グランサスの「王」(2)
「──厳密に言えば、そのままでは残していません。鎧に関しては、既に入念な洗浄処理を施してあります。そのままにしておくのは流石に危険でしたから」
場所を夢之國工業の一角に移し、俺はレナードの答えを聞きながら通路を歩いていた。地下区画を幾つか通過したらしいが、俺からすれば既に東西南北の感覚も失って久しい。
……因みに『匿名情報』に一緒に来るかを確認したら、「お気遣いなく。必要があれば勝手に拝見しますので」と言われた。どうやって、とは妙に怖くて聞けなかったので、「え? ……あぁ、そう」とだけ返して今に至る。
「つまり、腐溶病のウイルスは残ってない……って、わけでもなさそうだな。だとしたら、どう見てもセキュリティが厳重そうな場所を歩いている意味が無いし」
「流石に鋭いですね」
笑いながら、レナードは何枚目だか分からない扉の横に備えられた認証画面に自身の社員証をかざす。電子音が響いた後、自動で開いた扉をレナードと俺が潜った直後、再びの電子音の後に扉が閉まる。
「……本当さ、この会社何なの? 『喪われた筈の遺産』でも使ってんのか?」
──『喪われた筈の遺産』とは、この星がヴァルヘイルと呼ばれる前に存在した時代に存在した技術・建造物・兵器を指す言葉だ。
発見しても殆ど理解出来ず、もしも奇跡的に使う事が出来たとしても、内部の精密な解析や量産は不可能と言われている、行き過ぎた文明の残滓だ。例えば、レイジの持つ魔導双銃・狼皇や、七聖剣第一位・ウェルドールが持つ剣、鋭究不滅。そして──俺の鈍鉄と、その本質である断鉄のような。
「すみません、幾らリュウトさんが相手でもそこは企業秘密です」
「……それ、殆ど答えみたいなもんだろ」
企業秘密という返答自体、俺の推測を否定した事にはなっていない。されている側が言うのも何だが、俺を信頼し過ぎじゃなかろうか。
「……まぁ良いや。それで、結局どこに向かってるんだ?」
「確かに、鎧には入念な洗浄処理を施しました。ですが、腐溶病のウイルスは貴重ですからね。ただ洗い流してしまうのは勿体無いと思いまして」
「……まさかとは思うけど、化学兵器に手を出す計画だったりしないよな?」
「まさか。短期的な利益には繋がりますが、人を減らす一方の代物はやがて使い道が無くなりますから。救う方が長期的に考えて合理的です」
「……そこで損得勘定を持ち出すなよ。ちょっと怖いだろ」
「すみません、悪い癖です」
そう言ってレナードは笑うが、流石に本気で利益だけを考えて判断しているわけじゃないだろう。……多分。きっと。
「……と、ともかく。レナードが考えているのは救う方なわけだよな」
「えぇ。腐溶病に対するワクチンが作れれば。それを充分な量、各地に備蓄しておけるようになれば。生存者にゼロ以外を書き込めるようになるかも知れませんから」
「……今更だけど、夢之國工業って何でもありだよな。よく見たら、この携帯電話だってこの会社で作った物だし」
そう。レナードに報酬として渡され、俺が使っている携帯電話も、夢之國工業が作った製品だったのだ。それならそれで、通話料金をどうにか出来る理由も分かるが。
どれだけ手広い商売だ、という意図を含んだ俺の言葉に、レナードは振り返って微笑む。
「当然です。夢之國工業は決まった物を作るのではなく、誰かの夢を形にする場所ですから」
「……流石レナード。清々しいまでにカリスマ性が溢れ出てるな」
俺が賛辞を送ると、レナードは「ありがとうございます」と素直に受け取って通路の角を曲がる。その先に見えた扉を社員証で開くと、もう一枚の扉とで仕切られた小さな空間があった。その場所で簡単な衛生処理を済ませて、手袋とマスクを着用してから奥の部屋に入ると、そこでは俺達が着けた手袋とマスクに、白衣も追加した研究員が何十人と動いていた。
「初期段階の洗浄処理で確保した腐溶病のウイルスは、この場所で慎重に保管・研究しています──それで、リュウトさんが試したい事とは?」
「あぁ。もしかしたら、レナードにとっても役に立つかも知れない事なんだけど」
そんな前置きと共に、俺は持ち込んでいた袋から複数の瓶を取り出す。その中を満たしているのは、様々な種類の酒だ。
「コイツに対して、腐溶病のウイルスがどんな反応をするのか確かめてくれないか。自分の命を顧みなかったどっかの馬鹿が、これからも呑んだくれ続ける為に」
「──至急、取り掛かりましょう」
表情を真剣な物に切り替えたレナードが、最も近くに居た研究員を呼び止めた。
「腐溶病ウイルスの七番サンプルが、最も活動が活発だったね? 可能な限り数を均等にして五等分してくれないか。それと、それぞれのウイルスの数の推移をリアルタイムで測定する準備を」
「分かりました。総員で準備します」
レナードの指示に一つの疑問も挟まずに従う研究員。しかし、そのやり取りに強制的な感情や威圧感、恐怖心は感じない。あくまで、研究員がしっかりとレナードの言葉に同意した上で作業が進んでいる。
「さて。それでは、準備が終わるまでに聞かせてくれますか? 何故この実験をしようと思い至ったのか」
「あぁ、分かった」
そうして俺は、レナードに今回の話を持ち掛けた経緯を一通り説明した。何度か頷きながら話を聞き終えたレナードは、「成る程」と呟いて完全に納得したように微笑んだ。
「そういう事であれば、やはり私が──夢之國工業が協力を惜しむ理由はありません。全力で臨みましょう」
ありがとう、と呟いて、俺は検証実験の準備の様子を眺めた。完全防備の研究員が、フラスコからスポイトで吸い上げた液体をシャーレに移している。
「……あれが腐溶病のウイルスなのか? 普通の器具に見えるけど、溶けずに済むんだな」
「それに関しては、我々も解明出来ていません。ですが、どうやら……ウイルス自体が、触れている物が生物か否かを判断している節があるようでして」
「マジか? あぁ、でも……食えない物は食いたくないって事なのか?」
プラスチックや塩化ビニルを摂取して、死蝿群が腹を壊すとは思えないが。食べる必要が無い物を食べようとは思わないだろう。そう考えれば、腐溶病のウイルスにそういった選別機能を与えていても不思議じゃない。
俺の思い付きにも似たその呟きに、レナードは「成る程、純粋な食欲に基づいた合理的な取捨選択。その視点から考えた事はありませんでしたね」と感心したように俺を見ている。……いや、その言い方だと、食べる側からの意見が真っ先に出てくる辺り俺が食欲全開で生きてるみたいじゃん? 心外だよ?
「社長。準備、整いました」
そんな俺の心理状態を一切気にせず、検証実験の準備が終わったらしい。その前にレナードから見た俺の印象を検証したかったが、まぁそれは今じゃなくても聞けるかと考え直して、本題へと気持ちを切り替える。
「確かめたいのは、腐溶病のウイルスに対して有効に作用するのがアルコールなのか、それ以外の要素なのか。だから数種類の酒と、ミッドが一番多く摂取しているワインと比較する為に葡萄ジュースを用意した。検証方法は専門家に任せる……よろしく頼む」
「分かりました。これより検証実験を始めます」
俺の手から袋を預かり、研究員はそれぞれのシャーレにワイン、蒸留酒、ビール、米を使った吟醸酒、そして葡萄ジュースを同量ずつスポイトで滴下する。
「顕微鏡から取得した映像データを正面モニターに転送し、経過状況をモニタリングします。ここからは時間を掛けるしか無いですね」
「まぁ、焦っても仕方無いしな。俺は門外漢だし、全面的に信じて任せるよ」
俺に「任せてください」とマスクの下で笑い、研究員は正面モニターに向き直った。俺もとりあえず映像を眺めてみる。大画面を六分割し、その内の五つにA・B・C・D・Eとアルファベットが振られ、それぞれの画面に腐溶病のウイルスらしき円形の物体が無数に浮かんでいる。
「……そう言えば、さっきの液体全部がウイルスってわけじゃないよな?」
「あれは人工血液ですよ。化学的に調合された、血液に酷似した成分を持つ液体です」
「そんなのがあるのか」
腐溶病にウイルスが最も活発に動くのは血液の中。しかし、本物の血液を継続して使うのは難しい。だから、血液に似せた液体の中で活動を観察するらしい。
「成る程な。そういう工夫があるから、ああやって本来の状態に近い動きが……」
ちょっと分かったふりをしてコメントしようとした俺の口が途中で止まる。それに首を傾げたレナードも、モニターを見て動きを止めた。元々モニターを注視していた筈の研究員達も、例外無く絶句していた。
全員の視線が注がれているのは、アルファベットのAが振られた画面。顕微鏡が捉えている範囲の中に、都合二〇弱のウイルスが映っている。
その内の一つが、急速に縮んだかと思った次の瞬間に破裂したのだ。そして数秒の間を置いて、少し離れた位置のウイルスが同じように破裂する。
もう一つ、もう一つ。そうなるまでの時間に僅かな差異はあるが、確実に数を減らしていく。
「──っ! 各員、状況の把握を!」
真っ先に我に返ったレナードの指示で、唖然としていた研究員が慌てて動き出す。その中で、何が起こっているのか理解しきれない俺は、モニターに映る事態を眺めたままでレナードに問い掛ける。
「……レナード。今、何がどうなってる?」
「Aのシャーレ──ワインを滴下した腐溶病のウイルスが、消滅を始めているようです」
「つまり……ワインの成分が、腐溶病のウイルスに何らかの作用を及ぼしているって事か?」
「詳しい事はこれから調べる必要があるかと。しかし、決定的な何かを掴んだのは間違い無いでしょう」
「て、事は。見舞いのワインを飲み荒らしてるミッドは……」
「えぇ、そうです」
俺が言い切るより先に、レナードから肯定の言葉が出る。そこで漸く視線を合わせた俺が確認したかった事を、レナードは先回りして笑顔で答えた。
「ミッドさんは、ただいつも通りに過ごしていただけでしょう。しかしそれが、他でもない腐溶病への対抗手段として機能していたわけです」
*
「──結論から言えば。葡萄由来のポリフェノールとアルコールの両方が、腐溶病のウイルスへの若干の対抗作用を持っているようです。片方だけでは決定的な力は持っていませんが、二つを同時に摂取した場合、相乗効果によって効能が数十倍にも増大し、ウイルスを撃破するに足る力を得る……との事ですな」
「うーん。随分と嬉しいご都合主義だね」
夢之國工業の地下で行われた検証実験。その最終的な結果を話しているのは、研究員とレナード……ではない。
場所は、夜を迎えたグランサス・竜鱗城の最上階。話す二人は、『匿名情報』と金髪青眼の男だ。
「それで、ミッドは助かりそうなのかな」
「医者のお墨付きという事で、これまで以上の勢いでワインを樽飲みしているそうです。相手が死蝿群の王から放出された高濃度のウイルスと言えど、あの物量には抗えないかと」
「……樽飲みという言葉は初耳だが、それは何よりだ。ミッドを失うのはグランサスにとっての損失だからね」
男の言葉が大袈裟に聞こえるかも知れないが、あながち間違ってはいない。ミッドは元突撃隊長としての優れた戦闘能力のみならず、その大雑把だが憎めない人格によって住民からも愛着と信頼を得ている。ミッドに届いた見舞いの品、全体の実に八割が住民からの物だと言えばその度合いを分かっていただけるだろうか。




