士レイルズ・ラドクリフと古城の事件
1/2

雨がやまない

「ラドクリフ少尉!」


 わたしがドアを開き保安官を呼ぶと、彼は狭い廊下を小走りで駆け寄ってくる。暗いはずの廊下には、いつの間にか魔法の光球がいくつも浮かび上がっていて、それがまたひとつ増えたことでさらに明るさは増した。


 ラドクリフ少尉は魔法を発動する際、呪文の詠唱を必要としない。シェスター教授もそうだけど、一流の魔導士たちは皆、こうなんだろうか?


「御父上は?」


 彼の問いに答えるより早く、わたしは少尉を室に招き入れた。


 ここは、父の職務室兼自室で、その部屋の奥、寝台に仰向けで寝ている父の胸にはナイフが突き立っている。そして、その口からは血が吐きだされており、目は驚いたように見開いたままだ。


 今から、十分ほど前、見た瞬間に、父が死んでいるとわかった。すぐに住み込みの使用人――ミモザを呼び、彼女に保安官を呼んでとお願いをした。


 そして、それからこの部屋で一人、ラドクリフ少尉を待っていると父親が生き返るのではないかという不思議な感覚を覚えて、その傍らで父の顔をじっとのぞき込んでいたけど、やはりそういうことにはならない。


「ジュリア、いつ見つけた?」

「少し前です……いつも寝るときに父が飲むブランデーをここに運んだ時……」

「これ?」


 ラドクリフ少尉に尋ねられたわたしは、厚い絨毯の上で割れている瓶と、こぼれたお酒を見て頷く。


「はい」

「驚いて、落としてしまった?」

「そうです……」


 ここでラドクリフ少尉は、開け放たれた窓を見た。カーテンは外から入ってくる雨でぬれていて、風で揺れるが動きが重いように見える。


「窓はいつから、開いていた?」


 少尉の問いに、わたしは少し考えた。


「……たしか、部屋に入った時には……開いていたと思います」


 ラドクリフ少尉は窓へと近づき、そこから下を見下ろした。


「雨で見えやしない」


 彼はそう吐き捨て、再び父の亡骸を見る。そこで、部屋の外からその声が聞こえた。


「わしだ、入るぞ」


 医師で、この公園の医務官を務めるゴードン先生だ。わたしは呼んでいなかったけど、ミモザが気をきかしたのだろう。


 先生は父の寝台へと近づき、横たわる父の傍らで鞄を広げると少尉に声をかける。


「レイルズ」

「はい?」

「保安官として、どう思うね?」


 わたしは、部屋を出ようとしたが少尉に止められた。


「悪いが、いてもらいたい。第一発見者が君だ」


 わたしが部屋の隅に立つと、ラドクリフ少尉は作業をする先生を眺めながら口を開く。


「まず死因は胸を刺されていることだと思いますので、他殺でしょうね。犯人は窓から外へ逃げた」

「この雨の中、飛び降りたのか? 下がどうなっているのかも見えないのに?」


 先生の疑問に、ラドクリフ少尉はうなずく。


「ええ、下を確認しているところで、ジュリアがやって来たのではないでしょうか? 慌てて飛び降りた」


 わたしは目を見張った。


 ラドクリフ少尉は、そこでわたしに尋ねる。


「部屋に入るとき、当然、ノックをするね?」

「はい……返事がないので、何度かノックを……ですが、返事がなく。でも、鍵はかかっていないし、いないのならブランデーを置いておこうと思いました」

「ということで、先生、彼女が来たから犯人は慌てたんでしょう……ですが、この雨だ。痕跡はないでしょうね。また運よく、この窓の外は平坦ですから、二階から着地するのに大人であれば問題ないでしょう……下手をしても足を痛めるくらいですむと思いますよ」

「そりゃ、あんたら軍人だったらそうかもしれんが、下手をして骨折なんてこともある」

「そうであるなら、下で困っているかもしれません」

「探しに行かないのか?」


 ラドクリフ少尉は窓を眺め「この雨と風で探索か、やれやれ」とぼやくと、わたしと先生を交互に眺めた。


「……その前に、管理官が死亡したのはどれほど前です?」


 先生はちらりと少尉を見て、頷くと口を開いた。


「少し前……ジュリアが見つけるまでそう時間は経っていないように思うね」

「食堂で皆と別れた後……ジュリアがブランデーを運ぶまで……午後九時から午後十時の間ですね」

「わしの仕事はもうここにはない……レイルズはこれから仕事だろうが。さっさと探しに行かんかい」

「わかってますよ、行きますよ」


 彼はうんざりとした口調で、そう言うと部屋を出て行った。




 -Sir Rhaels Radcliffe-




 このクローシュ渓谷は広大な渓谷と森林、そしてそこで生きる動植物を保護する目的として国の管理下となり、国立公園となっている。昔は、大変な戦争の舞台となっていたこともあるし、伝説の始まった場所でもあることから、グラミアの観光名所のひとつだけれど、住もうと思う人は少ないだろう。


 わたしも、まさかここに住むことになるなんて思わなかった。


 理由は、父が管理官として赴任したのが原因だ。


 わたしは父の秘書として働くこととなったけど、望んでいたことではない。どちらかというと、父だけがここに引っ越して、わたしはそのままキアフに住んでいたかった。だけど父が家を売りに出してしまったせいで、一人で部屋を借りる経済力がないわたしは、引越しを受け入れるしかなかったのだ。


 あれから二年、退屈で変化のない毎日が続いて、これからもそのはずだったのに。


 父が、死んだ。


 実感は、まだない。


 だけど、ゴードン先生に「残念だ」と言われて、少しだけ気持ちが沈んだ。




 -Sir Rhaels Radcliffe-




 クローシュ渓谷国立公園の管理棟は、戦争をしていた時代に建てられた古城を再利用しているせいで、ひどく不便だ。これを建設した当時の王様は、まさかわたしが不便だと不満を感じていることなんて想像もしていなかったに違いないけど、過去の人たちに現在のわたしから文句を言える機会があれば、ぜひ言ってやりたいくらい不便だ。


 通路は狭いし、階段は急だし、窓ではなく狭間ばかりで今の季節は共用部がおそろしく寒い。ちょっとは考えてと文句を言いたくなるのもわかってほしい。


 父が死んだというのに、葬儀は捜査中とかで予定未定となり、遺体を検査にまわしたいと少尉は言うけど、数日前から続く雨のせいでこの管理棟は陸の孤島と化してしまい、出入りができなくなっているから、検査員は入って来れず、父の遺体を運び出せずで、今も父の寝室だ。少尉が遺体の腐敗を防ぐ目的で、魔法で父を氷漬けにしてしまっているのだけど、部屋に入るたびに不気味なので勘弁してほしい。


 イライラしているのに、わたしは今、連日の雨が原因で、地下の食糧庫が浸水しているのを発見してしまった……。


 管理棟に取り残されている人たちの食事をと、食糧庫へ続く階段を下りていると、地下はもう膝までの高さが水で浸かってしまっているのだ。


 昨夜の……父が死んだ夜の大雨のせいだ。


 そういえば、少尉が外に犯人が逃げていないかと探しに行ったけど、橋が全て水没していたと言っていた。湖に浮かぶ島に、この管理棟は建てられているので、橋が水没すると、あとは小舟で陸へと向かうしかない。だけど、風も強くて波が高く、とても小舟で陸までたどり着けそうにない状況なのだ。


 わたしは、地下から一階へと戻る。


 ナタリーが、わたしを見つけて駆け寄ってきた。彼女はゴードン先生の娘で、この公園で唯一と言っていいわたしの友達だ。


「ジュリア、一人だと危ないよ」

「どうして?」

「どうして……て! もう! お父さんをあんな……目に遭わせた犯人がまだ近くにいるんだよ」

「……」


 そう言われて、わたしは初めてそうだと思えた。


 たしかに、犯人が窓から外に飛んで、地上に着地して管理棟から離れることができたとしても、昨夜から現在にいたるこの暴風雨では湖を泳ぐことなんてできないだろう。


 自殺願望でもあれば……別かもしれない。だけど、そういう人は窓から飛び出して逃げようなんて思わないか……いや、窓から飛び降りたのは、自殺しようとして……無理があるなと諦めるしかない。


「どうしたの?」


 考えこんだわたしを見て、ナタリーが尋ねてきた。


「ちょっと……いろいろと考えていて……父さんを殺した人が逃げたなら、どこにいるんだろうって?」

「……ごめんね? 変なことを考えさせて」


 たしかに、ナタリーのせいで考えてしまったけど、誤るようなことじゃない。だけど彼女は申し訳ないという顔でわたしの手をとる。


「ごめん……ともかく、一人でうろうろしちゃダメ……て、どうしたの? 靴もスカートもびしょびしょ」

「地下室、浸水してる」

「えええええええ?!」


 彼女が大声を出したので、ドアの一つが開いてシェスター教授が顔を見せた。


 ものすごい魔導士で美人なのに、動植物にしか興味がないという変人だ。だけど、彼女のお話は面白くて、森の散策にはよく付き合って、いろいろとおしゃべりを楽しんでいる。


 教授が、わたしたちに尋ねる。


「どうかした?」

「教授、大変です! 地下室が浸水してるって、ジュリアが!」


 ナタリーの返答で、教授が苦笑いを浮かべた後、わたしたちへと近づいてきた。スラリと長身で、身のこなしも洗練された素敵な人だ。


「ジュリア、わざわざ浸水しているのに降りたの?」


 教授の問いに、わたしは苦笑を返すしかない。


「あの……暗くてよく見えなくて、あれ? と思ったらズボっと」

「ともかく、これからいまで水が来ているってことね?」


 教授が、膝のあたりで手をひらひらとさせて言う。


 わたしが頷くと、彼女は私たちの背後、地下室へ降りる階段へと、一瞬で発動した光球を放った。


 少尉と、この人と、どちらがすごい魔導士なんだろう?


 教授は、地下室へと向かっていないのに、そこの状態がわかるようだ。さきほどの光球が彼女の目にでもなっているのだろうか?


「なるほど……食料がダメになっているのは悲しいが、葡萄酒ワインとブランデー、シングルモルトは大丈夫だろう。あとでレイルズに取りに行かせよう」

「少尉はきっと、嫌がると思いますけど?」


 わたしの指摘に、教授は頭をふる。


「いや、行くよ。あいつが一番、酒飲みだからね」

「教授が一番じゃないんですか?」


 ナタリーの冗談めいた質問に、シェスター教授は赤い瞳を揺らして笑う。


「まさか! わたしは夢を恐れて呑むほどの酒飲みじゃないよ」

「夢を恐れて?」

「そう……夢を見たくないそうだよ……ともかく、二人とも、ジュリアの御父上を害した奴がうろついているかもしれないから、女の子二人はよくない」

「教授も、女ですよ」


 ナタリーの言葉に、シェスター教授は薄く笑う。その笑みは、ゾッとするほど美しい。


「わたしを殺せるとしたら、それは時間だけだろうね」


 どういう意味だろう?


「ともかく、ジュリア」

「はい?」

「実感がわかないのはわかるけど、君まで毒牙にかかってはよくない」

「わかりました」


 わたしは、でも食事はどうしようかと悩む。


「ですが、お食事はどうしましょう? 先生、ナタリー、教授、それから少尉、あとミモザとエリック、クロフォードさん……わたし……八人分のご飯がなくなったんです」

「……皆で、協力して食べられそうなものを探すしかないだろうね。先生に声をかけて、レイルズに組分けをしてもらおう」


 教授はそう言うと、わたしたちに「ついておいで」と言い、歩き出す。


 ナタリーが周囲を不安げにうかがいながら歩くので、わたしはおかしく感じてしまった。




 -Sir Rhaels Radcliffe-




 二日目の午後六時。


 管理棟の中を、食料を求めて探し回ったわたしたちは、一階の食堂に集まった。


 医務官のショーン・ゴードン先生と、娘でわたしの友達のナタリー。


 保安官のレイルズ・ラドクリフ少尉と、保安官助手のジャン・クロフォードさん。


 管理官付き使用人のミモザとエリック……二人は夫婦で住み込みだ。


 そして、キアフ大学魔法工学部教授なのに、猛禽類の調査で半年間ほどここにいるスピネア・シェスター教授。彼女は通いでここに来ているけど、大雨が降り始めてからは研究室で寝泊まりをしていた。


 最後にわたし、ジュリア・バニンズ。


 円卓に置かれた貴重な食料を、先生が口に出して確認していく。


「ビスケットの包みが五つ、サラミ五本、観光客向けのお土産用クッキー三十箱は助かる……タバコ五箱……タバコ呑みは儂と少尉だけか?」

「わたしもたまに呑む」


 教授が言った。


「三人で分けよう……飴玉二十個入りが一袋、カシューナッツが三袋、リュゼのワイン十本……若いから水代わりに飲もう。ブランデー……カミュル・デポーンヌが三本、シングルモルト……イブリン・ザ・セリーンが一本あるが、この一本は雨があがって助かった時のお祝い用だ」


 エリックが、教授のほうを眺めて言う。


「おたくの、梟を焼けば食料になるよな?」


 彼の言葉に、シェスター教授は顎をそらして応える。


「それをしたら、間違いなく殺してあげるよ」

「なんだと⁉」

「喧嘩を売ったのはそちらだ」

「教授、エリック、やめろ」


 少尉が鋭く言い、二人はお互いを見つめ……にらみあったまま口を閉じる。エリックの奥さんであるミモザが、申し訳なさそうにペコペコとしていた。この旦那は、奥さんのおかげでここにいられるのに、いつも偉そうな態度を他人にとるから皆から嫌われている。


 教授が、怪我をした梟を見つけて、怪我が治るまで保護しているのはここにいる全員が知っていた。可愛い子で、目がクリクリで愛嬌がある。教授にも、わたしたちにもよく懐いてくれている梟を、ロクデナシでヒモ男は食べるというのだ。


 自然と、ナタリーも鋭い視線でエリックを見ていて、それに気づいたロクデナシが彼女に声を荒げる。


「ああ?! やんのか⁉ コラ!」


 直後、ラドクリフ少尉がすばやく動いて、少し離れたところにいたエリックの腕をねじあげていた。


「いたたたた!」

「あなた! 少尉、ごめんなさい! 許してやってください」

「元軍人だから手加減してるんだぞ……イライラしているのは皆だ。冷静になれ」


 少尉はそう言ってから、エリックを開放する。


 重い空気を嫌って、クロフォードさんがわざと陽気な声を出した。


「ま! 喧嘩したって雨があがるまではこの面子で頑張るしかないんです! 協力しないと、助かるものも助かりません! ね! 少尉!」

「そうだ。一応、管理官が……」


 彼はそこで言葉を止めて、わたしを見た。


 わたしは、目を伏せる。


 少尉は、咳払いをして続けた。


「すまない、ジュリア……管理官がいない今、責任者の代理は年長者のゴードン先生が良いと思うが、どうです?」


 皆、異論はないとなり、管理官代理は医務官のゴードン先生となった。


 少尉の話は続く。


「管理官を……害した犯人は捕まっておらず、一人で管理棟内をうろつくのは禁止します。必ず、二人で……ジュリアとナタリーはスピネア先生を頼って……いいですね? スピネア先生?」

「かまわないよ」

「助かる。で、何か異変があったら、大声を出すこと。いいですか?」


 皆、異論はない。


「俺とクロフォードは、一階の保安官室にいる。スピネア先生も一階の研究室、ミモザとエリックはこれまでと同じように、二階の使用人室を使って……先生とナタリーも二階の医務室を使うってことでいいですね?」

「かまわんが、一階と二階に分かれていては、何かあった時に困らんか? 二階には、会議用の部屋や来客室がある。あんたら保安組と教授は二階に移動せんか?」

「なるほど……たしかに。そうしましょう」

「意見というか、お願いがある」


 シェスター教授だ。


「管理棟の外、犬舎の犬を中にいれてやりたい」


 教授は、本当に動物好きだと思う。


 たしかに、今のところは大丈夫だけど、このまま水位があがったり、もっと雨風が強くなったらと思うと、先生の言う通りだろう。


「いいでしょう……ですが、食料はどうします?」

「わたしの分を、彼らにあげればいいだろう? わたしは酒があればいい」


 教授はきっと、一番の酒飲みだと思う。




 -Sir Rhaels Radcliffe-




 管理棟……古城の二階は室が円形の内側に位置し、それをぐるりと通路が囲っているという作りだ。管理官室を十二時方向とすると、時計まわりに、わたしの部屋が続き、来客室が二部屋ありわたしの部屋に近いほうがシェスター教授の部屋、次の来客室は少尉とクロフォードさん、そして医務室、会議室、御不浄、使用人室だ。使用人室と管理室は当然隣どういで、保安組の二人が使う部屋の前に、上下階へ通じる階段がある。


 下は現在のところ無人で、上は塔だ。


 螺旋階段を上っていくと見張り塔の頂上から絶景を拝めるのだけど、こんな天候では上に行こうという気にはならない。


 しかし、ラドクリフ少尉は念のためと言い、見張り塔へとあがって行き、今、降りてきた。


 びしょびしょになった姿を見て、申し訳なく思う。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないよ、たまらないね、雨」


 彼は塔へと続く階段の扉を閉じて、鉄の錠をかけた。そして鍵を上着のポケットにしまうと、わたしを誘うように歩く。


「できれば、君は部屋を使わないでスピネア先生と一緒にいてほしい」

「……わかりました。ワンちゃん可愛いし、うれしいです」

「あいつ、俺には吠えやがる」


 そうなのだ。


 この管理棟で飼育しているゴーダ犬のロイは、ラドクリフ少尉を見るとたれ耳をひっくりかえす勢いで吠えるのである。


 あおー! あおーお! とそれはもううるさい。もともと兎狩りに使われていて、軍でも昔からよく使われていた犬種だけど、ここでは熊除け目的だ。ゴーダ犬の体は大きくないけど、その声はあらゆる犬種の中でも大きくて遠くまで届くのだそうで、そのロイの吠え声を熊は嫌って近づかないのだ。


 エリックが狭間さまから外を眺めていて、わたしたちが近づくと気づいて外を指さす。


「ラドクリフさん、これを塞がないか? 寒くてかなわんからさ」

「木材がいるが……地下だな」

「ああ……」


 エリックさんは脱力したように手をだらんとして、諦めたように立つも、わたしたちに道を譲ってくれた。狭い通路ですれ違うと、彼はわたしと少尉に問う。


「犯人……管理棟に隠れてるのは間違いないのか?」


 ラドクリフ少尉はわたしを先に行かせるように位置を変えて、応えた。


「隠れていないと思う」

「なんで?」

「隠れる場所がない。大きな建物じゃない。昔の……前線砦みたいなものだ。地下室も隠し通路なんてない建物だし、今は浸水……建物の外は管理棟の玄関すぐまで水がきた……上は無人、一階も無人……ここにいる面子で全員だろう」

「じゃ、もう逃げてしまったってわけだな?」

「……ま、そう願ってるよ」

「なんだ? 捕まえたくないのか?」

「見つけたら、捕まえるよ」


 ラドクリフ少尉はそう言うと、歩き出したわたしの後ろにつく。


 エリックが離れてから、少尉が問うてきた。


「君は、彼が苦手か?」

「はい、みんな、苦手に思ってますよ」


 わたしの正直な感想に、少尉は声質を少し穏やかなものにして言う。


「そうか……でも、彼も大変なんだ。長く軍で働いて、北のほうで死にかけた……怪我をして走れくなって……攻撃的な性格ではあるけど、そうなる理由があったんだよ……誰にだって理由があるから」


 わたしは、そういう話をされても全く同情する気になれない。それを言うなら、わたしにだって大きな事情があるわけだし。


「それは、わたしには全く関係ないことです。みんなも」

「そうだな」


 少尉は短く答えた。


 少し、悲しそうな声に聞こえた気がした。

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