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後悔先に立たず

物語の設定上、様々な死に方を示唆する表現、描写がございます。

ご了承の上お読みいただけますと幸いです。

少女の眼前には辺り一面を覆い尽くす彼岸花と、緩やかに流れる水面(みなも)が広がっている。

10歳に満たないだろうか。幼い容姿の少女はキョロキョロと辺りを見回す。その動きに合わせ、高めに二つに結わえた黒髪がサラサラと揺れた。


気がついたらこの場所に立っていた。自分が何者かは判る。が、何故こんな所に居るのかは思い出せない。


うーん、と思案する少女の視界の端に、黒い何かがチラリと映る。目線をやると、いつの間にか真っ黒なアゲハ蝶が少女の頭上を飛んでいた。

彼岸花の赤い海原と、日が差していないにも関わらず不思議と明るい空との間を、ヒラリヒラリと不規則に、しかし、確実に少女を中心に円を描くように羽ばたいている。

幻想的だな、と思うと同時に少しの薄気味悪さを感じながら、少女はその光景をぼんやりと眺めていた。


『シャラン、シャラン』


ふと、金属の重なり合う音色が響いた。少女はハッと辺りを見回し、杖を突きこちらに向かってくる人影を捉えた。

長い杖の先端に複数の金属の輪が付いている。お坊さんが持っているのを見た事がある、確か錫杖と言っただろうか。

少女がそんな事を考えていると、近づいてくる人物がはっきりと見えるようになった。


立ち襟の白いフリルブラウスに黒い着物、蝶柄の赤い袴、黒のブーツ。彼岸花を模った簪で黒髪をまとめた、色白の女が少女の目の前で立ち止まる。

すると、今まで少女の頭上を飛んでいた蝶が、今度は女の元へ向かい袴に留まった。ご苦労さま、と女が言葉をかけると、蝶は染み込むように溶けていき、やがて袴の柄の一部となった。


不可思議な光景を静かに見ていた少女は、ふと、女の着物に違和感を覚えた。

着物の合わせが、左前である。なぜ死装束の着方を……。


「ご機嫌よう。そして、この度はご愁傷さまです。私(わたくし)はこの彼岸へ迷い込まれた亡者の皆様をご案内する、案内人にございます。」


少女の戸惑う様子など気にも留めず、女は微笑みを浮かべ自身を『案内人』と名乗った。


ご愁傷、彼岸、亡者。――女の言葉を反芻し、少女は

少しずつ思い出し、理解した。自分が何をしたのか、なぜこの場所に居るのか。

ああ、と悟ったように感嘆の声を漏らし、少女は呟く。


「アタシ、死ねたんだ。」



* * * * * * * * * * *



「あの……、いくつかお聞きしても、よろしいですか。」


幼い見た目に反し、少女は大人びた丁寧な言葉遣いで尋ねた。


「私でよろしければ、何なりと。」


女、もとい案内人もまた丁寧な口調で応える。口元は弧を描いているが、細められた黒い瞳の奥にはどこか冷淡さを感じる。

訝しく思いつつも、少女は意を決して口を開いた。


「彼岸ってあの世のことですよね。アタシ、死んだんですか。」

「はい。あなた様は自ら命を絶ち、そして身体(からだ)から抜けた魂、亡者としてこちらへいらっしゃいました。」


案内人の言葉に、少女は目を見張る。


「……なんで、アタシが自殺したって…。」

「首の縄の痕は自死した者の証。自省せよ、と十王様方より与えられる戒めでございます。」


そう案内人に言われ、少女は無意識に自身の首に触れる。

十王とは、死後の世界における十人の裁判官だと本で読んだことがある。そんな人(?)達から自殺の戒めに痕を付けられたという。でも、死んだことを反省しろと言われても……。いや、考えるのは後にしよう。まずは現状把握だ。

そう自身に言い聞かせ、少女は改めて目の前の案内人へ視線を向ける。


「とりあえず、ここが死後の世界ならあれは三途の川ってやつですか。渡った方が良いんですか。」


水面を指差し少女は言う。湖かと思っていたそれは、対岸が見えない程の大きな川であった。

この世とあの世を隔てる三途の川であれば、死者となった少女は渡らなければならない、はずだった。


「その必要はございません。」


案内人は即座に言い放った。

え、とたじろぐ少女に、案内人は続けて説明を付け加える。


「本来であれば、亡くなられた方々は死後七日目にこの世側の川岸、此岸に送られるため、三途の川を渡りこの彼岸へ辿り着く必要がございます。しかし何らかの理由で、稀に亡くなった直後に彼岸へ来てしまう方がいらっしゃいます。そのような方々は既に川を渡ったものと見做され、そのまま冥土の旅路へと向かっていただきます。」

「つまり、今彼岸に居るアタシはそもそも川を渡らなくて良いと。」

「その通りでございます。ご理解が早く大変有り難く存じます。」


なるほど、と一旦理解した少女だが、すぐに新たな疑問が生まれた。


「冥土の旅路と言われても、道がわからないですが……。」

「そのための私でございます。」


案内人は改めて佇まいを整えると、再び少女にニコッと笑いかける。


「突然彼岸に降り立ち、途方に暮れる亡者の皆様を正しい旅路へとご案内する。それが、私『彼岸の案内人』の勤めにございます。」



* * * * * * * * * * *



「そういえば、アタシ高校生なんですけど、なんでこんな子供になってるんですか。」


案内人と歩きながら、少女は疑問を口にした。

歩みに合わせ一定のリズムを刻みながら、案内人の錫杖が心地良い音を奏でている。彼岸花が咲き誇る道無き道を進んでいるが、不思議と歩きにくさはない。彼岸花たちがこちらを避け、道を開けてくれているようにすら感じる。


「魂に決まった形は無く、様々な要因で都度変化致しますが、亡くなった直後の魂は "人生で一番幸せであった" と思うその時の身体を模るそうです。きっと、今のあなた様にとっては幼少の頃が一番幸せだったのでしょう。」


案内人からの返答に、少女は納得したように苦笑する。


この姿は、おそらく小学校低学年頃の自分だ。まだ父が生きており、専業主婦の母と自分の三人で暮らしていた。確かに、何の苦しみも無く、楽しく日々は過ぎていくものと信じていた頃だ。


「何か、現世に心残りがございますか。」


浮かない顔に見えたのか、今度は案内人が少女に質問を投げかける。

少女は少し目を見開き、だがすぐに冷ややかに笑い答えた。


「無いですね。アタシは死んでも良い存在だったので。」


父が交通事故で亡くなってから、人生は一変した。

家を売り、母と共に安いアパート暮しになった。後から、父を轢き殺した相手が無保険で、満足な賠償を得られなかったと知った。

私立から公立の小学校に転校すると、瞬く間にいじめの対象となり、それは中学でも変わらなかった。休みなく働く母に心配をかけまいと意地で学校に通った。

猛勉強の末受かった遠くの高校は、皆塾に通うのが当たり前ですぐに授業に着いて行けなくなった。いじめられはしなかったものの、頭も悪い、流行りに疎く話も合わない自分は、次第に周囲から距離を置かれ孤立していった。

生活の足しにしようと母と学校に黙ってアルバイトを始めたが、さらに成績が下がりバレて辞めさせられた。母は学校に頭を下げ、もっと頑張って働くからと泣いた。身だしなみを整え、いつも笑顔でいた綺麗なあの頃の母の姿は見る影も無かった。最後に交わした会話は、就職すると言った自分に、勉強して大学に行けと言う母との喧嘩の言葉になった。


自分の所為で、母はこの先もずっと苦労するのだろう。自分が居なくなれば、母は自由に楽に生きられる。誰も心配しない。生きる意味も、存在する価値も、居場所も、何も、無い。

――気がつくと、電車が向かってくる線路に身を投げていた。



* * * * * * * * * * *



ぽん、と肩に手を置かれ、少女はビクッと肩を揺らし顔を上げる。

いつの間にか物思いにふけっていたらしい。案内人が顔を覗き込んでいた。


「あ、すみません。ちょっと、色々思いだ」

「声が聞こえますよ。」

「……へ?」


急ぎ謝罪を述べようとした少女の言葉を遮り、案内人は人差し指を口に当て静かにするよう促す。

思わず間抜けな声が出てしまった少女だが、言われた通り耳を澄ますと、確かに、声のような音が微かに聞こえる。


「あなた様への強い想いが、ここまで届いたようですね。」


そう言うと案内人は川岸へ向かい、持っていた錫杖の棒先で水面を一度弾いた。川の流れに逆らいながら幾重にも波紋が広がっていき、次第にどこかの一室の風景が浮かび上がる。

映し出されたものを見て、少女は愕然とした。目を瞑りベッドに横たわる若い女性は、紛れもない少女自身であった。その横で白髪混じりの中年の女性、少女の母が遺体に縋り付くように泣き崩れている。

微かに聞こえていた音が、今は何かはっきりと認識できる。母が、娘の名前を泣き叫びながら呼び続けている、悲痛の声。


「おかあ、さん……?」


少女の声は震えていた。

母を助けたかった。苦しい人生から解放してあげたかった。疲れた表情ではなく、ただ笑って欲しかった。なのに、なぜ母は辛そうに泣いているのだろうか。こんな、こんなはずでは……。


「死んで、良かったですか?」


案内人は淡々と少女に問いかける。落ち着いた声色も、笑みを浮かべた表情も、先程と一切変わらない。同情でも叱責でも無い、ただただ純粋な問いであった。

その問いには答えず、少女はゆっくりと案内人の方へ振り返り、虚ろな目で尋ねた。


「どうやったら、アタシは生き返れますか。」

「……此岸に魂があれば身体に戻ることも可能でしょうが、あなた様は」


案内人が話終える前に、少女は勢いよく川に飛び込んだ。



* * * * * * * * * * *



どのくらい泳いでいるだろうか。母にごめんねと、もう泣かないでと伝えなければ。


緩やかに流れていたはずの川は、まるで逃すまいと言うかのように荒波を立て少女を襲う。

既に数時間過ぎたのか、まだ数分なのかも分からぬまま、それでも対岸を目指し少女は必死にもがき泳ぐ。


しばらくすると、指先に何かが触れた。いつの間にか浅瀬に近づいており、荒れていた波も治まっていた。

やっと此岸に辿り着けた。そう思い、少女は急いで水面から顔を出し目元を拭うと、安堵の表情を浮かべ目を開いた。


「気が済みましたか?」


――笑みを浮かべた案内人が、目の前に居た。


「……な、んで……ここ、は」


状況を飲み込めず、呆然としながらも少女はなんとか言葉を絞り出す。


「彼岸でございます。お帰りなさいませ。」

「…………は?」

「このまま川に浸かっていても致し方ありません。まずはお上がりくださいませ。」


案内人に腕を引かれ、少女はされるがまま岸に上がる。放心状態の少女を意に介さず、案内人は笑顔のまま話し始める。


「ご説明が途中でしたね。あなた様は既に彼岸にいらっしゃるので、身体に戻ることは不可能です。そもそも、此岸から彼岸に渡ることは出来ても、自力で彼岸から此岸に戻ることはできないのです。亡くなられた直後に彼岸へ来てしまった皆様が、本来行うはずの川渡りを免除されるのはその為でございます。」


頭が、言葉を理解することを拒んでいる。心が、受け入れたくないと叫んでいる。

少女は身じろぎもせず、ぼんやりと、川に映された母の姿を思い出していた。


そういえば、泣き崩れる母の足元に小さな紙袋が落ちていた。同級生たちの話題に出ていたコスメブランドのロゴが付いたものだ。少しでもクラスの輪に入れないかと、話のきっかけになればと、そのブランドの化粧品を母に買ってほしいと頼んだことがある。

ああ、そうか。もうすぐ自分の誕生日だった。その時は化粧なんてと断られたが、母はその事を覚えていたのだろう。母自身が使う化粧品よりもかなり高価な物を、こんな親不孝者のために。自分なんかのために。


お母さんは、ずっと、ずっと、アタシの幸せを考えて、愛してくれていたのに……!


――彼岸に、少女の慟哭が響く。

絶望、懺悔、幸甚、謝罪。言葉にならない様々な想いが涙として溢れ出す。いつの間にか、少女は亡くなった時の制服姿に変化していた。それは、母の想いを受け取り、幸せを感じることが出来たなによりの証であった。

案内人はただ静かに少女を眺めている。先程までの笑みは無く、その表情から何を思っているのか読み取ることは出来ない。労ることも励ますこともせず、少女が落ち着きを取り戻すまで何も言わずに佇んでいた。



* * * * * * * * * * *



「おや、痣が消えましたね。」


泣き止んだ少女に手を差し伸べながら、案内人は笑顔で告げた。少女はその手を取りゆっくりと立ち上がる。自分からは見えないので確認の仕様がないが、おそらく十王が付けたという首の縄痕のことだろう。


「痣って消えるんですか。」

「戒めとして残す必要が無くなれば自然と消えます。あなた様がご自身の死に向き合い、母君の御心を慮ることが出来たからでしょう。」


優しげな声色に意表を突かれ、少女はじっと案内人を見つめる。自身の目線が高くなり、今までよりも案内人の顔を真正面から捉えることが出来た。案内人もまた、真正面から少女としっかり目線を合わせる。


「この死後の世界において殺生は最大の罪とされておりますが、自殺は罪と見做されません。悩み苦しみぬいた末の『自らの命を奪う』という選択に、十王様方が罰を与えることはございません。しかし、決して良しとはされておりません。自死した者は冥土の旅路の間、自身が望んだ死を振り返り、現世に残された者たちを想い、その悲しみを受けとめることで救われるのです。自戒出来なければずっと苦しむことになりますが……今のあなた様であれば、もうご心配は無用ですね。」

「……はい。」


少女は強く頷く。もう母の悲しみを拭う術はない。それならばせめて、母から貰った愛情を背負って、母の幸せを願って歩いていこう。

案内人は相変わらず本心が読めない微笑みを浮かべている。が、少なくともその顔に冷たさは感じられない。


「もう少し歩けば他の亡者の皆様と合流できます。参りましょう。」


シャラン、と錫杖を鳴らしながら案内人は歩きだす。少女もその後ろに着いて歩きだす。

辺りには彼岸花の間を縫うように歩く二人の足音と、川のせせらぎだけが聞こえていた。



『後悔先に立たず』 終


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