記憶なんてもんは意外と良い加減なもんでして
過去の記憶はあっても、明確にいつ何をしたか思い出せるかといえばそうでもなくて、実際、普通に生活している高校三年生が『体育祭で創作ダンスをしたのは中学の一年と二年どっちだったか?』とか『家庭科でスカートを縫ったのは中学二年と三年どっちだったか?』と言った内容を聞かれても大概瞬時に答えられないし、日常のちょいとした印象深い事は覚えていても、興味のない事はそういえばあったかな、程度だったりするもんさね。
それに、日本の12歳から18歳は未だ分かりやすい。中学入学時に12歳で、高校入学、若しくは中卒就職時で15歳。六年間は2ブロックに分かれている。学校の制服も結び付けのヒントにもなる。
所がユーさんは六年間同じ学校なもんで、強いイメージでもあればしっかり覚えているんだろうけれど、そうそうショックな出来事なんて起きないし、ショックばっかり受け続けてたら、神経を患っちまって、しっかりした記憶なんざぁ夢のまた夢ってやつになっちまうよね。
あたしは子供の頃から何か作った時の記録を取っていた。作った物と開始日時やら材料やら見た目やら工夫した点やら、思いついた事を適当に書いて、日記とまではいかない覚書。なもんで、こっちに来てからもペラ紙にメモを取って鍵の掛かる引き出しに突っ込んである。
ユーさんが日記をつけていてくれたら色々と目串がつけやすかったんだけれど、残念ながらそれは無かった。正確には、10歳までは日記を付けていたのだけれど、王子さんの婚約者候補になってからは王妃さんにお呼ばれしたり、小難しい人付き合いが増えて外部には出しちゃあいけない事を見聞きしていたから、念の為記録は取らないと決めたんだよね。
実に真面目なユーさんらしいんだが残念でならないよ。
それでも、確実にあたしとユーさんは違う。
だから、確信は無いけれど十中八九、あたし以外この巻き戻りに気付いている者は居ないと思っている。正直なとこ、これは女神さんの手抜かりだよ。可愛い信者を救いたいんならさ、もうちょっと気を使って実際に動くあたしを助けてくれるお仲間を付けてくれたって、罰は当たらないだろうさ。あ、いや、女神さんは当てる方だね。いや、当てられるんなら、ユーさんの絶望に対して、即連中に因果応報を見せてやりゃあ良かったんだから、当てられないのかね?
まあ、あてにならない女神さんの都合なんざぁどうでも良いけど、気付いてる者が居るか居ないか位は教えて欲しかったよ。
折角用意した作業用の道具と材料は長持ちの中のまま。念には念を入れて、年度末まであたしはあれこれ観察した。お陰さんでユーさんとは違う縁が結べたけれど、少なくとも表面上には波風の無かった王子さん達や、婚約者候補お二人から見た印象は宜しく無い様で、何かの折にふれては遠回しに嫌味を言われている。
言われてるんだけれどね、それが効くかっていえば効かないよ。だからどうしたってだけだし、蛙の顔に何とやらで、やれ平等なのが淑女だの、低位の者を導くべきだの、友達は選ぶべきだの、侯爵令嬢としてどうあるべきかだの、仕舞いにゃあ王妃さんまで「確かに学園の生徒達は平等ですが、卒業を見据えて動かねばなりません」なんてぇ事を言い出した。で?としか思わなかったけれど、ユーさんの知識としては拙いらしい。どうやら、候補者の中での順位というか、覚えめでたくなくなるというか。
実にありがたいよ。もうね、ポンと見捨てて戴いて、他の候補者のお二人とアザレさんを引き合わせて、表面上仲良くやって戴いて、あんなのが居るな位でね。
確かにね、候補者のお二人さんにはちょいとばかりの罪悪感がある。グロースターべ令嬢は二つ、マスキュール令嬢は一つ歳上なのだけれど、入学前に婚約者候補になったもんだから、誰の差金かは知らないけれど本来の学年での入学を遅らせて同じ学年にさせられた。同い年の友達だって多かっただろうし、婚約の話が来た時に「確定するのは嫌だ」とあたしが言わなけりゃあ、あの二人を巻き込む事は無かったんだよ。
だからそこんところは悪いなと思っているけれど、事あるごとに面倒ごとをこっちにおっつけてくるので、差し引きゼロって事になっている。あたしの中では。
自分ながらに良くやったと褒めてやりたいよ。登下校は護衛付きとはいえ爺様から単独で馬に乗る許可をいただけたし、基本放課後は爺様達の軍の訓練場で乗馬と簡単な武術の稽古をするか、図書館で嫌味やらお願いやらを持ち込まれたりアザレさん達に絡まれながらも自習して、休日は王妃さんの呼び出しを受けて王子さんと婚約者候補二人と一緒にお茶を飲んだり、爺様や父様を拝み倒して権利を得た護衛付きのお買い物。
幾らユーさんがため込んだ知識があるって言っても、人間復習しなきゃあ忘れて行くし、新しい知識が入りゃあ覚え直さなきゃあなんないから、それなりにお勉強しないといけないし、二十年以上動かしていたあたしの職人の手と、琴棋書画ってな感じで刺繍やら書画はやっているけれど細工物なんぞとは縁が無いユーさんの手は違う。作りたい物をイメージ通りに作るのには、日々鍛錬していかないといけないしで、忙しい。
爺様達が仕事で遠くに行っている間は、何としてもあたしとアザレさんを仲良くさせたいレル兄さんが煩いし。どうして分からないかねぇ、友達は作るもんじゃ無くて出来るもんだよ。馬があったもん同士が仲良くなるんだ。あちらさんは日本人としてならお仲間だろうけれど、やり口が気に食わないからお話にもならない。
でだ、そんな日々を繰り返した現在、あたしはそれはもう見事な座礼を決めている。爺様の前で。
「ウィスや、一体どうしたのだ?早く顔をあげるのだ」
「お爺様には本当に申し訳なく思っております。何もおっしゃらずにわたくしの話を最後まで聞いていただけるお約束をしていただけましたら、話の後に如何様にして戴いても構いませんので、どうかどうか、お約束いただけますでしょうか?」
「わかった、わかったから、先ずは顔を上げて立ちなさい」
「最後まで話を聞いて頂けますでしょうか?」
「わかった、約束しよう」
顔を上げれば、狼狽えている古今亭志ん生師匠ならぬ、ユーさんの爺様。部屋に入れて貰って二人きりになった後、爺様がソファに座った瞬間、テーブルの脇で座礼を決めたせいで、可愛い孫にどうして良いのかといった風情。これっぱかりは本当に申し訳無い。
「もう一つ、先ずは全部話を聞いて戴いてから、内容をお爺様の胸三寸に収めるかをご判断願いたく存じます。お話し中はどなたもお部屋に入れていただきたくありませんが、お爺様が否とおっしゃるのならば従います」
「うむ、良いからソファに座るのだ。そうでなくては真面に話も出来ん」
確かに。
立ち上がってそっと正面に座れば、渋い表情で首を傾げて考えている爺様。正念場ではあるけれど、粋ちょんで渋い。あたしの爺様も仕事中はあんな感じだったねえ。
「相分かった、約束しよう。儂らも、ああ、儂とお前の父親だが、ウィスに聞きたいと思って聞けていない事があるんだが、それも後から聞かせて貰おう。これからのウィスの話でそれも解決するやも知れんがな」
「ありがとうございます。先ずはこちらをご覧下さい」
あたしは持ってきた道具袋から、夜中にこっそり作っていた剣帯根付とつまみ細工の花簪を取り出した。爺様が二つを手に取って、矯めつ眇めつ確認しつつ、時々あたしに視線を向ける。
「ふむ、これは随分と良い物だな。剣帯飾りはわかるが、こちらの花の様な飾りの使い方は分からん。どこで手に入れた?」
「わたくしが作りました」
「何と⁉︎ 」
「今から目の前で実演致しますので、ご覧下さい」
道具袋から燭台の一部を出して、丸めて潰してメダル状にした後、タガネとおたふく金槌で桜の花のレリーフを入れる。目の前での作業だから、渡した精巧な細工とは雲泥の差だけれど、ユーさんだったら絶対出来ない筈の事を実演するのが目的なので問題は無い。
肝の座った爺様なら最後まで話を聞いてくれると踏んだんだが、どうやら正しい判断だった様で、剣呑な光が視線に混じった気がするが、黙って見てくれている。
時間にして10分も掛からない程度の実演。出来上がったメダルを爺様に渡して確認して貰ってから口を開いた。
◇◆ちょっとアレな言葉説明◆◇
目串をつける;見当をつける。目星をつける。
おっつけて;くっつけて
琴棋書画;中国の貴人、文人が身につけるべき四芸。琴、囲碁、書芸、画芸。主人公はこの世界の貴族令嬢が身に付けるべきダンスや刺繍といった芸事に準えている。
粋ちょん;粋な事。通な事。そのさま。
おまけ;座礼と土下座
主人公がしている座礼は正座からの普通礼のイメージです。最敬礼は指先から肘までを床につけるのですが、普通礼なので手の平をつけて頭は床から30センチ程度離れた状態です。室内ですれば座礼。外ですれば土下座です。ですので、主人公は座礼と言っています。
ただし、物語の舞台は洋館ですので、基本屋内も土足か室内ばき。爺様の部屋は恐らくお客様も通すので、土足。実質土下座です。




