第11話:初めてのお給料
月が替わり、吹き溜まりの下町の路地裏に吹き付ける秋の風は、いよいよ骨の奥まで凍てつかせるような鋭さを増していた。その夜の『赤べこ』は、怒涛のような繁忙の刻限を終え、頑丈な木製の引き戸が静かに閉じられたところだった。店内の空気に残された出汁の湯気はゆっくりと薄れていき、極限まで磨き上げられて鈍い光を反射している木床の上に、心地よい残熱を分け与えている。
いつきはカウンターの正面にある丸椅子の一つに腰掛け、両手で小さな顎を支えていた。その丸い瞳は、古びた真鍮製のレジスターの奥で現金の束を一枚ずつ正確に数え上げている凛の手元を、じっと見つめている。
今夜は月末だった。いつきにとって、それは極めて奇妙で不慣れな概念だった。長年の路上生活において、月の終わりなどという区切りは何の意味も持たなかったからだ。彼女の時間は常に二つの事象によってのみ分断されていた。すなわち、他人の懐から財布を掠め取ることに成功して胃袋を満たせた日か、あるいは失敗して橋の下で内臓が雑巾のように絞られる痛みに耐え続ける日か、そのどちらかだけだった。
――ガチャン。
凛はレジスターの重い引き出しを確実な音を立てて閉めると、机の上に用意されていた、何も書かれていない小さな白い封筒を手に取り、いつきの方へと歩み寄った。その顔線は相変わらずセメントの壁のように平坦であり、へりくだった愛想笑いなどは微塵も浮かんでいない。
凛はその封筒を、いつきの目の前の杉の木面へと静かに設置した。
「これが、あなたがこの四週間で出力した肉的労働に対する正当な対価です」
凛の声は清澄で、事務的だった。
「ここから、あなたがこの店で消費した一日三食分の食糧原価、ならびに先週あなたが過失によって破砕した磁器の取り皿の損失補填分を差し引いてあります。その封筒の内部に残された現金額は、純度百パーセントであなたの所有権に帰属します」
いつきは完全に虚を突かれた。彼女はその白い封筒を数秒間ただ凝視し、自らの指先を伸ばすことすら躊躇していた。やがて、毎日竹箒を握りしめ続けたことで小さな豆の潰れた、傷だらけの手を恐る恐る伸ばす。封筒の端に触れる手つきは、まるで乱暴に触れれば空気の中に霧散してしまう硝子細工を扱うかのように、極限まで慎重だった。
封筒の口を開けると、中にはシワ一つない綺麗に揃えられた千円札が数枚と、裸電球の光を浴びて鈍く輝く百円硬貨が数枚、収まっていた。
金額の絶対値としては、決して巨大な数字ではない。もし運良く、中央駅の周辺で裕福な観光客の懐にその細い指先を滑り込ませることができれば、一日の無謀な賭けで手に入る程度の現金額に過ぎなかった。しかし、いつきがその紙幣の束を手のひらで包み込んだ瞬間、彼女の脳細胞は、かつて路上で経験したことのない奇妙な物理的質量を感知していた。このお札は……酷く、重かった。それは、奪い取った瞬間に背後から追っ手が来るのではないかと恐怖を抱き、全速力で逃走しなければならなかった時の、あの呪わしい熱量を持った現金とは完全に異なっていた。
冷たく、誠実で、そして毎日自分が床を磨き上げるために使用してきた、あの植物性の洗剤の匂いが微かに染み込んでいる。
「これ……本当に、あたしのお金なんだもん?」
いつきは声を極限まで小さくさせ、探るように呟いた。路上生活で身に付けた斜に構えた皮肉も、甲高い声音も、その瞬間は完全に消失していた。
「うちは、自らの帳簿に計上されていない不当な資産を取得するつもりはありません」
凛は平坦に言い放つと、濡れた晒の布を手に取り、カウンターの表面を一定の律動で拭き始め。
「あなたは毎朝、自らの時間原価を投資して竹箒を稼働させた。開店前にはすべての机の衛生管理を徹底した。それは、等価交換の規則に基づいた、あなたの正当な権利です」
長机の最も隅の席で、一日中市場からの生鮮食品の搬入を手伝って足を伸ばしていた天野が、唇の端を吊り上げて穏やかに微笑んだ。彼は手元にあった温かい湯呑みを、いつきの方へと小さく掲げてみせる。
「初めてのお給料、おめでとう、いつきちゃん。君が自らの汗によって、誰の手も借りずに一人の独立した人間に戻れたことを、僕は心から祝福するよ」
厨房の奥から、全員のために新しく淹れた熱い麦茶のトレイを抱えて、アンナが歩み寄ってきた。彼女はお札をじっと見つめ続けているいつきの横顔を一瞥すると、フンと鼻を鳴らし、からかうような、しかし確かな温かみを含んだ声音を放った。
「ガキ、そのお金を明日の朝一番に、前の万屋で安っぽい漫画本やガムに一瞬で交換するんじゃないわよ。自らの労働報酬の価値を、もっと厳格に保存しなさい」
いつきは、いつもなら即座に返すはずの罵声を返さなかった。彼女はゆっくりとお札を白い封筒の奥へと戻すと、角が折れないように細心の注意を払って綺麗に折り畳み、色褪せた緑色の大きすぎる外套の、最も深い内ポケットの奥底へと滑り込ませた。彼女の右手はポケットの中に残されたまま、その白い布の塊を固く握り締め続けている。胸の奥から湧き上がってくる、名前の付かない激しい感情の波紋に、身体の芯が小さく震えていた。
十三年の生涯において、彼女は初めて、自らの人生の中に「確実な所有権」という概念を獲得していた。
内ポケットの中にあるその質量は、自分がこの過酷な吹き溜まりの世界において、単なる浮遊する塵のような幽霊ではないという事実を、雄弁に証明していた。彼女はもう、暗い裏通りをただ彷徨うだけの異物ではなかった。彼女は『赤べこ』という経済システムの、確実な一構成員だったのだ。彼女が払い落としたすべての塵、彼女が磨き上げたすべての机が、この小さな店を物理的に維持するための、欠くべからざる投資となっていた。
いつきは顔を上げ、カウンターの上で雑巾を正確に動かしている凛の横顔を見つめ、茶を注いでいるアンナの背中を見つめ、椅子の上で小さく鼾をかき始めた天野の寝顔を見つめた。
「明日の朝さ……」
いつきは静寂を破るように、低く呟いた。
「あたし、いつもより早く起きて、タコやその手下のドブネズミどもが来る前に、テラスのアスファルトを完璧に掃き清めておくもん」
凛は雑巾を動かす手を止めなかったが、その澄んだ瞳の端をわずかに少女の方へと向けた。
「うちは毎日午後五時に開店します、いつき。もし道路からの粉塵の再付着を防ぎたいのであれば、午後四時の段階で清掃業務を完了していなければ計算が合いません」
「分かってるもん! 本当にガチガチの木切れ店主なんだもん!」
いつきはいつもの甲高い声音を取り戻して吠えついたが、差し出された熱い麦茶を両手で包み込んで一口含むその両目の奥には、曇天の隙間から差し込む陽光のような、嘘のない本物の輝きが確かに灯っていた。




