22話 最後の希望
黒煙は山頂の上空に集まって球体を形作っていく。
目を細めてその光景を見守る雷花は、黒須に問いかけた。
「なぁ零士、あれが封印されてた魔物なの? なんかしょぼくねぇ?」
「封印は解けたが完全には目覚めていないようだな……もう少し時間がいる」
数百年も封印されていたのだから無理もないだろう。
とある文献によれば大鳳市すべてを闇に飲み込もうとしたとも書かれていた。
どれほどの規模の魔物なのか、黒須でさえ想像がつかない。
「名前がないのでは不便だな……この魔物はアビスとでも命名するか」
「そうだね。名無しの魔物じゃ可哀想だしな」
文献にも名前は残っていなかったので黒須が便宜上そう名付ける。
雷花は気に入ったようだが、果たして命名された魔物は何を思うのか。
一方でペイルライダーを召喚した泉水を甲斐はじっと見つめている。
「零士、この『鍵』はどうするんだ。用は済んだし解放していいのか?」
「いや……完全に目覚めていない今はだめだ。再び封印される恐れがある」
「そうか……もう少し俺たちに付き合ってもらう必要があるわけだな」
甲斐は手をかざすと魔法陣から魔物が姿を現す。
貝殻のようなものを背負った甲斐の魔物、アルカンシェルだ。
「零士、こっちからも敵だよ。遠野とかいう人と姉貴が近くに来てる」
望遠鏡の魔導具を覗き込んで雷花が告げる。アビスはまだ完全に目覚めていない。本格的に活動を開始するまでは時間を稼がなければならない。
「ここは逃げるか~? 泉水くんさえキープしとけばいいんでしょ?」
「いや……追跡されても面倒だ。今この場で倒しておきたい」
真央はともかくとして冥道の弟子である遠野は厄介だ。
おそらく甲斐と雷花が勝てる相手ではないだろう。
「私が行こう。遠野という男は侮れない……この手で確実に倒す」
「じゃあ私も姉貴の相手をしてやるか。かるーくぶっ倒してやるよ」
黒須が手をかざすと渦巻く真っ暗な空間が現れる。
「甲斐、そっちは任せたぞ」
「ああ。大人しくさせておけばいいんだろう?」
「最終手段だが……あまりに抵抗するなら殺して構わない」
そう言い残して黒須は真っ暗な空間の中に消えていく。
雷花もあとに続いて消えるとそれは閉じて無くなった。
甲斐は泉水とペイルライダーに視線を向ける。
「何もしない方がいい。自分の命は大事にしろよ」
「いやだ……! 魔物をもう一度封印しないと……!」
もう大人しくしているわけにはいかない。泉水も抵抗する覚悟を決めた。
このまま黙って見ていたら更に状況が悪化するという予感がする。
それに三対一はともかく、一対一なら勝てる可能性もある。
「そうはさせない。お前じゃ俺に勝てないぞ、身体が震えてる」
泉水は震える右腕を掴んだ。泉水は退魔師ではない。
だが今は戦う時。再封印という最後の希望を捨ててはいけない。
「たしかに怖いよ。怖いけど……! 僕だけが挫けるわけにはいかないから……!」
もし綾瀬がこの場にいたら。彼女は何の迷いもなく敵に立ち向かったはずだ。
誰かを守るために全力を尽くしただろう。彼女の勇気を少しだけ借りたい。
「これは優しさなんだ。戦えば俺のワンサイドゲームにしかならないからな」
気がつけばアルカンシェルの姿が消えていた。
ペイルライダーが泉水に注意する。
「気をつけろ、泉水……敵は姿を隠す能力を持っている……!」
「理解しても攻略できなきゃ意味がない。やれ、アルカンシェル!」
右半身に痛みが走ったかと思うと、泉水は地面を転がっていた。
見えなくても分かる。甲斐の魔物に殴り飛ばされたのだ。
「やっぱり弱いな。なぜお前がペイルライダーと契約してるのか知らんが」
人生で味わったことのない激痛だがまだ意識はある。
なんとなく敵の位置が分かったおかげだ。掠っただけで済んだ。
理由は自分でも分からない。だがモロに浴びたら確実に再起不能の重傷だった。
泉水がよろよろ起き上がるのを確認するとペイルライダーが問いかける。
「……君は退魔師なのか? 私のことを知っているようだが」
「いや……元退魔師志望だよ。そりゃ知ってるさ。お前は有名だからな」
甲斐は思案する。遠野と戦った時から妙に奇襲が決まらない。
さっきの攻撃を避けたのは偶然なのだろうか。
「逆に質問だが、あのペイルライダーがなぜ素人と契約してるんだ?」
「……彼を守るためだ。君のような連中からな」
いずれにせよこの一撃ではっきりする。まぐれは二度も通じない。
アルカンシェルにもう一度泉水を攻撃させて終わりだ。
「こ、今度は右から来る……!?」
「……任せろ。私が対処する」
カバーに入ったペイルライダーが両腕を交差させて防御の態勢に。
腕に鈍い衝撃が走る。人間には致命的でも魔物にとっては軽い一撃だ。
ペイルライダーは反撃に殴りかかったが、アルカンシェルは姿を消したまま回避。拳は空を切った。
「まただ……! なぜ位置が分かった……!?」
ペイルライダー側の能力ではない。ならば反撃を外さなかったはず。
泉水はなぜかアルカンシェルの位置を感覚的に把握できている。
一度幻で姿を消したら甲斐にすらその位置は分からないのに。
「……分からないよ。何かの『力の塊』が来る感覚がするんだ」
今まではそんなこと分からなかった。この山に来てからだ。
ともかくこれで甲斐は契約者を不意打ちで倒すという戦法が使えない。
作戦を変える必要に迫られたが、他の案が思いつかない。
「ちっ……なんとかしろアルカンシェル!」
アルカンシェルは背後に回ってペイルライダーに奇襲をかける。
だが泉水には感覚でそれが分かった。
「ペイルライダーさん! 後ろだっ!」
振り向いたペイルライダーは手甲剣を伸ばして袈裟斬りを放つ。
アルカンシェルは後退するが浅く命中する。光の粒が飛沫のように散った。
続けざまに蹴りを放ち、アルカンシェルが吹き飛ぶ。
「防御が厚いな。並みの魔物なら仕留めていた」
爪先から短剣が飛び出している。ただの蹴りではなかったのだ。
言葉通り、普通ならさっきの一撃で急所を貫いて倒していた。
「ふしーっ……ふしーっ……!」
霧が晴れるように姿を現したアルカンシェル。
甲斐はそこでようやく位置が把握できる理由に思い至った。
「お前……魔力を探知できるのか……!」
退魔師の中には導きの振り子なしでも魔力を鋭敏に探知できる者がいる。
なぜこんな素人にそんな真似ができるのか分からないが、きっとそうだ。
遠野も同じ芸当でアルカンシェルの位置を割り当てたのだろう。
「ワンサイドゲームというほどではないな。今度はこちらから行く……!」
手甲剣を構えると、ペイルライダーは敵めがけて突っ込んでいった。




