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朝になると部屋の扉を侍女がノックした。返事をすると、朝の支度の手伝いをしてくれる。どうやって用意したのか、絵麻に合うサイズのドレスや靴が準備されており、それを身につけることになった。
基本的な行動をヴィザールと行うことになっているらしく、準備を終えた絵麻の部屋をヴィザールが迎えにきた。それが国王の言う「害がないか確かめる」と言うことらしい。
「目が赤いな」
無神経な男だなと思う。ただ事実を指摘されただけだが、絵麻の感情は逆立った。
「ちょっと眠れなかったので」
我ながら刺々しい返答だったと思う。だが、それはヴィザールの言葉が悪いのだと絵麻は思う。しかしこの無神経な男に世話にならないと、ここでまともに暮らせないと言うことを考えると、本来はそんな受け答えではダメなのだと思う。
だが、深夜に自分を襲った不安や恐怖が絵麻をまだ支配している。この精神状態では、正直まともに対応できないが、絵麻の社会人としてのプライドがどうにか普通の状態であると見せようとする。
ヴィザールは特に何も言わなかった。
この客間が並ぶ場所に、客人用の食堂があるらしい。現在この場所を使っているのは、ヴィザールと絵麻だけのようで、侍女たち以外の姿はない。
「どんなものが口に合うかわからないから、いろんな国の料理を少しずつ出してもらっている」
ヴィザールと絵麻は長い食卓の両端に座ることになった。絵麻の方には、たくさんの皿が並べられているが、ヴィザールの方には、水の入ったグラス、パンや卵、ハムのようなものが乗ったプレートだけが置かれていた。
「食べられるものを伝えれば、今後はそれに合わせて出してくれる。この世界には、食物によって皮膚への異常や、発作を起こすことがある」
所謂食物アレルギーのことだろうか。基本的に絵麻自身には食物アレルギーはないが、この世界の食べ物が元の世界と同じとは限らない。慎重に食べたほうがいいのかもしれない。
そう思いながら、絵麻は急激な喉の渇きを覚え、水が入ったグラスを手に取った。実際に飲むと、それはただの水ではなく、果実水のようでほんのり甘い味がした。
「美味しい」
思わず声が出た。少し酸味のある柑橘系の味がして、すっきりとした味わいだった。
いくつかの料理に少しずつ手を出して行く。特にこれといってすぐに反応するものはなかった。そして、味も苦手だと感じるようなものもなく、普通に美味しい。ただ、特徴としてトマトと豆料理っぽいものが多いように感じた。
パンはふっくらとした丸いもので、見た目としてはナンのようだったが、中は空洞で何か挟んで食べるのが向いていそうなものだった。思っている感じとは違うが、あっさりしていて美味しい。
「ある程度なんでも食べれそうだな」
絵麻が食べている様子を見てヴィザールがそう言った。実際思っていたより食に困ることは無さそうだと絵麻も思った。それが全てではないが食が合う合わないはかなり精神的な負担が違う。
「ねぇ、本当に帰る方法はないの?」
絵麻は食べながら聞いてみることにした。そんなに簡単に諦めるわけにはいかない。この国の王は、ヴィザールの方が詳しいと言っていた。たしかに昨日聞いた職業的には、彼が専門なのだろうという気がした。
「一度言った通り簡単な話じゃない。帰れることは期待しない方がいい」
ヴィザールの言葉は絵麻にとってはとても冷たいものだった。
「あなた優秀な魔法士なんでしょ?どうにかできないの?」
「自分で言うのもなんだが、この世界で私以上の魔法士はいない」
自画自賛ですか。
心の中でそんなツッコミをしてしまうが、今はそんなことをしている場合ではない。
「じゃあなんとかなるんじゃないの」
そう言ってみたが、自分でもなんとなく感じていた。これだけ自信家の彼が、期待するなと言うのだ。案の定ヴィザールは首を横に振った。
「貴女が来てからずっと知っている魔法書の内容を思い出しているが、異世界に戻すようなことを書かれたものがない」
ずっと考えてくれてたんだ。
意外な言葉に絵麻はこの魔法士を信用してもいいのかもと少し思えた。ヴィザールは絵麻を見据えると、真剣な表情を見せた。
「諦めは、早い方がいい」
その言葉は何故か非常に重く、絵麻はすぐに何かを言い返すことができなかった。
「でも、そんなに簡単に諦められないわよ」
「その気持ちはわからないでもないが、できないものはできない。どれだけ世界を巡ろうとも」
「まだ巡ってないけど」
絵麻の言葉にヴィザールは答えなかった。
黙って朝食の続きを食べ始めたヴィザールに、絵麻も同じように残っている食事を取るしか無かった。
朝食を終えるとヴィザールは絵麻に城内を案内すると言った。しばらくこの城に世話にならざるを得ないため、絵麻も了承した。
城内を歩くと、ようやく外の景色が見えて来る。窓の外から暑い風が絵麻の頬を撫で、それはここが少なくとも日本ではなく、異国の場所であると示した。
目の前に広がるのはどこまでも続く砂漠の大地だった。絵麻は思わず見えた窓に歩み寄る。まるでテレビか何かで見るようなその景色に、心を奪われる。さらに城下に近い場所には、異国情緒溢れる街並みが見えていた。色とりどりの布地が張られ、その下では野菜や果物が売られているように見える。行き交う人々の姿も、日本とは違う。今絵麻が着せられている薄い布をいくつも使ったような服であり、現代の日本とは明らかに異なる。
魅力的な景色ではあったが、同時に絶望の波が押し寄せる。
日本じゃないけど、きっと、私の知っている世界のどこでもない。
直感的にそう感じた。ここは絵麻の知る世界ではないと。砂漠を持つ国はたくさんあれど、少なくとも絵麻の知るような文明ではないことが見て取れた。
ぐにゃりと視界が歪む。
倒れそうになる絵麻をヴィザールが支えた。こうなることを予測していたのかもしれない。
「この国はここの世界の中では暮らしやすい場所だ。治安もそれほど悪くない」
ヴィザールとしては最大限の慰めだったのかもしれないが、絵麻には何も響かなかった。どんな多くの言葉や説明よりも目に映る景色の方が遥かに全てを物語る。
あぁ、私、異世界に来たんだ。
絵麻は今初めて、自分の状況を理解した。
いつの間にか流れ始めた涙にすら気づかず、絵麻はその場に立っていることもできなくなった。
ヴィザールは絵麻を支えながらそっと息を吐く。
(危険がないのは明らかだ)
窓の景色を見て、泣き崩れた彼女をなんとも言えない気分でヴィザールは見つめた。国王から依頼された件は、これで解決したと言える。自分の依頼された内容としては終わっても問題ないはずだ。
ヴィザールはわざとこの場所を通ることを選んだ。外をみた方が現実味がある。城内の建物だけでは、感じないことを外の景色が見せるだろうと。そう踏んだのだが、思った通りのことが起きた。
申し訳ないと思うが、現実を受け入れられなければ先に進めない。それをヴィザールはよく知っている。受け入れることが遅れれば遅れるほど、生き方を誤り、傷つくのは自分自身だ。
自分の中の過去が引き摺り出され、その反動でヴィザールは胃の奥から吐き気が来るのを感じ、それをなんとか我慢する。
支えてる彼女を見て、自分の境遇と重なる部分があり、ヴィザールは開きかける記憶の箱を必死で押さえ込んだ。
思い出したくもない。
もう遠に諦めたのだ。どうにもならないのだと。
ただ、自分は惰性で生きる、それだけなのだと。
(早くここから出なければ)
ヴィザールの焦燥感が強くなるばかりだった。
ただ、泣き崩れた彼女を放っておくこともできず、ヴィザールは彼女を抱き上げて歩き出した。
***
1週間ほど絵麻はぼんやりとした状態で過ごしていた。一日中部屋で過ごしたり、少しだけ城の中を歩いたり。食事をヴィザールと取ることもあったが、2人にほぼ会話らしい会話はなかった。
しかし、今日は絵麻が唐突に口を開いた。
「ねぇ」
その顔は最初に来た頃より、ずいぶん細っそりとしてしまっていた。食事も喉を通らないのか、量はかなり少なくなっていたのだ。
「私、ここで生きていける?」
絵麻の瞳にはまた光が宿り始めていた。そんな様子の絵麻の質問に、ヴィザールは頷いてみせる。
「あぁ、大丈夫だ」
絵麻の中でヴィザールは嘘は吐かないという気がしていた。元に戻ることは無理だと彼は言ったのだ。諦めた方がいいと。
その彼が大丈夫だと深く頷いた。
絵麻はその答えを信じたかった。心の中でその言葉を反芻し、絵麻は決意する。
どれだけ沈んだって、仕方ない。悲しい、寂しいと嘆いたところで何も変わらない。ここで生きていくしかないなら、どうせなら楽しく生きたい。
何かをするならどうせなら楽しみたい。長い時間をここで過ごすしかないなら、楽しまなければ意味がない。
強い意志を示した絵麻に、ヴィザールがはっきりと微笑んだ。その穏やかで優しい微笑みに絵麻の方が驚いて、困惑する。
「な、何?」
「いや、エマは強いな」
ヴィザールは首を横に振ったが、笑顔のままだった。
「ど、どう言う意味?」
「そのままだ。もっと時間がかかると思っていたんだが、まさか1週間で立ち直るなんて」
そう言われて思わず絵麻は眉を寄せた。
「バカにしてる?」
「いや、尊敬する」
笑いながらそう言ったヴィザール。
「絶対バカにしてるでしょ?!」
「してない」
そう言ってまた笑ったヴィザールはまるで少年のように見えた。
しばらく笑っていたヴィザールが落ち着いたところで、絵麻は口を開く。
「私ちゃんとこの国、ううん、この世界のこと知りたいから、協力してくれる?」
「あぁ、エマがこの国で生きていけるようになるまで協力する」
絵麻の問いにヴィザールはあっさりと頷いた。
「……、良いの?この国を出る予定だったんじゃ?」
「それについては延期した。荷物も紐解いて、全部戻している。第一王女の体調が思わしくない。しばらく交代もできそうもないんだ」
ヴィザールも第一王女さえ体調が良くなれば、絵麻のことは彼女に任せればいいと思っていた。彼女は歳の割に面倒見が非常に良い。女性同士の方が何かと生活に関することを教えてもらうにしても良いのではないかと考えた。
しかし、残念ながら1週間が経っても王女の体調は良くならず、ヴィザールすら面会することすら叶わなかった。
(何かを隠されている気がする)
ヴィザールはそう感じていたが、相手はこの国の王族だ。勝手にどうこうできない。ヴィザールは魔法士ではあるが、医師ではない。体調が悪いと言われてしまうと、無理に訪ねることは憚られた。
***
目標を決めた絵麻は早かった。
次の日から朝早く起き、身支度も自分で整えられるものを選び、以前と同様に自分ですべてを行うようにした。シンプルなワンピースは、それでもこの国の特徴の薄い生地をいつかも重ねたような作りになっていた。
今日は街に出る約束をしており、現れたヴィザールを見て絵麻はふと気がつく。
「ヴィザールの着ている服はこの国のものじゃないわよね?」
彼の格好はこの国の特徴的な服装にはなっていない。マントの中はどちらかと言うとかっちりした布の服で、ボタンや刺繍が多く使われている。
「この服は別の国のものだ」
「この国では暑くない?」
「暑くないようにしている」
あ、魔法使いだった。
無用な心配だったようだ。厚着をしていても涼しいなんて、ずる過ぎる。
ふとヴィザールが絵麻を見つめた。
「何?」
「その短い髪だと、いずれ付け毛などを考えた方がいいかもしれない」
「え?付け毛?」
思わず絵麻は自分の髪を引っ張る。肩ほどの長さの髪なのだが、何が問題なのだろうか。
「最初に現れた時にも言ったが、この国や周辺諸国では、女性の髪は生まれた頃から長く伸ばす習慣がある」
「え、暑くない?」
もう絵麻的にはそれしない。この暑い砂漠の国で髪の毛をずっと伸ばし続けるなど地獄ではないか?そう思い口に出すと、ヴィザールが笑った。
不意に笑うのはやめてほしい。
あまり笑わなかったヴィザールだったがふとしたことで絵麻に笑顔を見せるようになった。
「この辺りも昔はここまで暑くなかったし、砂漠でもなかった」
「え、そうなの?」
「だんだん砂漠化していったんだ。髪を伸ばす習慣自体は、砂漠化以前のものだと考えられている」
なるほどと思うが、現状の気候を考えると暑くてたまらない筈だ。
「だから、女性は頭の上に髪を結い上げていることが多い」
「あ、やっぱり暑いから?じゃあ短いけど縛っていった方がいいのかな」
「フードを頭から被れば目立たないとは思うが、その方が周りからの視線は少ないかもしれない」
その言葉に絵麻は頷いて、持っていたカバンの中から髪を縛るためのヘアゴムを出した。これはこっちにきた時に偶然ポケットに入っていたもので、会社で髪が邪魔になると使っていたものだった。
絵麻は髪を縛りながらふと感じた疑問を口にした。
「もし何か原因で髪が切られたり、切れちゃったりしたらどうするの?」
「当然だが全く切らないわけじゃない。だいたい足首あたりの長さを維持するんだが、この国で髪が短くなった女性は、死んだも同然だ」
「えぇ!?髪で!?」
ヴィザールの言葉に絵麻が驚愕の声を上げる。自分から望んで短く髪を切っている側からするととんでもない話しだ。
「それぐらい大切にしなければいけないもので、短い髪で外に出るなど恥ずかしいことだとされている。もしそんなことが起きた場合は、家から出られないか、または自死を選ぶ女性も多いだろう」
文化の違いとは理解が難しいなと改めて思う。死を選ばなければならないほどのことなのかと、絵麻は感じてしまうが、ここで生きる女性にとってはそれが当たり前なのだろう。
「でも、なんでそんなか長い髪にこだわるの?」
「この周辺の地域で信仰されているのが髪の長い女神なんだ。神話の一節に、罪を犯した別の女神が長い髪を短く切り落とされて、神から悪魔に成り下がるという話があり、そこから来てると言う説が今のところ濃厚だと言われている」
「なるほど。つまり短い髪の女性は悪魔の象徴だと」
「そう言うことだ」
あっさりと頷いた。
「ヴィザールはもともとこの辺りの国の人じゃないから、特に何も思わないってこと?」
この辺りではあり得ないとは言われたが、ヴィザール自身が絵麻に何かを言ってきたことはない。今の話であれば、この地域の人からすると、絵麻は罪を犯した悪魔と一緒だ。
「別の大陸には女性が髪の短い地域があるのを知っているし、時代によっても違う。ただのその土地の慣習だと理解している」
「だから、普通に話してくれているのね。私につけてもらってる侍女の人とか、まったく目を合わせてくれなくてどう言うことなのかなと思ってたけど、これで納得できたわ」
そう言う風に指示されているのかと思ったが、そうではないのだと理解した。
「ただ、侍女の場合は国王陛下からの命令なのだから、きちんと仕事をこなしていなければ、ただの怠慢だ。困っていることはないのか?」
「自分のことはだいたい自分でできるから、そこまで困ってないわ。ただ世間話とかできないぐらいで」
「何か困ることがあれば、陛下に進言するから言ってくれ」
「ありがとう」
数週間ヴィザールと共に行動をして、彼が非常に面倒見の良い男性だとわかった。最初の素っ気ない態度が嘘のようだ。心配もしてくれるし、意外と気遣いもしてくれる。
「行くぞ」と言われて絵麻は慌てて後ろをついて歩いた。
この国やこの世界のことを知ると決めてしばらくは、本を読んだり、ヴィザールに講義のようなことをしてもらい、知識を詰め込んだ。さほど苦労せず過ごせたのは、文字も苦なく読めることが大きい。喋りだけではなく、文字も自由に読めてしまうなんて楽すぎる。ヴィザールが興味で、さまざまな国や地域の本を持ってきたが、どれも読めた。ちなみに、ヴィザールはほとんどの言語ができるらしい。
魔法士って職業、能力高すぎない??




