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30話 宿の夜

「お疲れ様、その様子だと無事に終わったようだね」


 外で待っていたアグナス様がそう声をかけてきた。


 私とケイトリンさんがマイルトン卿との折衝を終えてクレディ邸から出てきた頃には、すでに辺りは暗くなり始めていた。


「アグナス様、すみません遅くなってしまって」


「気にしなくていいさ、アルメリアさん。それが僕の役目だからね」


「アグナス、あなたまさかずっとここにいたの?」


 ケイトリンさんが少し呆れたように尋ねる。


「まあ護衛だしね。とは言っても何もしてなかったわけじゃないよ。色々と情報を集めていたんだ」


「情報?」


「そうさ。……ところでアルメリアさんたちは今日はこの町で宿を取るのかい?」


「え? ええ、そうですね。さすがにこの夜道でフィンガロンの山奥まで帰るのは危険でしょうから今夜は宿を取るつもりです」


「そうだったんだね。じゃあ僕も今日はそこに泊まるかな」


 アグナス様がそう言うと、ケイトリンさんが首を横に振った。


「アグナス、何もそこまでしなくとも平気です。宿はここから近いですし、明日の昼前にはもう私たちは帰りますから」


「そう言わずに最後まで護衛させてもらえないかな? キミたちに何かあったら困るし、それにまだ夜は長い。アルメリアさんとはもっと深く話し合いたいと思ってね」


 アグナス様はニコッと笑って私を見つめてきた。

 私は折衝前の彼の言葉を思い出し、恥ずかしくなって思わず目を背ける。


「尚更駄目ですね。アグナス、いくらあなたでもやりすぎですよ。これ以上アルメリア様を困らせるなら、私も取るべき手段を選びませんよ?」


 ケイトリンさんがキッときつく彼を睨む。


「はは、それは冗談だよ。ま、とりあえず宿に行こう」


 彼が言っていた情報って一体なんのことだろう、と少し気になった。

 結局、私とケイトリンさんとアグナス様の三人で同じ宿に向かって泊まることとなった。




        ●○●○●




 宿に着き、アグナス様とケイトリンさんと私は別々の部屋を取り、ようやくひと心地着いた。


 ケイトリンさんからも注意されていたが、夜になってアグナス様が部屋に訪れてくるのでは、と警戒していたものの、今のところ音沙汰はない。


 ひとり静かな時間があるうちに、私はやるべきことをやろうと思った。


「それにしてもアグナス様……彼は一体どういうつもりなのかしら」


 窓を少し開け、蝋燭に火を灯し、今日のマイルトン卿との折衝の結果をまとめた報告書を作成しながら私はふと呟く。


 と、同時に部屋の扉がノックされた。


「こんばんは、アルメリアさん」


 ドキン、と心の臓が鼓動を高鳴らせた。

 この声はアグナス様だ。どうやら本当に来てしまったようだ。


「な、なんでしょう?」


「少し真面目な話がしたいんだ。二人きりで話せないかな?」


「で、ですが私は……」


「大丈夫。やましいことはしないつもりだし、キミを怖がらせるようなことは誓ってもしないよ」


「でもケイトリンさんに、その……」


 アグナス様のことを警戒し、ケイトリンさんからは何があっても部屋の施錠を開けてはならないと言われている。


「信じてほしい。僕はキミと話がしたいだけなんだ」


 彼の声色は至って真面目、な気がする。


 私はしばし考えたが、いつまでも彼を廊下に立たせておくのもしのびないと思い、結局扉を開き部屋へと招き入れることにした。


「ありがとうアルメリアさん」


 彼は相変わらずの柔らかい笑みでそう呟き、部屋の椅子へと腰掛けた。

 一応胸の内ポケットにはいざという時の為の護身用ナイフを携えている。

 もし襲われそうになったらこれを使えとケイトリンさんから手渡されたものだ。


 そんなことにはならないと思うが、彼も男だし念には念を、と身構えておく。


「それで、お話とはなんでしょうか?」


「あの話の続きをしたくてね」


「あ、あの話、とは?」


「キミとのデートの話さ」


「あの、アグナス様。申し訳ないのですが、そういうお話でしたらお引き取り願えませんか? 私も暇ではありませんし、何より私にはディアブルス様がおりますので」


 私は少し語気を強めに答えてみた。


「軽そうに聞こえたのなら謝る。アルメリアさん、僕は本気でキミに惹かれたんだ。キミと恋仲になりたい、ってね」


 恋仲……ッ!?


 突然の言葉に思わず私は目を丸くした。


「キミと男女の関係になりたいんだ。僕はディアブルス卿の代わりでもいい。キミと結婚はできなくとも本気の恋愛をするのは駄目かな?」


「そんなこと、私は……それにどうして私なんかを……」


「キミは魅力的だよ。僕にはわかる。美しいサラサラの黒髪によく似合う、大きくてつぶらな漆黒の瞳。その瞳に見つめられるだけで鼓動が高鳴るくらいだ。本当にキミは綺麗だ。だからこそディアブルス卿もキミを妻に選んだんだろうね」


「や、やめてください。私が綺麗だなんてそんなことあるはずが……。それにディアブルス様は私の仕事を評価してくださっただけですから……」


「ほら、やはりそうだろう? けれど僕ならキミの見た目も性格も、キミという女性を心から愛せるよ。僕は自分自身でそれなりの顔立ちをしていると思っているけど、キミには不釣り合いかい?」


「そんなことはありません。アグナス様はとても……魅力的な男性です。むしろ私の方が不釣り合いですわ」


「それは嬉しいな。だったら僕と本当に親密な関係にならないか? きっとディアブルス卿もお許しくださるよ」


「そんなわけ……」


「だってディアブルス卿はキミのことを仕事のパートナーだとしか見ていないんだろう?」


「そ、それは……」


 そうかもしれないけれど、だからといってこんなことが許されるわけがない。

 本当は強く彼を否定したいのだけれど、どうしても彼の雰囲気に飲まれてしまう。


 でも、だからといって決して彼に惹かれているわけではない。


「戸惑っているキミも可愛らしいな」


「あっ!?」


 私が困っていると、強引にアグナス様が私の腕を掴んでグイッと彼の胸元へと引き寄せられた。


 大きな胸板と熱に、顔が火照ってしまう。


「こ、困ります! 離して! 私にはディアブルス様がいますので!」


「アルメリアさん、色んな経験は早めにしておくべきだよ。本当の恋も、甘い口付けもね」


 アグナス様はそう言いながら私の顔へと、近づいてきた。

 まさか、このまま……!?


「い、いやッ! やめて!」


 こんな勢いだけで私のファーストキスを奪われたくなんかない。


 さすがにこれには強く抵抗して、彼を私なりの本気で突き飛ばして見せる。

 でもきっと彼の力には敵わないのだろう、と思っていたが。


「おっと、とと」


 アグナス様は私が突き飛ばした勢いで、私から離れてくれた。


「ご、ごめんなさいアグナス様。でも私、こんな風にされるのは、嫌です……」


「……ふぅん。キミはディアブルス卿のことを好きでもなんでもないんだろう? ただの契約結婚なんだろう?」


 初めてアグナス様が少し不機嫌そうな声色でそう尋ねてきた。


 私は……。



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