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「大丈夫ですか?物凄い音がしましたが」
とぼけつつ、店の中に入ると、腕をいっぱいに広げて鍋を抱えたグレッグ先生と、びっかびかの鍋を掴んでいるイルが同時に振り返った。
「ああ……大丈夫だよ、びっくりしただけさ。神託と同時に鍋が落ちてきてね、誰もいないところだったから何ともなかったけど」
「ぎらぎらして悪趣味な鍋ですね……ここに載せたらいいですね?」
「あ、お願い。ありがとうイル君」
親身になってくれているけれど不親切な運営である。イルの無暗に高いStr値とVit値が十全に発揮され、先生の鍋よりさらに大きな鍋は無事に焜炉に据え付けられた。
「うーん。神器が鍋の形って言うのは初めて聞いたよ。神様はよっぽど来訪者たちにポーションを売って欲しいんだねえ」
どうやら、この派手な鍋は神器であるらしい。所有者の先生が教えてくれたところによると、早く沸き、早く冷め、どんなに失敗しても焦げ付かず汚れずお手入れ簡単な上、品質C以下には絶対にならないと言う魔法の鍋であるらしい。見た目に拘らなければ私も欲しい鍋であった。
「これ……必ず失敗しないと品質Bくらいにすぐなっちゃいそうだねえ。どうしよう、僕薬づくりが下手になりそうだよ」
困り顔の先生であったが、ひとまず中庭から薬草を採集してくることになった。薬草を集められるのは先生だけだが、集めた薬草の下処理は私がやっても良いようだ。しばし薬草を使える状態にする作業を続けた。2秒で生える草、と言うのは物凄くシュールである。切り取った途端に伸び始めるのである。不自然極まりない。
薬草の山を作っては調薬を繰り返し、不肖弟子は何度となく瓶の調達に走った。とうとう職人さんの所に瓶が1本も無くなったころには、在庫はそれぞれ23000本まで膨れ上がっていた。使用期限を考えるとこれくらいでちょうどいいのか。
「辰砂君も順調に腕を上げてるね。調剤くらいにはなってるだろう?……うんうん、そうだろうね。調合まで行くと、同じ材料でももっと幅が広がって面白いから目指してみるといいよ」
グレッグ先生は私の手際に満足そうな顔をした。お褒め頂き光栄です。イルは暇だったらしく、途中からは店番を兼ねて読書に勤しんでいた。どうしても調薬系統は習得する気になれないそうだ。臭いが嫌いらしい。
「本当に助かったよ。ありがとう、辰砂君もイル君も。これで何とか乗り切れそうな気がしてきたよ!」
先生がお礼だと、300000エーンをくれた。半日ばかりのお手伝い料金にしては高いので、返そうとしたが1本あたりで割ったら激安だからとむしろ謝られてしまった。そんなつもりではなかったのだけど。段々お金が貯まってきている。
とりあえず、先生過労死事件は多分阻止できたと思うのでそのままノース山へ向かった。ここまで来て精霊さんにお会いしないなんて馬鹿な選択はない。
「あら、辰砂ちゃんと龍ちゃんじゃない。いらっしゃい」
精霊さんが美魔女と言うには若々しくなりすぎている以外はいつも通りであった。だんだんイルと歳の差カップルみたいに見えてきているのは私の気のせいなのだろうか?尤も、喋っている内容は最初のころから変わらずほのぼのしているのだけれど。
「ねえばあちゃん、何日かしたらね、辰砂と同じとこから来るやつらがまた一杯この辺うろつくんですって。もしも悪い奴がいたら俺か辰砂に言ってくださいね、絶対やっつけてやりますから」
「まあまあ。そんな事があったらお願いねえ、龍ちゃん強いものねえ」
「任せてください!頑張りますよ」
本当にイルがやっつけてしまったらトラウマ級の事態になってしまうような気もするが、まだ起きてもいない事を心配するのは性に合わない。という事でスルーして頷いておくことにした。願わくば、精霊の祠を荒らすような品性の無い阿呆が居ない事を祈る。イルだけでなく私までPK職に転職しなければならないからね。
日が傾く頃まで、精霊さんの所にお邪魔した後は久しぶりにイチの街の露店を冷やかすこととした。この寂れた感じが田舎にしっくりくるのである。低ランクの各種魔石をタダ同然でまとめ売りしていたのを見つけた時は驚いた。
「いいのですか?これ、集めるの大変だったのでは?」
狼獣人に思わず話しかけてしまった。青年の獣人は、緩慢に瞬きをしてからこちらをぼうっと眺めた。
「ああ、いいよ。やめるから」
やめる。つまり∞世界を、という事だ。並べてある商品を見ただけでもかなりやりこんでいたのだろうに、どうしてだろう。不思議だと思ったのがわかったのか、狼はこちらにもう一度視線を寄越した。
「俺、種族選択間違えてさ。生産やりたかったのに狼選んじまって。Dexの基礎値、10なんだぜ。IntもMndも低いから、3つとも振らなきゃまともなもんにならなくて。もう一回、最初からやり直して材料集め直してって思ったら、心折れちまった」
それで、捨て値で売っている訳だ。私も正直、イルがいなければ心が折れた可能性を否定できない。毎日人を襲うのは何とも微妙な気持であった。
「……やり直せばいいですよ。預かりましょう。これではやっていけないと思う気持ちはわかりますから。丁度明日は第二陣が到着する日ですし、同時か少しの時間差でやり始めれば、仲間も沢山いるじゃあありませんか」
狼は不思議そうな顔で私を見上げた。
「……なんで?」
何でそんなことを言いだすのか、と言う事だろうか?
「私は毎日誰かを誑し込む必要がありました。今はその必要はないんですが。一歩違えば、今のあなたみたいに捨て鉢になっていたと思うので。やめるのではなくて、引き継げばいい」
狼はしばらく考え込んでいたけれど、耳の付け根を掻いてから露店マットを猛烈に操作し始めた。
「ちょっと待って、全部1エーンに変えるから。無料譲渡繰り返してると職業欄に【闇商人】が付いて指名手配かかるんだってよ。俺、次も今の名前――ケインズにする、あんたは?」
全ての商品を並べては1エーンにしつつも名前を聞かれ、答えた。辰砂ね、とつぶやいた彼はもう一度私達を焼き付けるようにじっと見つめている。と、耳がぺしゃっと潰れた。
「んな睨むなよ、怖ぇな。別に何もしないって。あんま愛が重いと逃げられるぞ」
よく分からない発言は流しつつ、商品を全て買い上げていく。解らなくなりそうなので、適当な袋に詰め込んでおこう。
「ありがとな。俺もう一回やってみるわ。あんたいつならいるんだ?」
「そうですね、何事も無ければ――明日の夕方7時くらいには」
普段は8時前になることもあるけれど。彼には1時間でも早い方がいいだろうから、明日は急いでログインしよう。
「わかった。頼むわ。碌にお礼なんかできないけどさ……ありがとな」
狼青年は手を振って去って行ったのであった。