第1話:賞味期限の消えた街と、底辺の食卓
「本日も、宇宙暦規格に基づいた高効率・高タンパクな合成栄養体をお召し上がりください。……なお、連続摂取による精神的ストレスについて、当採掘公社は一切の責任を負いません」
小惑星帯『ペルセポネ』の地下三百メートル。
湿り気と鉄錆の匂いが充満するプレハブの簡易宿舎で、壁掛けの老朽化した合成音声モジュールが、気怠げにそう告げた。
「……黙れ、ポンコツ。気やすやすと『お召し上がり』なんて言葉を使うんじゃねえ」
マルコが泥と機械油に塗れた作業グローブをテーブルに叩きつけ、忌々しそうに吐き捨てた。
彼の目の前に置かれているのは、半透明の真空パックに閉じ込められた、鈍い灰色の塊だ。触感は固いゴム、匂いは化学薬品とプラスチックを足して二で割ったような乾いた不快感。
【緊急避難用・標準合成タンパクパック:仕様区分C】
パックの表面には粗悪なインクでそう印字されている。賞味期限の項目を見ると、文字が擦れて『22……』から先が削れ落ちていた。
「おい、リョウ。この『22』ってのはなんだと思う? 2200年代って意味か? それとも22年前って意味か?」
「考えるだけ無駄だろ、マルコ。どっちにしろ、この採掘衛星が破産して放置された五年前より前に作られたことだけは確実だ」
僕はテーブルの反対側で、使い古された磁気ドライバーのバネを調整しながら呆れたように答えた。
僕たちの職業は「サルベージ屋」——平たく言えば、小惑星帯に転がっているゴミ拾いだ。
かつて鉱山バブルで栄え、いまや打ち捨てられた採掘衛星や廃墟となった宇宙ステーションを巡り、残された重機のパーツや銅線、使えそうな資材を剥ぎ取っては闇業者に売る。それが僕たち二人組の日常だった。
「クソッ……! 100歩譲って硬さは我慢しよう。だがな、この『味のなさ』はどうにかならんのか!? 人工甘味料の残骸みたいな薄っすらとした甘味と、後味に残る金属のエグみ……! こんなもんを毎日噛みしめてたら、脳みそまで灰色に染まっていくぞ!」
マルコが叫びながら、タンパクパックをガブリと噛みちぎる。ぎちぎちと嫌な音が部屋に響いた。
「文句を言っても、今日の稼ぎじゃこれが関の山だ。採掘ドリルの超硬チップが三つ拾えたが、買取屋のバカが足元を見てきやがったからな。今日と明日の合成タンパクパックと、この部屋の酸素コインを買ったら一銭も残っちゃいない」
「ああーっ、畜生! 本物のメシが食いたい! 合成じゃない、惑星の土で育った長ネギとか、脂の乗った豚肉とかよ! フライパンでジュージュー炒めて、濃い目のタレを絡めたやつを白飯に載せてガツガツ喰いてぇ!」
「夢を見るのは自由だが、現実はこれだ。ほら、噛まずに飲め。吐き気が増すぞ」
僕は自分用のパックの角をナイフで切り落とし、固形ペースト状のそれを口の中に放り込んだ。
舌の上に広がるのは、生命維持に必要なミネラルとビタミン、そして圧倒的な「無」。空腹は満たされるが、心は一ミリも満たされない。
かつて地球やテラフォーミング済みの居住惑星で食べられていたという「本物の料理」。
僕のような天涯孤独の泥拾いには、都市伝説か映画の中の絵空事に過ぎない。だが、元は港町の食堂の倅だったというマルコは、幼い頃に食べたという「豚肉と野菜の炒め物」の味を、今でもしつこく語り続けていた。
「いいかリョウ、人間ってのはな、生きるために食べるんじゃない。美味いものを喰うために生きるんだよ。こんな消しゴムみたいな塊を腹に詰め込むだけの人生なんて、機械と変わらねぇ」
「そうだな。だが、その機械以下の生活すら、明日の分の発掘物がなけりゃ終わる」
僕は空になったパックを丸めてゴミ箱に放り投げ、立ち上がった。
「休憩終わりだ。さっき重磁気スキャナーが変な反応を拾った。衛星のさらに下——古層の氷脈エリアだ」
「古層だと? あそこは数千年前の初期開拓時代の岩盤だぞ。固くて重機も通らねぇし、出たとしてもせいぜい価値のない古代の粗悪スチールだ」
「スキャナーの反応が異常に均一だったんだ。自然の鉱石や岩塩の反応じゃない。……行ってみる価値はある」
マルコは溜め息をつき、腰の工具ベルトを締め直した。
「ハッ、どうせまた巨大な採掘ドリルの折れた刃とかだろ。もし大物だったら、俺に本物の肉を奢れよ?」
「ああ、山盛りで奢ってやるよ。出ればの話だがな」
◇
重掘削作業艇『グラブ1号』の振動が、操縦席の座席を通じて腰に直接伝わってくる。
薄暗い岩盤のトンネルを、プラズマ・カッターと超振動ドリルで削り進むこと四時間。
僕たちは、採掘衛星の最深部、氷と岩塩が交互に層をなす「絶対ゼロ度宙域」へと足を踏み入れていた。
「おいおい……マジかよ、リョウ。スキャナーがイカれたのか?」
助手席のマルコが、コンソールの数値を二度、三度と叩いた。
外部照射ライトの光が、砕かれた氷層の奥を照らし出す。
そこに存在したのは、茶褐色の岩肌でも、錆びついた粗悪スチールでもなかった。
光を吸い込むような、漆黒。
数千年の圧力と超低温に晒されながらも、傷一つなく、鏡のように平滑な曲面を描く未知の複合素材。
それは、岩盤の中に斜めに突き刺さるように埋もれていた。
「……船か?」
「船だ。だが……こんなフォルムの船、現行のどの造船企業のカタログにも載ってねえぞ」
僕たちは作業艇を降り、宇宙服のヘルメット越しにその「塊」へと近づいた。
高出力の磁気カッターで周りの岩塩を焼き払うたびに、漆黒の船体が姿を現していく。
全長はおよそ百二十メートル。
輸送船としては中型だが、戦闘艇としては巨大すぎる。流線型と鋭利な直線が完璧な調和を見せるそのシルエットは、ただ存在するだけで周囲の空間を威圧するような、絶対的な美しさを放っていた。
「……なあ、リョウ。これ、文字が彫ってあるぞ」
マルコが手持ちのライトで、船首付近の装甲を照らした。
氷を削り落とした装甲の表面に、古代の銀河共通語で刻まれた不敵な文字があった。
『NOCTURNE』
「ノクターン……夜想曲、か。粋な名前じゃねえか」
僕たちは互いに顔を見合わせた。
長年サルベージ屋をやっている勘が、全身の毛穴を逆立てる。これはただの廃船ではない。
「ハッチを探すぞ。中に何が眠っているか……確かめなきゃ今夜は眠れそうにない」
この時の僕たちはまだ知らなかった。
この漆黒の船を掘り当てたことが、僕たちの「灰色の日常」を粉々に打ち砕き、銀河全体を揺るがす壮大な成り上がり劇の、第一章の幕開けになるということを。




