第112話 一度だけの奇跡
「ケイシー! ケイシー!! ケイシー!!!」
叫ぶたびに喉が擦れる。声が壊れていく。
「許さぬ、許さぬぞ、異世界人! あの方の理想郷を邪魔しおって! おまえたち! アイツを始末するのじゃ!!」
クソ禿の声が遠くで響く。
怒りというより、必死さが混じっているのが気持ち悪い。
近衛騎士たちが一斉に剣を抜く。
鋭い金属音が重なる。
空気が一段冷たくなるような錯覚。
「ふざけんな!! 竜の御使いである夕凪が命ず! 信徒たちよ、そこなるクソ禿を冥府の底へ突き落すのだ!」
自分の声が、思った以上に荒れている。
無意識に出てしまった命令。
もう、どうでもいい。
ケイシーのいない世界なんて壊れてしまえ。
「おおぉぉぉぉっ!!!」
赫竜教の信徒たちが一斉に吠える。
その声は祈りというより、獣のうねりに近い。
砂煙が一気に舞い上がる。
視界の端が茶色に染まり、群衆が押し寄せる波みたいに前へ出る。
近衛騎士たちが一瞬ひるむ。
剣を構えたまま、足が止まる。
次の瞬間。
その圧に負けたみたいに、手から剣が落ちる。
クソ禿の両腕を抱え、円陣を保ったまま信徒たちから逃げ出す。
怒りに震える信徒が追う。
悲壮感溢れる禿たちが逃げる。
追う……。
、逃げる……。
視界の端に消える頃、ついに追いつく。
すぐに包囲が崩れ、守りが割れる。
引きずり出され――
そこから先は、言葉が追いつかない。
殴る音、蹴る音、誰かの怒鳴り声が重なっていく。
冥府。
シェケルズ教の唱える三界。
そんな言葉が、妙にしっくりきてしまう自分がいるのが、少しだけ嫌になる。
ジュディが、ケイシーを抱えてくる。
腕の中の彼女は、もう動かない。指先は力なく垂れ、そこにさっきまで確かにあった気配が、綺麗に抜け落ちている。
視線が、そこから外れない。
頭では理解している。
なのに世界が訂正を待っている。
次の瞬間、ケイシーがいつもの顔で起き上がってきて、「冗談ですよ」と笑うはずだと、どこかで本気で信じている自分がいる。
血の滲む額を結界に押しつける。
少しでも彼女に近づきたい。
けれど、前に進めないという事実だけが、明確に突きつけられる。
涙が止まらない。
唇が勝手に震える。
呼吸の仕方すらわからない。
むせる。
――なんでだ。
問いは浮かぶのに、形にならない。
理由を探す思考だけが空回りして、どこにも引っかからずに落ちていく。
「ごめんなさい、ボク、守れなくて」
ジュディの声が近い。震えているのがわかる。
違う。責任なんてない。そんなことは最初からわかっている。
それでも、言葉が出てこない。
肯定も否定も、どちらも喉の奥で詰まる。
「ジュディ、ケイシーをベッドの引き出しに入れてくれるかな」
ようやく出た声が、自分でも驚くほど乾いている。
「えっ?」
「近くでお別れをしたいんだ」
ジュディは一瞬だけ迷い、それから静かに頷く。
引き出しが音もなく開く。
ケイシーの体が、そこへスッと滑るように入る。
「サリー」
「おっけーマスター」
軽い返事とともに、マットレスの上にケイシーの姿が現れる。
小さな体だ。
異様なほど整って見えるのが逆に現実を突きつけてくる。
胸に突き立ったままのナイフが、そのまま残っている。
見なければいいのに、目が逸れない。
息が詰まる。
心が軋む。
そっと、ケイシーの頬に触れる。
指先に返ってくる感触は、やけに現実的で、だからこそ嘘みたいに思える。
「この世界に来て、初めて人に触れた。冷たいけど、スベスベだ。狭い鳥籠に、新しい住人。けど、この美しい鳥は鳴いてくれない……」
「マスター、死体をもてあそぶのは、いくらなんでもドン引き」
「今は冗談に付き合える心境じゃないんだ、お願いだからそっとしておいてくれないか」
声が自分のものじゃないみたいだ。低くて、乾いていて、どこか空洞だ。
「まぁまぁ、絶望ど真ん中のマスターに~、超・超・超耳寄りな情報だぞ」
「いい加減にしろよ。この状況みてわからないのか」
言葉が鋭くなる。なのに、相手は一切動じない。
ポワワワーンッ♪
軽快な効果音が空気を切り裂く。場違いにもほどがある音が、やけに鮮明に響く。
「信仰ポイントが溜まりましたっ! さあ、マスターの願望は?」
ドロロロロ――♪
ドラムロールの効果音が、乾いた緊張を煽るように、わざとらしく長い。
「デデン! “ケイシーを抱きしめたい”でしたね? 願いが叶いました! このエロガキめ、ヒューヒュー!」
「まさか……。俺の願いのせいで、ケイシーが死んだとか言わないよな」
声が少しだけ震える。そうであって欲しくないという願いが胸を凍らせる。
「言うわけないじゃん、サンクチュアリの外なんて知りませ~ん」
「なら俺の望みって……」
「もぅ、最後まで言わせんなよ、鈍感だな~」
その瞬間、頭の奥に電流が走るような感覚が落ちる。
稲妻に撃たれた、という表現すら生ぬるい。心を覆っていた氷が砕ける。
「ケイシーを生き返らしてくれ!」
言葉が、ほとんど叫びに変わる。
「オッケーマスター! その願い、サンクチュアリが叶えてくれるよっ!」
ケイシーの胸から、ナイフが音もなく消える。
メイド服についた血が消える。
服の穴も塞がる。
青白かった肌に血の気が戻り、薄く赤みが差す。
呼吸だ。
最初は途切れがちに、それから少しずつ一定のリズムを取り戻していく。
つつましい胸板が上下するたびに“戻ってきている”という現実が強調される。
まつげが震える。
ゆっくりと、まぶたが開く。
くりっとした目が、まっすぐ俺を見る。
「|ユウナギさん……、どうして……《ユウナギ、リマーダ》」
いつもの優しい声だ。
それだけで、頭の中が一瞬だけ空白になる。
「ケイシー」
気づいたら、抱きしめている。
腕に収まる感覚が、異様に生々しい。
軽いのに確かで、温度があって、さっきまで“失われていたもの”とは思えない。
暖かい。
柔らかい。
スンスン……。
そしてチョッと臭い。
少しだけ現実が戻る。
数日間、地下牢に閉じ込められていたのなら当然だ。理屈としては理解できる。
それでいい。
生きているなら、それでいい。
むしろ、そこがいい。
「|ちょっ、ユウナギさん、離れてください《タワッカフ、ヤー ユウナギ、イブタアド ミン ファドリク》! 私、匂いますからっ!!!」
ドンと、胸を押される。
勢いが強く、バランスが崩れる。
ケイシーの体が、ふわりと後ろへ。
そして、サンクチュアリの縁から、落ちる。
「ケイシー!!」
反射で手を伸ばすが、届かない。
着地は乱暴で、彼女は床に手をついたまま息を詰める。
「痛っ、もう、酷いんだから。抱き寄せるなら一言声を……」
言いかけて、そこで気づく。
同時に俺も気づく。
ケイシーが結界に手を押しつける。
そして俺も、同じ場所に手を置く。
しかし、触れられない。
薄い結界。
けれど、遠い。
「嘘っ、ユウナギさん!」
「そんな……、おい! サリー!」
呼びかける声が、かすれる。
「ざんねんマスター。死者蘇生の奇跡は一度切りだよ。願望が叶ってよかったじゃん。抱きしめられたんだし~」
「嘘だろぉ~~~~~っ!!!」
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