失ったもの、得たもの
「──ふぅ、これで大丈夫だと思います。レイジさん、動かしてみて違和感はありますか?」
脱力するように息を吐いてからレイジに問い掛けたのは、アリスだった。
グランサス地下水道から出て、俺たちはまずレイジの腕の治療を最優先に考える事にした。レナードに電話をして、「詳細は後日連絡する」とランファードに伝えて貰う事だけを頼んでおき、馬車に乗って一目散にフィリンダへ。夕暮れ時にフィリンダに戻り、すぐにアリスに魔術による治療をお願いしたわけだ。
その質問に対し、何度か左手を握り、開きと繰り返してからレイジは頷く。
「あぁ、怖いくらいにいつも通りだ。こうして助けて貰うのは、ソウルリーパー絡みの時以来か……感謝する」
「いえいえ、お役に立てて何よりですから」
そこまで一連の流れを見守っていたルイスも、漸く心から安堵出来たのか深く息を吐いた。
「……良かった。レイジが、無事に済んで。ありがと、アリス」
「本当に大した腕だね。その治癒能力、禁術と並べても見劣りしないじゃないか」
そう賛辞を送ったのは、ルイスの首に提げたペンダントに宿るサリーシャだった。実際に禁術の使い手という立場を担ってきた人の言葉だと重みが増すというか、説得力が凄まじい。まぁ、アリスの使う魔術の効果がそれだけ高いというのは俺も当然同意するけどな。
「……それにしても、良かったのか? あの時、『蠍』の所に向かった『百足』を止めずに済ませてしまったが」
レイジが呟いたその確認に、俺は小さな溜め息を吐いてから答えた。
「……正解かどうかなんて分からねぇよ。それどころか、普通に考えればあの時点で戻らなかったのは間違いだろうとさえ思えるけどさ。ただ──あの場、あの時に限っては。止める、って選択肢は違う気がした。正しい、正しくないじゃなく、違う。……理由としてはそれだけだから、真っ当な考えなんて無いけどな」
「そうか……まぁ、俺も特に反論は無い。そもそもの目的であるペンダント──サリーシャを奪還した時点で俺たちのやる事は終わっている。後は暗殺者の師弟同士の問題と考えるなら、こちらがあれ以上干渉するのも違うだろう……完全に腑に落ちるかと聞かれれば、それはそれで複雑ではあるが」
そう、つまりそういう事だ。後味が良いかと言われれば、全く良くない。嫌な苦味は残るが、そもそも暗殺者とこれ以上積極的に関わる事自体が得策ではない。……うん、本当に何というか、心境はとても複雑だけど。
「──えっと。その場にいなかった私が言うのも、おかしいかも知れないですけれど」
レイジもいるからか、遠慮がちに敬語でアリスが話し出す。ちなみに、フィルニアさんは既に肉屋へと帰っていった。何だかんだで、放置していたデルファンの事が心配だったらしい。
「きっと、全ての人にとっての最善を必ず手繰り寄せる事はとても難しい事だと思うんです。様々な偶然や幸運が重なって、それでも奇跡的な確率で辿り着く事が出来るかどうか、というくらいに。今回は、その奇跡的な理想を実現する事が出来なかった……それが、皆の心に引っ掛かっているんだと思うんです」
「……そう、だな。死蝿群の時は何もかもが上手くいったからこそ、今回の流れがより際立って失敗して見えるのもあると思う」
俺の言葉に頷いて、瞬きより少し長く目を閉じてから、アリスは改めて先を続ける。
「けれど、今この場に揃っているもの……それだけを見れば、私たちにとっては最善と言わずとも良い結果だと思うんです。色々な出来事が絡んでいた状況で、果たすべき事を果たす事が出来た──それは、充分に胸を張れると思うんです」
俺も、レイジも、ルイスも。沈黙を重ねながらお互いに何度か視線を交わして、少しだけ心が軽くなったように表情を和らげた。
「──あぁ、アリスの言う通りだ。ルイスからの依頼は果たしたし、騎士団の武器を横流ししていたルートも潰した。これからやるべき事も色々とあるけれど、ひとまずは全員お疲れ様って事で良さそうだな」
ルイスの村で起こった出来事もあり、何もかもを手放しに祝う事は出来ないが。少なくとも俺たちが関わった範囲内では、やれる事はやったのは間違いない。
そんな俺の意図にレイジも同調して、肩の力を抜くように息を吐く。
「そうだな。俺たちが介入した後、守ろうと思ったものは殆ど守る事が出来たのも確かだ。……オルフィ村で誰が関与し、何が起こったのか。それと、騎士団の武器が横流しされていた件に関しても、事の概要は明らかになっている。一応の解決と判断しても大丈夫だろう」
「──よぉし!! それならこの後は打ち上げだよなぁ!?」
突如、乱入してきた大音声。何事かと思い、家の中にいた全員が玄関を見てみれば。
左手でドアを開け、空いた右手をこちらにヒラヒラと振るフィルニアさんと。その隣で、ラップに包まれた特大の塊肉を両肩に担ぐデルファンが揃って笑顔を浮かべていた。
「打ち上げといえば肉だ! 疲れを癒すのも肉だ! 特にレイジ、腕は繋がっても血は足りてねぇだろ血が足りない時も勿論肉だ! つまり今のお前たちには圧倒的に肉が不足している、逆に言えば肉を食えば全て解決! さぁ肉を焼け、そして食え!! 勘違いするなよ、別に今日の売れ残りをお前たちに押し付けてるわけじゃないんだからな!!」
例え本当に在庫処分に利用するつもりが無かったとしても、その一言のせいで逆に疑いたくなってしまう余計な言葉を付け足すデルファン。それが見事に災いし、腿の裏にフィルニアさんのローキックが鋭い音を残して炸裂する。「おぐっふ」と低く唸り、その場にうずくまって蹴られた場所をケアしたい衝動を、両肩に肉を担いでいるが為に解消出来ずに頭から脂汗を流すデルファンをひとまず放置して、俺はフィルニアさんに状況の流れを聞く事にした。
「……フィルニアさん、もしかしてこの為に?」
「うん、そうだよぉ。打ち上げに使うお肉を用意する為にぃ、先に帰ったのぉ。皆の疲れが吹き飛ぶように、美味しいお肉を選んできたから安心してねぇ」
それはありがたい。ありがたいけれど、一応確認せねばなるまい。
「ちなみにこれ……」
「それも安心してぇ、お金は貰わないからぁ。我が家の晩ご飯を一緒に食べてるようなものだと思ってくれれば良いよぉ」
「あざぁっす!!」
最敬礼でフィルニアさんへの感謝を表す俺に対し、どうにかして足のダメージを逃がしたかったのか、深呼吸を繰り返していたデルファンが口角を引きつらせる。
「お、おいリュウト……その感謝、ちゃんと俺にも向けられてるんだよな?」
「あ? 向いてる向いてる。そういうの良いからさっさと肉を捌けよハゲデルファン」
「上等だテメェこの場で骨を除いた正味六〇キロの肉を増やしてやるからそこを動くな!!」
普段ならその啖呵に合わせて愛用の包丁でも取り出すのだろうけれど。肉屋として疎かに出来ないのか、両肩に担いだ肉を手放せずに威嚇する事しか出来ないデルファン。鎖で繋がれた犬が「おうやんのか、おぉん!?」と姿勢だけは臨戦態勢を取っているのに似ている。
「こらぁ、デルちゃん。メッ、だよぉ」
「いや、だって今のはリュウトの野郎が」
食い下がるデルファンに、フィルニアさんは笑顔と語気を強めて繰り返す。
「デ・ル・ちゃ・ん?」
「あっ、はい。すみませんでした」
有無を言わせず、とはこの事だろう。何か指示をされたわけでもないのにそのまま「キッチン、お借りします」と敬語で肉の調理を始める始末。……フィルニアさんがあの口調になって、それでもなお反論したらとても恐ろしい事になるんだろうな。それで何度か痛い目も見ているんだろうな。強く生きろ、デルファン。
*
それから、一週間が過ぎた頃。
ルイスの故郷──オルフィ村の小高い丘の上。俺とレイジはアリスとルイスが見守る中で、土を掘り起こしていた。
「……さて、と。レイジ、深さはこのくらいで良さそうか?」
「そうだな。ルイス、アリス。苗木を頼めるか」
レイジの呼び掛けに、二人は腰の高さ程度の苗木をそっと持ち上げて運び、俺たちが掘った穴の中心にそれを置く。苗木の周囲に適量の水を注ぎながら、掘った土で根の部分を埋め直していく。
「──これで良し、と」
手近な場所にスコップを浅く突き立て、額に薄く滲んだ汗を拭う。今は幼いこの苗木が、この場に相応しい姿になるのは何年後の事だろう。
それにしても、と。その苗木を挟んだ向こう側で俺と同じようにしているレイジに視線を移し、俺はしみじみと呟いた。
「マモリヤエザクラ、か。随分と粋な事を思い付いたじゃねえか。こっちで苗木を扱ってる場所があった事にも驚きだけどな」
「フィリンダに出入りしている商人にツテを辿って貰っただけだ。これだけ短期間で手に入ったのは運の賜物だろう」
そうかい、と返して、俺は改めてマモリヤエザクラの苗木を見る。この木が成長し、花を拝めるようになったら、その姿を見るのは一体いつ以来になるだろうか。恐らく、あの日を最後に見ていないから……もう一〇年以上も前になるのか。そんな風に考えていると、ふと何かを思い出したように顔を上げたレイジがポツリと呟く。
「そう言えば。リュウト、ついこの前が誕生日じゃなかったか?」
「え?」
その言葉に俺よりも早く反応したのはアリスだった。レイジを見て、そのまま俺へと視線を送って「そうなの?」と首を傾げる。
「……あ、言われてみればそうだな。七月一六日が誕生日で、今日が二一日──すっかり忘れてた」
確か、グランサスに戻ってレナードとランファードに経緯を説明したのが……一五日だったか。そこで、『蠍』と『百足』が地下水道で死亡していた事。『百足』の懐から一連の事件の顛末が書かれた書状が見付かり、被疑者死亡の状態ではあるが事実の把握は出来たって事を聞かされて、地下水道に花を手向けに行ったり。
それからも完全に暇になる日が特に無かったから、今の今まで自分の誕生日を忘れてた。と言うより、アリスが来るまで一人暮らしの状態だったから、尚更意識してなかったし。
「な……」
まるで、「ランファード陛下倒れる、スイカの食べ過ぎで腹を壊したか」という号外を見たかのような愕然とした表情を浮かべていたアリスが、早足で俺のほうへと近付いてくる。そして、俺の胸の辺りに両手をポフポフと叩き付けながら、今度はちょっと泣き出しそうになりながら叫ぶ。
「何でそういう重要な事を忘れてるのかなぁ!?」
「え。あの」
「祝いたかったのに! 楽しみにしてたのにー! 忘れてて通り過ぎたってあんまりだよ!?」
「あ、えっと。すみません……」
そうだね。そんな思考回路もあって、アリスと誕生日の話とか全然してなかったわ。というかアリスの誕生日も知らなかったわ。これはやってしまってるわ。
そのまま自己猛省を始めそうになる俺の手を取って、アリスが決意を固めた顔で言い切った。
「──帰って即、お祝いするから。食べきれないくらいご馳走作るし、ケーキも作るし! レイジさんとルイスちゃんも参加で!」
急に話を振られた二人だが、レイジはここまでの流れでそうなる事を予期していたように諦めを含んだ頷きを返し。ルイスに関しては……うん、ただ流れに乗っかっただけだね。特に異議なしの構えだね。拒否する理由も無いから頷いてるね。
「あー……じゃあ、うん。よろしく」
「うんっ!」
最後に、この場所に眠るオルフィ村の人々に黙祷をし。俺たちは、フィリンダに戻るべく村の入り口に待たせている馬車へと歩き出した。
こうして──騎士団の武器の不正流出と、ルイス・フラッドライアのペンダントを巡る一連の事件は、一応の終結を迎えた。




