31話 もうとっくに。
「それともあれかい、キミはまさか本当にディアブルス卿のことが好きになってしまった、とか?」
アグナス様はそれまで優しかった表情を強張らせて、私へとそう尋ねてきた。
私はディアブルス様のことを信頼し、信用している。
まだ共に過ごした時間は短いとはいえ、私の中で彼は人としてとても素晴らしい男性だと、こんな私でもわかる。
でも……そうじゃない。もうとっくに彼のことを。
「違うんだろう? キミもキミの能力を買われて、それで満足しているからこそ彼との契約に臨んだ。キミたちの関係はただの利害の一致であって、決して本来あるべき男女の姿じゃあない」
「そ、それは……」
「キミの本当の言葉を教えてほしいアルメリアさん。キミの心はどこにあるんだ? それがディアブルス卿ではないのだとしたら、僕にもキミの心に入り込める余地がありそうだ」
「私、は……もう……」
そう。
もう、とっくにディアブルス様のことをお慕いしている。
そんなことは自分でよくわかっている。
けれど、それを口にしてしまうこと自体がおこがましいように思えて。
「もう? なんだい?」
「ディアブルス様のことを、その……」
アグナス様に私の心を打ち明けてしまいたい。
しかし、いざ自分の本当の感情を表に出そうとすると息が詰まってしまった。
心臓の鼓動が速まり、頬は紅潮し、手に汗がにじむ。
「わ、私は……あの……」
「……」
そんな私のことをアグナス様はジッと黙って見据えている。
まるで、私の想いを理解しているうえでその言葉を待っているかのように。
「その……」
「わかったよ、うん」
不意にアグナス様は軽快な口調と、またいつもの優しい笑みで頷いて見せた。
わかった、とは……なんだろう?
「はは、ごめんねアルメリアさん。ちょっと悪ふざけが過ぎてしまったね。さて、夜もだいぶ更けてきたし、そろそろ休もう。僕も部屋に戻るよ」
「え、え……?」
「とは言ってもキミはまだ報告書の作成途中か。すまないね、邪魔をしてしまった」
「え、いえ、そんな……」
「僕のことはもう気にしなくていいよ。それじゃあねアルメリアさん。良い夢を」
アグナス様はそう言い残し、部屋から出て行ってしまった。
一体彼はどうしてしまったのだろう。
彼の行動を理解することはできなかったが、彼にこれ以上強引に迫られなくてよかったとひと安心していた。
もしあのまま強引に迫られていたら、私の力じゃどうにもできなかった、と思う。そんな未来を想像したらなんだか怖くなってしまった。
「……はあ」
静まり返った部屋の中で溜め息をひとつ吐く。
と、思うと再びコンコンっと、部屋の扉がノックされた。
「は、はい!?」
「アルメリアさん、聞き忘れてたことがある」
アグナス様の声だったが、今度は扉を開けてこようとはしない。
「な、なんでしょうか?」
「明日は何か予定があるのかい?」
まだ懲りずにデートのお誘いだろうか。
でも今度こそキッパリと断らないと、と思い、
「明日は少しだけお買い物をしたらすぐにでもフィンガロン邸に戻らなければなりません。執務も溜まってしまいますから」
この答えにアグナス様は残念がるのだろうと思ったのだが。
「それなら良かった。フィンガロン邸まで僕も同行するよ」
「え? で、でも……」
「キミたちの護衛もそうだけど、僕もディアブルス卿に用事があるだけさ。それ以外の他意はないから安心してくれていいよ」
「そ、そうですか。わかりました」
「それじゃあ今度こそ本当におやすみ」
アグナス様はその言葉を言い残して本当に部屋の前から去って行ったようだ。
それにしてもアグナス様がディアブルス様に用事、とはなんだろうか。
少し嫌な予感がしてしまう。
まさか彼は今日のことや私のことをディアブルス様にお話しするのだろうか。
もしそれでディアブルス様とアグナス様のご関係に亀裂が入っても嫌だし、ディアブルス様からの私に対する態度が変わってしまっても嫌だな。
今晩は、掴みどころのない美青年の行動に対し、私はなんとも言えない気持ちで過ごすこととなった。




