第六章 キセキ視点 戻り始めた日常
私は看護師さんに手を握ってもらって、時間はかかったけど車椅子に着地できた。食堂があるのは一階、車椅子専用はともかく、エレベーターに乗るのもかなり久しぶりだったから、エレベーターで移動している間の不思議な感覚が、なんだか新鮮に思えた。
食堂へ向かう最中、私と同じく車椅子に乗った患者さんや、松葉杖で体を支えながら歩く患者さんともすれ違った。私と同じく五階で入院している患者さんも、次々と食堂へ向かって行く。
私は病院の構造をある程度知っているけど、自分の目で確かめる事はできなかった。だから初めて食堂を見た時、久しぶりに賑やかな食卓が囲めると思うと、涙が出そうになった。自分の家ではないけれど、誰かと食事を共にできる安心感は、事故に巻き込まれる前のおだやかな日常と重なって、学校や家で過ごしていた時を思い出してしまう。
ちなみに、昨日父が家に帰る直前、私にある事を教えてくれた。私以外にも多数の被害者を出した大事故の容疑者、つまりトラックの運転手に、あまり重い刑は執行されないと。その根拠は、父が見せてくれた週刊誌にしっかりの載せられていた。
そのトラックの運転手は、人出不足を理由に何十時間もの長時間労働を課せられ、精神的に不安定になっているにも関わらず、欠勤が認められず、肉体的にも精神的にもボロボロの状態で仕事に打ち込んでいたそうだ。
しかもそのトラック運転手が務めていた運送会社では、他にも複数人の従業員が、同じような状況下に置かれている事が発覚。県の警察や複数人の弁護士も加勢に加わり、その運送会社は倒産、多額の賠償金や、今回起きた大事故の慰謝料は、倒産した会社の社長側からもらう事になった。
そして父は小声で、「一応手は尽くしておいたから」と私に言っていた。多分、その運送会社の不正を世間に公表して、多額の賠償金請求までこぎつけたのは、父の協力があったからだと思う。父はああ見えて、ブラックでナイーブな仕事『も』徹底的にこなす、尚且つ法律や憲法の勉強もしていた父。敵をじわじわと追い詰め、有無を言わせない父の姿勢に、元運送会社は敗北したんだろう。
これも多分だけど、トラック運転手が軽い罰を受けるだけで済んだのも、父の配慮があってこそ。娘の私なら、何となくだけど分かる。何故なら食堂にあるテレビで、元運送会社のどす黒い不正の数々が、大々的にニュースになっているにも関わらず、トラック運転手に関しては、同情する様な表現をしていた。
ちなみに、テレビでは私の顔写真や名前、さらに通っていた高校は公表されて、そして友人がインタビューに答えている姿が映っていた。テレビ越しに見る友人や先生に、懐かしさすら感じてしまう私。完全に他人事みたいになっている。
食堂に居た患者さんの何人かが、テレビと私を交互に見ていた。テレビに映っている私の写真は、父と一緒にテーマパークに行った際に撮った、思い出の写真。写真を撮ったのがたった一年ほど前だったから、今の私とそこまで変わらない。だからすぐに、あの大事故に巻き込まれた高校生が私である事に気づくだろう。
この前包帯を取り替えてくれた看護師さんからも話を聞いたけど、私がこの治太海病院に入院している事が、もういくつかのメディアには分かっているらしい。けれど、そこでも父の配慮があったおかげで、取材の為に病院へ強引に押しかけるメディアはいない。
私は改めて父の脈の広さ、配慮の綿密ぶりに感服してしまう。家族として養女になった時から、父は「すごい人」だとは思っていた。でも、大人になるに連れて社会の事情や融通を知れば知るほど、どれほど父が偉大な人であるか分かってくる。




