76話 兄様の様子②
応接室の掃除を終えた兄様とニーナさんは、次にトイレ掃除に向かっていた。
私はなんだか目が離せなくなり、ケイトリンさんと共に兄様の後を書かれるように追いかけてみた。
「おいガキ……じゃない、ニーナさん」
「こらーロンベルト! 私のことはニーナ先輩とお呼びなさい! ケイトリン先輩に怒られちゃいますよ?」
「うぐ……ニーナ先輩。このトイレは昨日掃除したばかりだが、今日もやるのかですか?」
「相変わらず変な敬語ですね。っていうか当たり前です。トイレ掃除こそ毎日やらなくてどうするんですか。トイレを綺麗にしないと運気も下がっちゃうんですよ」
「お、俺はどうもこの掃除は苦手でして……臭いとか……」
そういえば兄様って昔から結構鼻が良かったのよね。
「毎日お掃除しないともっと大変なことになっちゃうんですよ! ぶつくさ文句言ってないで黙ってさっさと手を動かしてください!」
凄いわニーナさん。
これならもう任せちゃっても安心ね。
私はそう思ったので、ケイトリンさんと共に部屋に戻り明日の身支度を整えることにした。
それからその日は夕食を済ませ、ディア様と明日の謁見に関する件で少し話し込み、夜も更けたので寝室へ戻ろうとした。
邸宅の廊下を歩いていたその時である。
「あら、あの明かりは何かしら?」
この時間にしては珍しく図書室の明かりが扉の隙間から漏れ出していたので、私はそっと中を覗き見てみた。
すると中の書架の間に、兄様とニーナさんの姿があった。
「こんな大量の本の中から、資料を探しておくなどと、何故この俺が……」
「ほーら、黙ってちゃっちゃと探してください。アルメリア様たちの明日の謁見後にはまた商談のお話とかのご予定があるんですから、頼まれた下準備くらい、一番下っぱの私たちがしなくてどうするんです」
「俺はもう朝からずっと仕事をしているぞ! あ、いや、しているんですよ!」
「大したことしてないでしょうよー。私たちのやってるお仕事なんてこのお屋敷でも最も簡単なお仕事ばっかりじゃないですか」
「な、なんだと?」
「アルメリア様やディアブルス様は毎日毎日たくさんの難解なお仕事をこなされています。確かに私たち使用人のような肉体労働とは違いますけれど、私たちのお仕事と違って、アルメリア様たちのお仕事はこの領地や国交に関する重大なお仕事ばかりなんですよ」
「……前にあのクソ女……いや、ケイトリン先輩に聞いた……いや、聞いています」
「それならわかると思いますが、私たちのお仕事は多少失敗してもケイトリン先輩や最終的にはディアブルス様にフォローされてなんとでもなります。でもディアブルス様やアルメリア様のお仕事は失敗した場合誰にもフォローはしてもらえないんです。凄い重圧を抱えていらっしゃるはずなんです」
「……ふん」
「私たちは与えられたお役目をこなせばご飯は食べられますし、誰にも怒られませんし、ご迷惑をおかけすることないです。でもアルメリア様たちの失敗は常に多くの人たちの生活基盤が掛かっているんです。だから私たちができることは極力やってあげたいんです」
「ふん。そんなこと、領主になれば当たり前だ」
「ではロンベルトに同じことができますか? アルメリア様みたいに大量の書類を適切に的確に処理、処置することができますか?」
「できるわけがない。その代わり俺にはこの力がある。騎士団を率いるほどのな。それはアルメリアにはないであろうが」
「ええ、そうです。でもだからといってアルメリア様がこれまでの人生であなたを蔑んだことがありましたか? 書類仕事ができないあなたを馬鹿にしましたか?」
「それは……」
「人には適材適所というものがあります。あなたは力を使うことが得意。身体を動かすことが得意。アルメリア様は頭を動かすことが得意。それだけの違いです。そのことをアルメリア様やディアブルス様は常によくご理解くださっているからこそ、このフィンガロン邸に住む私たち使用人たちも、自ら望んでここでお仕事をやっているんです。素晴らしいお方たちのお役に立ちたいから」
「……」
ニーナさん、そんな風に私のことを思ってくれていたのね。
凄く嬉しいし、ありがたいわ。
ただ、あの兄様にそんなお話をしたところで聞く耳なんて持つはずがないわよね。
「ロンベルト。あなたには強い力があって、きっと今まではそれを誉めてくださる人ばかりが周りにいたんでしょう。でもあなたの足りないところをあなたは指摘されたことがないんじゃないですか?」
「……」
「それなのにアルメリア様にだけは足りないところだけをちくちくと攻撃して、虐め抜いて、馬鹿にして、蔑んで、アルメリア様の良いところには目をつむる。それに何の意味がありますか? ただのあなたがたのストレス発散ですよね?」
「……」
「私はね、ロンベルト。いえ、私たちは皆、あなたやリインカーネル家に怒っているんです。ムカついているんです。ケイトリン先輩なんかは思いっきり表面に出してくださっていますが、できることなら皆、あなたのことなんか死んでしまえくらいに思っています」
「……だったら、殺せばいい」
「それをするとアルメリア様が酷く悲しむからしないのだと言われておりますよね。あなたみたいな人であってもアルメリア様は救いたいと、やり直してほしいと願ったからこそ、私たちに預けたんです。その意味を死ぬほど頭の中で繰り返して、理解してください」
「余計なお世話だ。俺は助けてくれなんて、言っていない」
「けれど死にたくはない、という顔をしていたとアルメリア様は仰っておりました。それだけであなたを生かしたいと願ってくださってるんです」
「……ッ!」
「私の言っていることの意味、僅かにでも理解してくれたのなら、ここで使用人のお仕事を頑張ってみませんか? 凄く凄く、ものすごーく何年も頑張り続けたら、あるいはあなたのことを許して、認めてくれる人もいるかもしれません」
「別に俺はここの奴らのことなど……」
「そう思うのは勝手です。でも誰にも認められなくても、あなたに死んでほしくないと思っているアルメリア様の為に、頑張りなさい。それが、それだけがあなたができる唯一の贖罪なんですから」
「……アルメリアが、俺のことを」
「アルメリア様はあなたのことを恐ろしい兄だと仰っておりましたけれど、同時に優れた剣士であるとお認めになられています。あなたもアルメリア様の素晴らしいところを少しは認められてはどうなのですか?」
「……」
「私の言葉が少しでもご理解できたなら、資料探し、頑張りましょうね!」
「……っち、わかったよ」
「あとロンベルト」
「なんだ?」
「えーい!」
「うぐぁああああーッ! いてぇえええーッ!」
「さっきからタメ口でした!」
ニーナさんは笑顔で兄様に罰を与えていた。
それにしてもニーナさん、あんなにも思慮深く私や兄様のことを考えてくれていたなんて。
私は改めて、素晴らしい人たちに支えられているのだと深く深く感謝した。
それにしても最後の方の兄様、少しだけしおらしい雰囲気だったわ。
もしかしてニーナさんの言ったことが多少は響いていらっしゃるのかしら。
私なんてそんな大それたことはしていないからいいのだけれど、他者に対して常に高圧的な兄様の態度は直して欲しい。
もしかしたらニーナさんの下で頑張っているうちに兄様にも変化が訪れるかもしれないと、私はこの時、ほんの僅かにそう予感したのだった。




